10-誰に望まれずとも
イリーナの駆るドラウムは迅速に戦場から離脱。天使がアルタイル社の部隊に注力したこと、敵の攻撃を運よくかわし続けたことなど、運の要素も絡むものの、イリーナの技術がそこに寄与したのは紛れもない事実だ。
「すごいな、イリーナ。どうやってこの運転を覚えたんだ?」
『父さんが教えてくれたんだ。昔はエースパイロットだったらしいし』
そのエースがどうして軍を抜けて商会を開いているのだろうか。ともかく、様々な因果が重なり合っていま自分は生きているのだ、ということが分かった。イリーナを助けていなければ、ここまでは来れなかっただろう。
『傷、大丈夫? 手当てしてからにしようか?』
「時間が惜しい。クオイに会わせてくれ。それと……」
バウルは思わず顔をしかめた。
強がってはいたが負傷は重かった。
『分かった、ロナウドに行こう。クオイちゃんも、みんなもそこにいるから』
イリーナは夜の砂漠にドラウムを走らせた。太陽は沈み、月と星が空に浮かぶ。白い光に照らされ青み掛かった空はどこか幻想的でさえあった。痛みで朦朧としているとロナウドが見えて来たので、バウルは頭を振って意識を保つ。
(気絶するにしても、大事な話を全部終わらせてからにしないとな)
着艦ビーコンが瞬き、ハッチが開いた。イリーナは滑らかにドラウムを格納庫に入れる。見慣れた作業服を着た面々がバウルたちを出迎えた。
「バウル! 生きていたんだな、こいつ! よく帰って来やがった!」
「……シズルさん? それに、みんな……どうして、ここに?」
シズル・アンバスを始めとしたバウンズ整備班の面々がそこにはいた。
「私たちがどこを通って来たのか、忘れたかな? キミを回収しに行く前にみんなを中に入れたんだ。さすがにあのままじゃ危なかっただろうからね」
「重ね重ね、お前には感謝しなきゃいけないな」
みんなが無事でいたことにバウルはほっと胸を撫で下ろした。と、その整備班の集団がいきなり割れた。その間から一人の少女が顔を出す。
「久しぶり。私が言ったことの意味は、分かってもらえたかな?」
「……クオイ。こんなところに来て、お前大丈夫なのか?」
「ミカエラのことを言っているなら大丈夫。この距離なら彼は私を強制的に天使化させることは出来ない。私が天使を増やさないか、と聞いているならそれも大丈夫。半年の間に、何とかこの力をコントロール出来るようになったから」
クオイはクスリと笑って言った。コントロール出来るようになった、ということは、これまで彼女は自分の意志で天使を増やしていたということか。
「話を聞きたい。お前が何のために、こんなことをしてきたのか」
「休ませてあげたいけど、キミがウンと言わないだろうね。いいよ」
クオイは微笑み、イリーナに目配せした。イリーナは部下に指示を出し会議室を開けるように命じる。バウルと数人がイリーナに続いて歩き出した。
バウンズとそう変わらない内装の通路を歩き、中層の会議室に。こざっぱりとした部屋で、調度品は脇に飾られた観葉植物くらい。すでにロナウドの機動兵器隊隊長やブリッジクルーの何名かが部屋の中で待っていた。
「……アーカム、先生」
それに交じって、アーカム・ベルゼの姿もあった。
「……よく、よく生きて帰って来てくれた。こんなことを言う資格なんて、ぼくにはないのだろうけれど……本当に、本当に済まなかった……!」
「あなたは、どこまで知っていたんですか?」
「すべてだ! 全部知っていた! キミたちを捨て石にすることも、天使がなぜ生まれるのかも! すべて嘘っぱちだったんだ、僕の言ったことは!」
アーカムは嘆いた。彼とて、社命を帯びていたのだろう。完全に彼の意志でやったことではないだろうが、許す気にもなれなかった。
「すべては半年前、マティウスにミカエラが落ちてきたことから始まった」
クオイは嗚咽を漏らすアーカムを無視して話を始めた。彼女にとっても、あまり愉快な話ではなかったのだろう。
「病院に運び込まれた私は、天使化の力を暴走させて多くの人を殺してしまった。私は決めたんだ、この天使の力を使ってミカエラに復讐しよう、って」
「天使の力を逆に利用しようとしたのか? でも、どうやって……」
クオイは自分の掌をバウルに見せた。
何となくもやもやするものを感じる。
「私は触れたものを天使に変えてしまう。また、多少なりともあの異形の姿に変わることが出来る。私はこの力を使いこなせるように、つまり上手いこと人間と天使の細胞が馴染むのはどれくらい力を込めればいいか研究したの」
「人間が天使に変わらないくらいに変異させようとしたってこと?」
イリーナの問いにクオイは首を縦に振った。
「完全に一体化させることが出来れば、天使のような身体能力と感覚を手にしながら、天使に変わらない人を作り出せると思ったんだ。半年、いろいろなところに行って試した。たくさんの人を殺して来た……その成功例があなた」
「天使の力を持ちながら、天使に変異しない人間……」
彼の方には、彼が思っていたより多くの人間の命がかかっていたのだ。
「もっとも、偶然に過ぎないけれどね。私が天生体にしてしまった人の多くは戦いで死んだり、天使になってしまった」
「だからキミは言ったわけか。あいつらをマティウスに近付けるな、と」
「他の人に伝えようと、いろいろ努力もした。でも、実らなかったけどね」
天生体を滅ぼしたいアルタイル社と、天生体を生かしたいクオイとの間に協力関係が生じるはずもなかった。ここでも大人の力学が働いたのだ。
「キミならミカエラを殺せると思ったんだ。でも……」
「現実はヒーローもののようにはいかない。たった一人で奴には勝てん」
「遠くから見ているだけだったけど、あれはすごいね。軍を押していた」
イリーナもうんうんと頷きながら話に加わった。
ミカエラの力は規格外であり、それこそ軍の大部隊でも投入しなければカタを付けられないだろう。だが、天使化を嫌うためそれは難しい。戦況は膠着状態に陥るだろう、ミカエラが望むように。それが双方の思惑だ。
「……みんなに聞きたい。こんなんで、納得出来るか?」
バウルは集まったバウンズの面々に問うた。
「アラン艦長も、ラウ隊長も。フォルカも、ミーアも、ダリルも。みんな死んでしまった。軍は俺たちを捨て石に使い、ミカエラの生命力を削るための駒程度に考えていた。生きようが、死のうが、関係ない。大局には影響しない。それでいいのか、みんなは?」
パンっ、と拳を打ち合わせる音が響いた。
シズルの立てた音だ。
「俺は嫌だね。こっちだって組織人なんだ、言えないことがあるのは分かっているさ。でも、俺たちを使い捨てにして終わらせようなんて納得は出来ない」
口々にこれまでの不満が、仲間の死を悼む声が聞こえて来る。
「俺はもう一度ミカエラのところに行く。今度こそあいつを殺してやる」
バウルもそれに応えた。
「でも、俺一人の力じゃ絶対に無理だ。もう隊長たちはいない。いままで一緒に戦ってきた仲間はいない。でも、まだみんなが残っているんだ」
そして、深々と頭を下げた。
「力を貸してください。俺に、すべてを終わらせる力を」
それに反対するものは誰もいなかった。
どこからともなく、拍手が上がる。
「……ありがとう。みんなで、おれは……」
が、そこまでが限界だった。緊張の糸が切れ、バウルは倒れ込む。イリーナが支え、いわゆるお姫様だっこの形で持ち上げた。
「それじゃあ、やろうか。私たちのラストミッションを……!」
誰にも望まれぬ。
彼らのための戦いが、この時始まった。




