07-心のままに
気が付いた時には、既に陽が落ちていた。時間を確認すると午前零時、むくりと体を起こす。空腹は感じなかったが、猛烈な渇きを感じた。
(ああ、そういえば戦闘が終わってから給水もしてなかったな……)
虫も眠る夜であっても、軍人は眠らない。当直の人間が何人かは必ず残っている。だから食堂も開いているはずだ、バウルは重い体を引きずり歩き出した。
ところが、部屋から出たところでバウルは不審な影が廊下の角を曲がるのを見た。コソコソと隠れるような動き、少なくとも通常の乗員のやることではないだろう。見ると、ミーアの部屋の扉がほんの少し開いていた。
(あいつ、謹慎中だっていうのにいったい何をしているんだ?)
自分のことを棚に上げつつ、バウルはミーアを追った。相変わらず乾いていたが、好奇心がそれに勝った。ミーアが辿ったであろう順路を歩いて行くと、それは甲板デッキへと出る通路だった。涼むのもいいかな、とバウルは思った。
「こんな時間に何をしているんだ。というか、お前謹慎中だろうが」
「いいでしょう、別に。勤務時間が終わった後に何をしようが私の勝手」
可愛げの一欠片も存在しない口ぶりだった。
「別に、何を言うつもりもないけどな。隊長にバレないように気をつけろ」
バウルも甲板に腰を下ろした。二人近付くことなく、背を向け合い休む。夜の砂漠は特に冷える。何か着て来ればよかったかと、今更ながらに思った。
「……どうしてあんなことをした。たった一人で突っ込んで行くなど」
「別に、関係ないでしょう。そんな詮索をするような真似……」
「興味があるワケじゃない。ただ何もしないでいると凍えて死にそうだ」
ウソだ、興味はある。見た目冷静なミーアが、どうしてあんな馬鹿な真似をしたのか。フォルカの話は断片的で、動機がよく分からなかった。
(こんなところで隠していることを喋ってくれるとは思わないが……)
「……幸せだった。戦争が終わって、やって平和な日常が戻って来るんだって」
だからこそ、ミーアがぽつぽつと語り出したのは意外過ぎた。
「……言えっつってんだから言うのよ。これ以上詮索されるのも面倒なの」
「ああ、そう。分かったよ、聞いている。だから続けて、どうぞ」
反発しても、やはり言いたいのだとバウルは判断した。自分の心の中だけに、痛みを留めておけるほど人間は強い生き物ではないのだ。
「国のため、世界のためって考えて志願した。適性試験では優秀だって言われて、舞い上がってた。でも段々と、地球が宇宙に酷いことをしたっていうのも分かってきたし、私たちが実力とか、そういうので選ばれたんじゃない……単なる使い捨ての戦力に過ぎないってことも、ただ戦意を高揚させるための偶像に過ぎないってことも、分かってきたの。だから全部終わった時はホントにほっとした」
開戦当初、宇宙は不当な要求を突きつけて来た侵略者だった。人々に届けられるのはフィルタリングされた情報だったため、誰もがそれを信じた。だが徐々に真相が知れ渡るようになっていった。宇宙と地球との搾取的な関係が。
このままでは軍事行為の正当性を維持することが出来ず、また戦意を低下させてしまう。そこで軍が取ったのは、憎悪を煽ることだった。宇宙軍の戦争行為を――多分に脚色を施し――伝えた。その頃になると質量兵器による攻撃で国土を追われ、家族を失った人々も数え切れないほど多くなっていた。
被災者の中には、子供もいた。純粋な憎悪を、大人は利用した。彼らの中から選抜された兵士たちは俗に偶像部隊とも呼ばれ、戦意高揚に大いに役立ったとされている。戦後まで生き残ったものは、数えるほどしかいないらしいが。
「キミも、アイドル部隊の一員だったのか?」
「なる前に終わった。なってたらここにいないよ。で、戦場から戻って平和に過ごしていたんだけど……半年前、私が住んでいた村が盗賊に襲われた」
駐留戦力もいなかった村が、機動兵器を駆る盗賊たちによって駆逐されるまでそれほど長い時間は必要なかった。ミーアの両親は死に、彼女自身も燃え落ちる館に押し潰され生死の境を彷徨った。手を伸ばしても、誰も取る人はいなかった。
「私の家はちょっとした名士で、いままでは媚びるような態度を取る人も多かった……でも、私を助けてくれた人は一人もいなかったよ」
「それは……仕方がないだろう。極限の状態だったんだから」
「信じていたの、世界は優しさに満ちているって。でも、伸ばした手を叩かれた。この世界に、信じられるものなんて何一つないんだって分かった」
ミーアは自分の体を抱いた。
泣いているのだろうか、肩が震えている。
「もう死ぬ。そう思った時、あの子が……天使が現れたの。彼女は私の手を優しく取って、涙を流してくれた。気付いた時には、私は病院にいた」
近隣の村からの通報で救助隊が現れたのは、事件発生から四時間が経ってからだった。当然、盗賊たちは遠くへ逃げ、仇が誰かさえも分からなくなった。
「どうして……この部隊に所属しようと思ったんだ?」
「笑わないでよ? もう二度と、あんなことを起こさせないようにするため」
あんなこと。それは、いまも彼女を傷つけ続ける惨劇の記憶。
「私には力がある。あいつらを倒せるだけの力が……私と同じ思いをする人を、私の手で減らしていける。私は、それを信じているんだ。対天使隊にいれば、活きたノウハウを手にすることが出来る。天使を倒して、この部隊を辞めて、そしてあんなひどいことをする奴を倒すために戦う。それが私の夢だよ」
ミーアは頭だけをバウルの方に向け、微笑んだ。
「……すごいな。俺には、何がやりたいのかさえ分からない」
「好きなこととか、そういうのはないの?」
なかった。
ただ、いまを生きるので精一杯だったから。
「心が動いたこと。それがやりたいことだよ。それじゃあね」
ミーアは軽く汚れを払い立ち上がり、中に戻って行った。バウルは空を見上げ、星を見た。輝く空。その下で、自分はいま何をしているのだろうか? 天使に会う、ただそれだけを考えて戦ってきた。だがそれは単に、あの時の自分にそれしかなかったからだ。それさえなくなれば、死んだのと同じだったから。
(俺がやりたいこと……俺の心が動いたこと。それは……決まっている)
バウルは部屋に戻り、荷物をまとめた。それから備え付けのメモにメッセージをしたため、また来た道を引き返して甲板へ。シーツを繋いで作ったロープをでっぱりに引っ掛け、船から降りた。目指すべき場所は分かっている。
(ビスキス……急がなければならんな。いつまでも待っていてはくれない)
たった一人、どこまでも続く砂塵の中を歩き続ける。
何もない、それは確かだ。
それでもその胸に宿った憎悪だけは本物だと信じたかった。




