09-別離
格納庫に戻ると、案の定ダリルがはしゃいでいた。自分がどれだけ活躍し、鮮やかに天使の核を切り捨てたかを力説する彼をとりあえず放っておいて、バウルはラウのところへ向かう。難しい顔をしていたが、バウルが来るとそれをすぐにひっこめ笑顔を作った。
「お疲れさん。天使相手に一人で大立ち回りをしてきたなぁ」
「仲間の援護のおかげですよ。それより、フェネクスの方はどうですか?」
「向こうじゃ忙しくやり合ってるみたいだ。イリーナ嬢が天使のことを知っていたとはいえ、これ以上彼らについて来てもらうのは難しいな」
残念がっているが、この事態を予想はしていたのだろう。マティウスに近付けは近付くだけ、天使と接触するリスクは高まって行くのだから。これまでの交戦で、フェネクス側にもこちらの態度を不審がるものもいたかもしれない。
「まあ、取り敢えずお前さんらには関係のないことだ。休め」
「了解。最後の補給を終えて、そこからは無補給で進むことになりますね……」
「いままでが贅沢過ぎたんだ。バウンズには十分な物資を積み込むスペースがあるし、マティウスはもう近くだ。彼らの助力もここまでで十分だろう」
本当にそうなのだろうか? いつも慎重なラウらしくない物言いだ。相手の戦力が未知数である以上、十分なことなどありはしないのではないだろうか?
(まるで、天使の総力を始めから分かっているような物言い……)
最初の頃、対天使隊に感じていた不信感がここに来て蘇って来る。
「……どうしたんだ、バウル?」
「いえ、何でもありません。それでは、休息に入ります」
それでもバウルは口に出さなかった。もし彼が何かを隠しているとすれば、それは上の事情であり、彼個人が信用出来る人間だと知っているからだ。ぺちゃくちゃと言い合っているダリルとミーアと合流し、食堂へと向かう。
「今回は本当に助かったよ、ミーア。ありがとう」
「ここ最近、アンタ少し変わったんじゃないかしら?」
「そうか? 俺は普段通り振る舞っているつもりで入るんだがな……」
ミーアは優し気に微笑んで顔を横に振った。
「いまのアンタの方が付き合いやすいわよ。これまでは仏頂面で、むっつりして、何考えてるか分からなかったけど。いまはもう少しわかりやすい」
「だなぁ。俺から見ても、いまのバウルが楽しんでいるのは分かるぜ」
二人からそう言われると、確かにそうだなと感じてしまう。
「そうかも知れないな……自分の感情に正直に生きているからだろう」
「なにそれ?」
「なんでもない。ある人から言われたのさ、感情に従って生きろって……」
食堂の扉を開き、中に入ろうとして、ギョッとした。アロアが不動の姿勢で立ち、扉の奥を睨み付けていたからだ。思わずあとずさりしてしまう。
「ちょっと、どうしたの? 何かあった――」
そのわきから部屋の中に入ろうとするミーア。アロアは彼女の腹にダイブした。『うっ』という呻き声と一緒に、二人はもつれあって倒れた。
「ちょっ、と! あなた、いい加減にこれは……」
アロアを叱ろうとしたミーアだったが、いきなり泣き出されさすがに拳を下ろさざるを得なくなった。バウルもダリルも、泣き出した子供をどうすればあやせるのかは分からない。結局彼らはその場で右往左往することになった。
「むっ……お前たち、こんなところで何をしている?」
そこへ、アランが偶然通りかかった。
彼らにとっては救いの神だ。
「いや、それが避難民の女の子がいきなり泣き出してしまいまして……」
ミーアは助けを求めるようにアランを見た。
だが、アランも困惑する。
「こういう時は……どうすればいいと思うね? バウルくん?」
「いや、それは俺が聞きたいくらいなんですが……」
「奇遇だな。子供の頃自分がどう泣いていたかなど思い出せないからな」
アランは困ったような表情をして笑った。
「子供もいたが……結局抱くことも出来なかった。親にはなれなかったな」
思いがけずしんみりとした空気になってしまったが、残念ながら現状を解決するうえでまったく役には立たなかった。そのままミーアはアロアにされるがままになり、結局彼女が泣き疲れて眠ってしまうまでそれは続いた。
「ようやく泣き止んでくれた……はぁっ、疲れたわ……」
ただ抱き着かれていただけなのに、ミーアの顔には色濃い疲労感があった。
「寂しかったんだろうな、いきなり消えちまうような気がして、さ」
「何言ってるのよ。ちょっと行って、ただ帰って来るだけ……」
「帰って来なかったんだよ、その子の親は。親だけじゃない、見知っていた人全員。そうなりゃ、もう二度と味わいたくないって思うわなぁ……」
ダリルは表情を曇らせた。ラウから聞いたことがあった、ダリルが所属していたパルチザン組織は天使のよって殲滅され、彼一人が生き残ったと。アロアが乗っていた船も同じような武装組織の船であったらしい。感じるところがあるのだろう、ダリルにも。
「……大切な人が帰って来ない苦しみは、私も知っているわよ」
ミーアの背中を撫で、ミーアはアロアを抱えて立ち上がった。
「でも、いつまでも守ってあげられるわけじゃない。全部終わったら、別れるしかないのよ。それまでに、この子には強くなってもらいたい……」
そう言って、ミーアは自分の部屋へと戻って行った。
「……なんだかんだ言って、あの子の子と気遣ってんじゃん。なあ?」
「言ってやるな、あいつも不器用な人間の一人ってことだろう」
残った三人は、ミーアの背を温かく見送った。
その日の夜、フェネクス商会は本件からの離脱を多数決で決定した。そのことを伝えられた時、バウルは特に驚かなかった。当たり前の判断だからだ。
(訳も分からない化け物と、胡散臭い企業の戦いにこれ以上首を突っ込んではいられないだろうな……ましてや、何も関係のない人間からすれば)
イリーナと別れることになるのは、少しだけ寂しかった。だが二度と会えないわけではない、この戦いが終わればまた会うことが出来る。生き残る理由がまた一つ増えた。最後の通信を行いながら、バウルはそう思った。
『ごめんね、バウルくん。キミたちの力になりたかったんだけど』
「まずはフェネクスの人たちのことを考えて行動してくれればいいさ」
イリーナは謝ったが、謝られ理由はバウルにはなかった。
「むしろ、これまで付き合ってくれて本当にありがとう」
『いいよ。元々は私の興味本位だったんだし……』
そこで一旦、イリーナは言葉を切った。
そして真剣な表情をして。
『生きて帰って来てね、バウルくん。またこうやって、お話しようよ』
「心得た。俺も、こんなところで死ぬつもりはないからな」
それからしばらく取り留めのない話をして、二人は別れた。




