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03-異形天使

 二時間後、バウルは解放された。ローゼンは『キミはもう自由だ』と言っていたが、それでも監視が取れていないことは分かっていた。バウルの感覚は、突き刺さる視線を捉えていた。仕方のないことだと諦め、何をするわけではなかったが。

 ホテルのエントランスまで戻る。と、駆け寄って来る者がいた。


「バウルくん、大丈夫? どうだったの、あの人たちは」


 それは、イリーナだった。

 不安げな表情でバウルのことを見る。


「大丈夫だ、何も問題はない。それに、待っていてくれなくてもよかったのに」

「気になるから。未来のビジネスパートナーの行方は、ね」


 不敵な言葉を吐いてはいるが、それでも自分のことを心底から心配しているのが伝わって来た。こそばゆさから視線をそらしてしまう。


「大丈夫だ、問題ない。ちょっと疲れたんだ、もう休ませてくれ」

「……うん、大変だったよね。おやすみ、私ももう寝るからさ」


 大事なことは明日話せばいい。話す気になったなら。もう急ぐ必要などないのだ。バウルは今日起こった様々なことを反芻しながら部屋に戻った。そして上着も脱がずにベッドに横たわった。あの村のベッドよりも遥かに柔らかい。


(俺の二年間、それは……)


 もともとバウルがこの国に来たのは、生まれつきの心臓疾患を治療するためだった。旧世界では本国、そして北米大陸が最先端医療の中心地だった。だが宇宙との戦争が始まると、主導的立場を取っていた米国と米軍の大兵力を駐留させていた母国は執拗な質量兵器による攻撃に晒され、汚染され、人の住めない場所に変わった。

 その代わりに台頭したのが、中東諸国だった。両親は母国から遠く離れた異国の地で、息子のために生きようと決めた。それが結果として己を殺し、息子さえ危機に陥れたのは皮肉という他なかっただろうが。


 金と物資を狙って行われたテロによって両親は爆炎に飲まれ、バウルは連れ去られた。そこからは地獄の日々だった。聖典の暗唱から一日が始まり、読めなければ殴られた。神とやらのためにすべてを捨てさせられた。爆弾を括りつけられ自爆攻撃をさせられなかっただけまだマシだったが、それでも戦闘訓練という名の暴虐に晒された。彼らにとって少年兵たちは弾除け兼機銃だった。

 粗末な食事と劣悪な環境によって、『神の下に召される』子供たちも後を絶たなかった。いっそ死ねば楽になれる、そう思ったが恐怖が勝り死ねなかった。かと言って教義に順応し、狂信を以って戦うことも出来なかった。なまじ近代教育を受けて来た彼は、盲目的に従うことが出来なかったのである。

 いつ心臓が止まるか。いつ銃弾が自分を貫くか。いつ衰弱するか。そんな恐怖に耐えながら戦っていたバウルにとって、天使はまさに救いだった。


(あの天使……あの女。あいつは、いったい何者だったんだろう……)


 さすがに天使のことを聞いたり話したりすることはなかった。もし話していれば精神に異常あり、ということであっさり解放はされなかったはずである。ここに来る前に軽く調べてみたが、カルファ遺跡での戦闘のことはほとんど記事になっていなかった。小規模な局地戦だったので、無理からぬことではあるが。

 ちなみにその時、バウルは教会上層部が早々に投降しいまものうのうと生きていることを知った。だからといって、大した感慨もなかったが。


(無意味だった、何もかも。ざまあみろ、お前たちはただ生き残っただけだ。何を手にすることも出来なかった。大量の時間と労力を空費しただけだ。そんなものに付き合わされたのは腹立たしいが……もういまとなってはどうでもいい)


 彼らのことは憎い。だが、そんなものを晴らそうという気にもならない。両親を殺し、自分をこの地位に陥れた奴はとっくに死んでいるだろう。投降した連中は支配者気取りで上から状況を見ていただけの奴らであり、そんな連中が死んだところで少しも心が晴れたりはしないだろう、とバウルは思った。

 過去は戻らない。それに、彼らに捕まらなければ――逆説的だが――天使に会うこともなかった。地獄から救われることもなかったのである。


(救われる地獄を作ってくれてありがとう……)


 あの日以来、心臓は常に正しく拍動している。力を手に入れた。運命に翻弄され続け、痛めつけられ続けて来たバウルにとって、天使は救いだった。バウルは目を閉じ、そして眠りについた。久方ぶりの安らかな眠りに。




「あっ……? 眠ってしまって、いたのか」


 窓から差し込む温かな日差しを浴びて、バウルは目を覚ました。『眠ってしまった』、そう考えていることに苦笑した。もう自分は戦場にはいない、いつまでだって眠っていていいのだ。たまには惰眠を貪るのも悪くはない。

 もう一度目を閉じ、布団を掛け直し。奇妙な感覚があった。


「……なんだ、これは」


 言葉では説明し辛い、全身がまさぐられるような感覚。それはあまりに気持ちが悪く、しかしどこか懐かしかった。懐かしいと考えること自体が不快だったが。バウルは跳ね起き、窓の外を見た。いつも通りの光景が広がっている。


 否、そうではない。ホテルから6Kmほど進んだところには連邦軍の基地があるのだが、そこで爆発があった。街全体に警報が鳴り響く。


「なんだ、あれは……! いったい、どうなっているんだ……!?」


 だが眼前に広がっていたのは、警報の音さえも些細なことに思えるほど異常な光景だった。爆炎の中から、何かが起き上がって来るのをバウルは見た。


 まず、見えたのはバケツのように細長い頭と左右についた丸い複眼めいた目。背中には折り畳まれた羽根を背負い、節のある丸みを帯びた体つきをしている。真っ白な人型が燃え盛る炎の中から立ち上がって来たのだ。怪物としか形容の出来ないそれは両腕を誇らしげに広げ、ギザギザした歯を剥き出しにして咆哮を上げた。


 ほんの少しも似ていない。だがバウルは、自覚さえせずにつぶやいた。


「……天使」

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