00-砂漠の天使
西暦2317年。
人類が人口、食糧供給、環境汚染といった諸問題を解決するため宇宙に進出してから、100年余りの時が流れた。その100年の間に起こった地球残存人類と惑星植民者との間に発生した、通称星間戦争によって人類は最盛期のおよそ半分にまで減少した。
3年前、地球と宇宙の命運を決する最終戦争が終結した。数多の血を流し、大量の宇宙ゴミを撒き散らし、地球の地形さえも変えた戦争がようやく終わったのである。だが、それは後に続く困難の始まりでしかなかった。
更に悪化した地球環境と食糧事情、地球統一政府によって抑圧された少数民族の反乱、戦後の軍縮政策によって食を失った兵士たちの暴徒化。積み重なった問題を、政府は武力によって解決しようとした。凄惨極まる「戦後処理」の始まりである。戦争が終わってなお、人類は相争うことを止めなかった。
かつて中東と呼ばれた熱砂の大地においても、それは同じだった。
二十世紀、続く二十一世紀では主要エネルギーであった石油産出によって莫大な富を得ていたこの地区も、太陽光発電システムの改良と小型軽量大出力の燃料電池出現によってその地位を大きく落としていた。隆盛を誇った都市群もいまは砂の底に消えた。
豊かさをなくした彼らが、民族としてのアイデンティティに拠り所を求めたのは自然なことだったのかもしれない。だが民族自決の流れは二十二世紀、宇宙開発時代の地球統一思想の前に敗れ去った。
下火になっていた民族思想が、再びもてはやされたのは星間戦争時代だ。国家宗教『グラディウス教』指導者たちが神の名の下に宇宙からの侵略者と断固戦うと宣言。これは統一政府の抗戦プロパガンダだったのだが、立案者さえも予想していなかった勢いで抗戦思想は広がって行き、やがては飼い主にも食らい付くほどに成長してしまった。
その勢いは戦後も収まらず、やがては民族独立運動へと変質した。
特徴的な丸みを帯びた尖塔に、砲弾が直撃。爆炎と黒煙が辺りを舐めた。対空砲の類が存在しない「拠点」に、それを防ぐ手段は存在しない。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
砂のコブにもたれかかりながら少年は荒い息を吐いた。断続的な機銃の掃射音、コンクリートが砕け、破片がアスファルトを抉り、軌道上にあった抵抗者を爆散させた。
機動装甲服。単にAAとも呼ばれる兵器が少年、バウルの所属する対太陽系統一連邦組織『グラディウス解放同盟』が運用する主力兵器だ。
パワードスーツの発展形として高出力、大型化されたAAは安価で操縦が容易、かつ高い汎用性を持ち、戦場の花形と言っても過言ではない力を持つ。
(勝てるわけがない……勝てるわけがない!)
そんなものに乗りながら、バウルは端正な顔を恐怖に歪ませ、脂汗を流していた。心臓がキリキリと締め付けられるように軋み、体が恐怖でビクリと震える。
反撃の砲火が自軍から放たれるが、その倍の鉄量が自軍領地に降り注いだ。掃射が終わったタイミングを見計らい、バウルはコブから身を乗り出しその先を見た。
そこに立っていたのは、まさに巨人としか言いようのないものだった。
バトルウェア。
宇宙植民者によって作られ現在では地球、宇宙のありとあらゆる場所で運用される人型機動兵器。全長はAAの三倍強の10m程度、質量差は計算するのもバカバカしいほどだ。立っているのが不思議なほどの巨体でありながら、内蔵した重力制御システムの恩恵で俊敏な機動性をも持つ。
『戦え、戦え、戦え! 倒せ、倒せ、倒せ! 神の国は近付いた!』
通信機から耳障りなノイズとともに指導者たちの声が聞こえて来た。バウルは歯を噛み締める。そんなに神の国に行きたいなら自分が戦って死ね、そう内心で呪った。
バウルはこの国の人間ではないし、グラディウス教徒でもないし、ましてや政府に恨みを持っているわけではない。ただ、二年前この国に来た時運悪く解放同盟のテロに遭い、人狩りも同然の状態で連れ去られて来ただけだ。
人員と物資に乏しいテロリストは、しばしば子供を浚い洗脳し、尖兵と成す。その際育ち過ぎた、考える頭を持った子供は排除される。だが先進国で生まれ育ち、人一倍体の弱かったバウルは実年齢よりも遥かに幼く見られた。だからこうして生き残り、意味も理解出来ない戦いに駆り出されているのだ。
『西洋文明は我々に何を与え、何を奪った?
明白だ、何も与えず我々の持つ者をすべて奪い去った!
これは聖戦である、失ったものを取り戻すための聖なる戦いだ!』
背負ったバズーカを掴み、放つ。巨人を倒すために――実際関節に打ち込み転倒させるくらいしか出来ない――作り出された武器を、巨人は容易くかわした。巨体からは想像も出来ないほどの俊敏さで、真上に飛んだのだ。
撃った瞬間、バウルはかわされたと直観した。コックピットハッチを開き、シートベルトを外し、機外に躍り出る。太陽を背負った巨人が銃口を向けるのが、そして砲火が放たれるのが見えた。高速で放たれた55mm弾が一瞬前まで搭乗していた機体をスイスチーズめいてズタズタに引き裂く。銃撃によって燃料電池が損傷し、爆発。爆風に煽られバウルは吹き飛ばされた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
バウルは立ち上がらなかった。仰向けに転がり、空を見た。
青い空、白い雲、輝く太陽。巨人が着地し、また跳んだ。
顔も知らない仲間が蹂躙されていく。
(死ね、死んでしまえ。こんな奴ら全部滅びてしまえ。いいザマだ)
意識が薄れていく。体から熱が消えていくのが分かる。視線を足下に移すと、巨大な装甲板の破片が右足を真っ二つに切断しているのが見えた。
(死ぬ、のか。そういえば、俺は……俺は、誰だっけ)
一日も絶えることなくバウルだと呼ばれ続けた。
誰も自分の名を知る者はいなかった。
いつの間にか、少年は自分の名前を忘れてしまっていた。
(異郷の地で、名前さえも分からずに、俺は……死ぬのか)
嫌だ。死にたくない。こんなところで。
どうしてこんなことに?
涙が自然と溢れ、視界が滲む。死ぬならせめて、綺麗な青空を見て死にたい。そう思い、バウルは涙を拭った。晴れやかな視界に鮮やかな白が映った。
「……あ……?」
それは翼だった。この国では見ることがなかった、白い翼。
だがそれを背負っているのは鳥ではない。人間だった。
「天、使?」
バウルは見た。
どこまでも透き通った目を。
天使がニコリと笑うのを。
翼がはためく。光が迸る。
閃光と衝撃が駆け巡り、バウルは意識を失った。
バウルが目を覚ました時、既に夕焼けの赤が世界を包み込んでいた。
「これは、いったい……どういうことなんだ?」
バウルの視界に飛び込んで来たのは、平らな砂の大地だった。
複雑な時と風の流れによって作り出された砂丘の姿は、すでにそこにはなかった。それどころか、そこで戦っていたはずの機動兵器群でさえもバラバラに分解され骸を晒していたのだ。
状況を確かめようとバウルは立ち上がった。と、同時に彼は違和感を覚える。
「足が、ついている? どういうことなんだ、これは……!」
両断されたはずの足で、彼は地面を踏みしめていた。
狼狽するバウル、だが問いに答える者はいない。そこに命あるものは彼を除いて一人としていなかったのだから。
「何なんだ、これは! どうなっている!」
あとに残ったのは、砕かれた都市。
そして石灰化した人型だけだった。
それから三か月後、西暦2317年10月18日。
後に『グラディウス内乱』として歴史に刻まれた事件が終わってから、それだけの月日が経った。狂信的な十字軍行為に従事していた者たちは礼拝堂で自決を図り、上層部は早々に投降しそれなりの待遇で連邦政府に迎えられた。
だが戦争が終わっても、中東の混乱は収まる気配を見せなかった。