二十五話 適度な運動は役に立つ
「フウ、ごめん」
所変わって宿屋の一室。
全身、特に上半身の衣服を焼き焦がしたスイが土下座をしていた。
その姿をベッドに座りながら見下ろすのは、この上なく不機嫌そうな顔をしたフウ。僅かに濡れた銀髪は桜色の光を一層濃く帯び、首には夕オルがかけられている。
「別にさ、人酔いして吐くのは構わないよ? 私だって酔ったから。でもさぁ?」
頭上から発せられる圧力にスイの身体がびくりと震えた。
「ひぃっ」
首根っこを掴まれ、猛烈な力で顔を上げさせられると、目の前には恐ろしいほどに可愛らしい笑みを張りつけたフウの顔があった。
「人にゲロを吐きかけるのはど・う・か・と思いますがねぇ?」
「……ごっごごご、ごめんなさいぃぃ……」
スイは震えながら謝る。
だがその一方、心の中であれは不可抗力ですと涙ながらに叫んでいた。というより結果としてはフウに被害はなかったのだ。
人混みで酔ったスイは確かに画的にモザイクなものを吐き出してしまったが、それが運悪く足元にいたフウに浴びせる形になってしまっただけ。
それに気づいたフウは半ば発狂状態でモザイクのシャワーごとスイに炎をぶっかけた。よってきらきらモザイクは熱で蒸発、燃焼、消滅し、スイは皮膚がなくなる威力の烈火を顔面にたっぷりと浴びることになった。
ただしこれは通常の人間だった場合。
術者であり更に『銀の民』であるスイは、見た目こそ酷いことになっていたが軽度の火傷で済んでいた。
その後にフウはスイを腹パンで気絶させ宿屋に駆け込み、真っ先にシャワーを浴びたのだ。きらきらは一滴たりともかからなかったと言うのに。
そしてスイが目覚めるとご立腹のフウが見下ろしていた、という訳で。
「ごめんなさい?」
なんだっけ、それ? とばかりにフウは首を傾げる。
輝く銀の髪がさらりと肩から零れる。
「そんな言葉ひとつで事が済むなら、この世はもっと平和ですよー。お・兄・ちゃん♪」
にこりと一層明るく笑いかけられ、頬が緩みかけたのも束の間。
次の瞬間にはこの上ない程の嗜虐めいた笑みに変わり、腹を蹴り飛ばされた。
「だっ!?」
受け身も取れず、スイは部屋の壁に背中から激突。当然ながら息が詰まる。
痛みに顔を歪めながら片目を開けると、ベッドの上に立ったフウが好戦的な笑みを浮かべていた。
(ああ、そーいうことですか)
これでも家族として六年、共に暮らしてきたフウの意図をスイは即座に理解した。
フウの周囲に無数の焰火が一瞬で展開される。
透き通る燐火に照らされる、藍玉の瞳を携えた白銀の少女。
そんな幻想的な光景を呑気に楽しむ余裕はなかった。
「行くぞぉおおっ! 実刑『炎の千本ノック』ぅぅぅうっっ!!」
「あぁあぁぁぁっっ!!」
こうなればもうヤケクソだ。
ただでさえ遊びたくて仕方がないらしいフウは、絶好の機会を見つけたと言わんばかりにボールに見立てた大量の焰を浴びせかけてくる。
スイは白雷を両手に纏い二刀流、猛スピードで飛んでくる超魔球を一つ残らず打ち消していく。
室内はさながら、蒼く輝く高速球が飛び交うデッドバッティングセンターと化していた。フウの炎球が部屋に引火しないよう、スイは死に物狂いで白雷を振り焰火を昇華させまくる。
宿屋の一室で大騒ぎする二人の雄叫び、時々爆発音は、幸運なことに賑わう王都では誰にも気づかれなかった。
「だっふあぁぁ~っ……」
『炎の千本ノック』――フウは本当に千本飛ばした――を命懸けで打ち終えたスイは、千本目の焰火を消すと同時にべッドへ倒れ込んだ。
人酔いとゲボった疲労が相まってか、三秒と経たぬ間に微睡み始める。
「ぬぬ、ぬぅ…………」
そしてノック終了から五秒が経過する頃には、スイは毛布に顔を埋めて眠ってしまっていた。
「おおおおお、お兄ちゃん!? まだ昼前だよ起きなんせえーっ!?」
とは言ったものの、その声はいつも程の大きさではない。――始めからこのつもりで、フウはスイを付き合わせていたのだから。
彼の眠りが深いことを確認するとフウは首にかけたタオルを取り、アグスティで新調したフード付きの外套を羽織った。
「さて、ひと仕事といきますかっ」




