十五話 変わらぬ灮は直ぐ傍に
「ただいま~って着替えはやっ!」
スイがランプを持って帰ってくると、着替えを済ましたフウがいた。
「おかえり~ついでにシャワーも浴びてきたよ~」
「ええっ!? 速すぎる!」
確かによく見ると、銀色の髪は濡れていて水滴が少し残っている。
「ふっふっふ凄いだろぉ~? ふっふっふっふ……」
「え、恐い。大丈夫かな……フウの移動速度が速すぎて恐い」
「えぇいだまらっしゃい! 今朝から全身血生臭さが抜けきらなくて早く洗いたかったんでぃ! お兄ちゃんもとっとこ洗ってこーい!! シャワー室は廊下出て直ぐ左の階段降りたとこ!」
「血生って……あの後ちゃんと洗ったのにまだ気になってたの?」
フウに背中を押されながら問うスイ。と言うのも、アグスティへ来る前に返り血やら何やらで真っ赤になってしまった身体を川で洗ってきたばかりだったからだ。
幼い頃から鼻が利くフウは気になるのかもしれないが、スイはもう少しゆっくりしてからシャワーに行きたい気分だった。
「モチのロン。しかも私よりお兄ちゃんの方が結構クサイデェス」
「ガーン」
スイはその台詞通りの脳天を叩かれたようなショックを受けた。フウに悪気はないのだろうが、そんなはっきりと悪怯れもせずに言われると結構来るものがある。
「えぇ……僕、フウの半数くらいしか相手しなかったのに……」
「あ、そうなの? えっ、えっ? ちなみにお兄ちゃんの時は何人くらいいたの?」
興味津々といった具合にフウは身を乗り出した。
「へ? フウ、まさか相手の数も分からないで戦ってたの?」
「え、うん」
こくりと頷く。
「え? 数えようとかは思わなかったの?」
「……うん。数なんてまとめてぶっとばせば一緒だし、どうせ皆殺しにするんだから別にいっかなって!」
少し考えて首肯すると、自信満々でガッツポーズを返す。
「えぇ…………」
そんなフウにスイはすっかり困惑しきっていた。
大人数の戦闘において、まず初めに相手の数を把握するのは当たり前のこと。実際にスイはラルドの隊を壊滅させる際、自然にではあったが一人も逃がすことのないよう全体数と小隊の数を見、注意しながら戦っていた。
戦いにおいてそういうことが苦手なフウとはいえ、兵団のおよその数え方は教わったのでそれくらいは知っているし、やっていた筈。しかし目の前のフウの表情からして、からかっていたり嘘を言っているようには見えなかった。
どうやらあの時のフウは本当に数や相手の隊構成を気にせずに戦っていて、結果的としてあの数の兵を一人も逃がすことなく殲滅をやってのけたようだ。
しかも運が良かったとか、無意識のうちに把握していたというものではないだろう。桁外れに多いその術力量に物を言わせて、強引にやってのけてしまったことになる。
(我が妹ながら、恐ろしい……)
掃滅を行う際の様々な問題や難点を力業で捻り潰した妹に寒気さえ感じ始めたスイは、頭を振って一旦思案の海から己を引き剥がした。
「あの時フウがやったのは、……少なくとも約六個中隊分はいたよ」
「…………ウソだあ~っ。確かにうじゃうじゃしてたけど、千人以上はないって! またまた大袈裟だな~お兄ちゃんは~!」
何故か覚めた目であしらわれてしまい、スイは必死に反論する。
「いやいやいや!! 嘘じゃないってば! 夜営所の規模からしてもそれくらいの人数がいたってことくらい分かるでしょうが!!」
「あ、確かに」
思っていたより素直に認めたフウだったが、そのまま口を半分ほど開け、何故かぼーっとしている。
(あ、ヤバイ。この次くるぞ)
そんなフウに、彼女と六年間を共に過ごしてきたスイの直感が警鐘を鳴らした。
「ええぇぇっ……んむ~っ!?」
「ダメダメダメダメっ!! 大声出さないで! 他の人に迷惑だから静かに~!」
大声で叫びだしたフウの口を秒速で抑え込み、何とか黙らせることに成功したスイ。
だんだんだん、とベッドを叩く音が聞こえたのでそっと放してやると、落ち着いたようだった。
「はぁ~びっくりした。え、私そんなに大勢を相手にしてたの?」
「いやびっくりしたのはこっちだよ、いろんな意味で。あといきなり叫ぶの止めてくれないかなぁ、心臓に悪い……」
スイは胸を抑えながら苦笑する。
「んん、気をつける。……ってことはお兄ちゃんは、私が寝てた間に三個中隊、六百人くらいを相手にしてたってこと?」
フウが手をぽん、と叩いた。妙にどこか得心のいったような様子で。
「大体はね、実際はもう少し少なかったけど」
「へぇぇ~」
フウが笑っている。この勝ち誇ったような笑みはきっと、スイよりも多くの人数を相手にしたことに対してのものだろう。
「お兄ちゃんのは私の半数だったのかぁ~」
「……はぁ」
とても楽しそうに、すごく嬉しそうに話し出す。スイに止める気はなかった、というより止めると純粋に恐ろしい目に遭うのを知っているからなのだが。
「なのに、私より血の臭いがするのか~」
いつも毎度のことであるがフウのこの人を見下したような笑顔は、人の神経を逆撫でするのに持って来いの代物だとスイは思った。
「いや、だってフウは全部燃やしてたよね。僕は白雷中心に斬ってたから……」
手負いのフウを庇っていてそれどころではなかったことも言いたかったが、傷ついていた彼女を理由にするのはお門違いだとスイは言葉を飲み込む。
普通に考えれば、六個どころかか三個中隊でさえ相手に、たった一人で戦うこと自体があり得ない。その上、一方的な虐殺になったり、殲滅するなんて常識外れも良いところなのだが、不思議と二人はそんな異常な状況を軽く受け入れられてしまっていた。
「……ぷっ、あははははっ!」
と、先程のスイの言い訳に対して煽るような顔をしていたフウが唐突に笑いを吹き出した。
「も~何だよ全く、そんなとこ遠慮しなくてもいいのに! 私を庇ってくれていたからなんでしょ? 私はお兄ちゃんのことを気にしなくてよかったから、思いっきり戦えたんだよ。それくらい分かってるって、からかってごめんね」
「あっ……」
スイは言葉を失うと共に失念していた己に赤面した。
フウはスイに対して礼を口にする前、何故かからかうような素振りを見せるときがあるのだ。もう今までに何回も引っかかった流れ。そうなることはもう分かってもいい筈なのに、結局スイは毎回弄ばれてしまっていた。
「とぅっ!」
「っわぁああ!?」
またしてもやられてしまった、と顔を手で覆っていたスイの隣に、助走をつけたフウが飛び込んできた。そのままスイの両腕を掴んでベッドに陣取ると、銀色の瞳を下から覗き込む。
「だ~か~ら~! 私があんな大群をやっつけることが出来たのはお兄ちゃんのお陰だって言ってるの! 私が気絶してた時も、ただ家で泣いてた時も、必死に戦って守ろうとしてくれた。手を引いてくれた。それにね、あれはお兄ちゃんがちゃんと自己防衛をしてくれてたから、私は遠慮なしに全力で戦えたの」
そうしてフウはベッドから飛び降りるとスイの目の前に立ち、照れくさそうに目を細めた。
「だから、ありがとう。お兄ちゃんがいたから、私は今ここにいられるんだよ」
そう言ってくひひと笑うフウがどうしてか酷く眩しく感じて、スイは頬を緩めた。
――今回も、彼女は自分の心を見透かしていたのだろうか。
それは心のどこかでフウから欲しかった言葉、本来はスイ自身が先に言うべきだったものだ。
「相変わらず、僕はダメだね……フウには先を越されてばかりだ」
気の抜けた彼らしい表情で、スイは少し後ろめたそうに言った。
「ふひひっ、そんなことないよ。お兄ちゃんがいつも考え過ぎなだけなんだから」
「ええっ!? そうかなぁ……。でも僕の方こそ、本当にありがとう。フウ」
何が、とフウは聞かなかった。
それはかえって彼女自身が聞きたくないことのようでもあり、そんなフウの笑顔は何故かとても晴れやかだった。
「じゃあ、僕はフウ曰く血生臭い身体を洗ってくるね」
そう言って着替えを持ったスイは立ち上がった。




