三十六話 バケモノは嗤う
「……やっぱりね。ほんと、どうしようもないクズだよ、お前らは」
床に転がっている国王の首を冷めた目で見たフウはそのままサイラスへと視線を巡らす。
喉の奥から悲鳴を漏らした彼の顔は窶れていて、国王の側に控えていた時とはもはや別人のようだった。
「こっ、殺すのか? 我々も……」
しばしの沈黙。すると唐突にフウはサイラスを蹴り飛ばし口を開いた。
「ガァッ!?」
「い~や? 言ったよね『話せば殺しはしない』って」
「っ……」
サイラスは右腕と左膝を切断されたファルドを見た。信じられないことに彼はまだ意識を保っており、失血で顔面を蒼白にしながらも憎悪に満ちた瞳でフウを睨めつけていた。
「何? そんな不服そうな顔して。お父さん(メドウ)と同じ痛みをあげただけだけど?」
「私が斬ったのは……腕だけだ……!」
息も絶え絶えに叫んだ彼にフウはわざとらしく驚いて見せる。
「へぇ~、メドウとレナリア(ふたり)を殺しておいてそんなことが言えるんだ?」
「ぐっ……」
朗らかな表情とはまるで逆の寒気がする程に冷たい声音と殺気に気圧され、ファルドは言葉を失う。
「と言うかねぇ、実のところ。私は最初からお前らを殺す気なんてなかったんだよね」
さも当然の事であるかのように少女が溢した言葉に、ファルドとサイラスは怪訝の色を浮かべる。そんな彼らの様子を至極面白そうに眺めたフウは愉しそうに笑った。
「ふふふっ♪ だって――直ぐに死んだらつまらないでしょ?」
細められた碧い瞳が爛々(らんらん)と光り、狂気が滲む。
「確か、次期国王とされているご子息は今第一王軍長さんと国外演習中なんだよね? と言うことはお前ら二人にはこの後、国王暗殺の責任と殺害の嫌疑がかけられる訳だ」
フウの口角が吊り上げられ、三日月形に割れる。
「何を──ッ!?」
「私はね、死ぬことより、生きることこそが苦しみだと思ってる。まあ本当はお前の妻子の首でもお土産に持って来られれば良かったんだけど……時間もなかったし仕方がないよね」
小麦がなかったからライ麦を食べるのだ、とでも言うかのような軽々しさで言ったフウ。ファルドはその言葉は勿論、行動の意図を理解するや否や驚愕を通り越し恐怖と戦慄に襲われた。
このルベルタ王国が三大列強であるグランベル大帝国の帝国連合下で誕生したのは、つい数十年前の事。当時は国を名乗ることさえ出来なかった属領が、試験的に間接統治下に置かれることを許されたのだ。国をあげ商業、農業、そして軍事に力を入れここまで発展を遂げたルベルタ王国の成長は連合主要の国々にとっても驚くものだったらしい。
その飛躍的な成長は一重に直ぐそこに転がる首の主、現国王だった彼の貪欲かつ挑戦的な気性が吉に働いた故の成果であったと言えよう。
だがそれはルベルタ帝国の背後にかの大国、グランベル大帝国がついていたからこその功だった。この少女が言った通り、彼は……いやこの国は順調すぎる程の成長に慢心していたのだろう。
国王である彼と国は見誤っていたのだ、今この場にいる『銀の民』にとって、かの巨大な帝国の影など無意味であったことを。
「くっ……そ……!!」
ファルドは残った左手の拳を床の血溜まりに叩きつけた。
『銀の民』を捕らえる命が下されたことは、ファルドにとって本当の意味でのチャンスなどではなかったということ。国王からの勅命が下ったその瞬間に彼は各王軍長四人の中で唯一、退場を示す泥玉を受け取ったも同然。
元国王の側近であるサイラスは第一王軍長、そして子息からの信頼も厚く酌量される可能性が高いが、ファルドはそうもいかない。
同じ王軍長という立場であり、また貴族階級のみの王国軍主導を強く主張する第一王軍長が、平民出身のファルドを無条件に酌量するとは思えない。国王殺しの責任、状況によればその罪までもを被せ始末する可能性だって十二分にある。
まさかとは思っていたがこの少女は、いや――この少女の姿をした悪魔はそれを想定した上でこの暴挙に出ていたのだ。
ファルドは傍らで声高に笑うフウを畏怖と憎悪の混じり合った目で見上げた。
「あははっ、隣国勝利に貢献した平民上がりの英雄が瞬く間に国王殺しの反逆者とは! 仮に助かったとしても、第一王軍長に大きな借りを作ることになる。どちらに転んでもお前はこれから人としては勿論、戦士としても屈辱的な時間を過ごすことになる訳だ、全く傑作だねえっ!!」
「この、悪魔がッ……」
歯を食い縛りファルドが呟いたその瞬間。ぴたり、とフウの笑い声が止まった。
狂った様に愉悦で歪められた笑みは一転、冷たく引き締められる。
「はぁ?」
その蒼穹は無機質で、どこまでも透き通るようでいて。しかし、深く孤独な狂おしい程の哀しみに満ちているようでもあった。
「……私が悪魔だって?」
先程のものとはまた違う、だが恐ろしい程に歪んだ気がフウから滲み出されるが、それは一瞬で消え失せる。
「それは違う。じゃあ何故お前達は『銀の民』を殺した。私達が何をしたと? 私達に力があるから殺そうとした? メドウは……お父さんは何もしていない。ただ私たちを護りたかっただけ。お前達はその想いを利用し、踏み躙った。悪魔は私たちなんかじゃない、お前達の方なんじゃないの……?」
狂気と慷慨に塗れた瞳からは大粒の涙が溢れていた。
その叫びは悲痛で孤独で切実な、ただの無力な一人の少女の懇願のようだった。
――が、
「…………ふふっ、はははっ。あはははははははっ! なーんて、私は悲劇の主人公を演じるつもりはないし、人情的な仇討ちなんてのをするつもりもない」
ただね、――と言うと少女は両腕を広げ白雷を仰ぎ、心の底からの恍惚とした笑みを浮かべる。
「私は『真実』とかいうモノが知りたい。そして大切なものを離したくない。それを邪魔するなら誰だろうと殺しに行くし、そのためなら何と罵られようが構わない。それはお前ら個人は勿論、軍や国、神であろうと同じことだよ」
背中越しに振り返った藍玉の瞳が細められたと同時、玉座の間は炎に包まれた。
「き、貴様っ! 殺しはしないと──」
「うん、言ったよ。だから生きてるよね?」
「……は?」
自ら城に火を放っておいて、この少女は一体何を言っているのだろうか。言動が酷く矛盾しているその様に加え、突如放たれた蒼炎に囲まれたファルドとサイラスは半ば混乱状態に陥ろうとしていた。
「だから、私はお前達をこのまま置いて出て行くよ? あー……」
と、言いよどんだ少女はやっとその意味を理解したらしい。
「そうだね。落ちてきた瓦礫に潰されて死ぬかもしれないし、火に巻かれて死ぬかも知れない。
でも確実に殺されるしかないより、生き残れる希望があった方が人は生きようと足掻いてしまうものじゃない? 生死を運に任せるというのもなかなかに趣があるし、もう生きるのが嫌になったのならそこら辺の炎に飛び込むだけで世界とおさらば出来る。まあ、その場合残された妻子がどうなるかは自明だとは思うけど。さ、これで納得した? 私はお前達の生死をお前達自身に任せてあげると、そう言ってるんだよ」
人助けをしていると信じて疑っていないかのような口ぶりと笑顔に、ファルドとサイラスはいい加減気が触れてしまいそうな心地だった。
「じゃあね、精々死ぬまで愉快な人生を」
少女は再び表情を一転させ、凍えるような狂気で二人を射抜くとバルコニーから飛び降りた。
蒼焰に包まれた死体と血で赤く染め上げられた玉座の間。
「…………狂っている」
サイラスの震える声が、雷炎の轟音に飲み込まれた。




