07-心と体、相反するもの
戦闘はすぐさま終わり、バウルたちはバウンズに帰還した。
『感謝します、アルタイル社の皆様。我々だけではやられていたでしょう』
戦闘後も通信をオンにしていたので、バウルには艦橋とムスタファたちのやり取りが聞こえていた。反吐が出るくらい胡散臭い喋り口、ムスタファはビジネスマンの仮面を見事に被り切っている。だからスラスラとウソが出て来る。
『我々はこれからビスキスに向かい、紅海を渡りアフリカ大陸に向かいます』
『旅の無事をお祈りしています。それでは、通信を終わります』
通信が終わったのとほぼ同時に、バウルは艦橋の扉を乱暴に開いた。
「何をしている? ブリッジに上がることは許可していないはずだが」
「あの男はテロリストです! 放っておけばまた人が死ぬ!」
「テロリストへの対処は業務の範囲外だ。それに、これ以上スケジュールは遅らせることは出来ん。我々は一刻も早くマティウスに辿り着かねばならない」
あっさりとした否定。
バウルの心に激情が浮かび上がって来た。
「そんなことを言っている場合ですか! アイツを殺す、そうしないと――」
「それ以上はやめておけ、バウル。失礼いたしました、艦長」
振り上げた腕をラウに取られた。アランはふん、と鼻を鳴らす。
「部下への教育がなっていないな、ドーレン」
「返す言葉もありません。後のことはこちらでやっておきますので」
「忘れるな、我々は傭兵であって殺し屋ではないのだからな」
それっきり、アランは黙った。尚もバウルは食い付こうとするが、ラウがそれを制する。彼は強引にバウルを部屋の外へと引きずり出した。
「邪魔をしないでくれ、隊長! アイツを放っておくことは――」
言い終える前に横っ面を思い切り殴られた。
バウルの華奢な体が宙を舞う。
「いい加減にしろ、俺たちは天使を倒すための戦力だ! 殺し屋じゃない!」
「どちらも大して変わらないでしょうが! それに、対天使隊は天使の脅威を取り除き人類を守るためにあるんでしょう! だったらあいつも天使と同じだ!」
頭に血の昇ったバウルは、ラウにも食ってかかる。
「まったく厄介な奴だ、冷めているかと思えば熱くなりやがって……!」
ラウは頭をぼりぼりと掻いた。どう言うべきか、必死で考えているのだろう。
「あいつをテロリストだと言ったな。その証拠をお前は持っているのか?」
「エスピルの街で俺を殺そうとしたのはあいつらだ。ガキに追い掛けられたからと言って、どうして殺人まで犯そうとする? 隠したいことがあるんだ」
「それを立証することは出来ないだろう。それだけの権限は俺たちにはない」
「確かに、それはそうだが……だが、それでも!」
「心証で人を撃つことは出来ん。それが俺たちの築き上げたルールなんだ。何の法的根拠もないまま人を撃てば、俺たちはテロリストと同じだ!」
冷たい、絞り出すような言葉と理屈だった。
「あいつはテロリストかもしれない。あいつを放っておけば悲劇が起こるかもしれない。だがすべては憶測でしかないだろう。『こうかもしれない』、『こうであるはずだ』なんて曖昧なもので人を疑う恐ろしさを知っているか?」
冤罪。
それは自分が一番嫌っていた『理不尽』だった。
「あいつは罪を犯しているかも知れないが、それを立証する権限は俺たちにはない。せいぜいが現行犯を捕まえる程度だ。だが、奴らを押さえるためにスケジュールに空きを作るわけにはいかない。これは、お前のためでもあるんだぞ?」
「俺たちに残された、タイムリミット……」
「お前のわがままでみんなが死ぬかもしれないんだ。たった一人の激情で行動することの危うさを、お前だって知っているんじゃないか?」
それは、非難して来たミーアのやり方と何も違わなかった。
「上官への反逆は本来処罰の対象だが、見なかったことにしてやる。ムスタファの件も当該部署に伝える……だがそこまでだ。何も出来ることはない」
それだけ言って、ラウは戻って行った。パイロットの仕事はただ戦うだけではない、前後の警戒まで含まれている。だが動く気になれなかった。
もうアランに談判を行う気にもなれなかった。よろよろと立ち上がり、死んだような顔で部屋へと向かう。グルグルと自問と自答が続いた。
(あいつが……あいつが悲劇を引き起こすのを、黙って見ていないといけないのか? そんなことは……そんなことは、絶対にさせてはいけないだろう?)
理屈では分かっている。だから自分自身がすぐに反論を返した。
(たった一人なら、それでよかったかもしれない。でもいまの俺は違う、アルタイル社に雇われた傭兵だ。勝手な行動を、するわけにはいかない……)
自分で選んで、この道を進んでいる。ならば、そこに科せられた使命を無視するわけにはいかない。頼もしいと思っていたものが、いまは自分を縛る鎖になっている。皮肉なことだったが、もはやバウルには自嘲する元気さえなかった。
どうやって部屋に戻ってきたのか、覚えていなかった。気が付いた時には清潔な白いシーツが目の前にあり、バウルはそれに倒れ込んだ。柔らかな感触が彼を包み込む。僅かに芳香剤の匂いがする。こうして力なく倒れ込むことが出来るのも、いまの生活を支えてくれる誰かがいるからだ。貰うだけ貰っておいて、逃げることなど許されるわけがない。
頭では分かっている。
だが感情が決して納得しなかった。
(俺はどうすればいい? 俺はこんな感情を抱えたまま……)
まどろみに誘われ、バウルは泥のように眠った。どれだけ大人ぶっても、彼はまだ十六歳の子供だった。感情への折り合いなど、付けられるはずがない。




