簡単に今より面白い小説が書けるようになる方法
第一に、詰らない小説を書くことに、真に心の底から無意味さ、みたいなモノを感じる事です。
人は本当に無意味だと感じる事はできなくなり、それでも強制的に書くという行為を行うのであれば、
観測者である書き手という主観にとって、決して無意味ではなくなる、つまり面白いと思えるレベルになります。
それは無意味で無くなるレベルであり、その心の底から無意味と思えるハードルを最大値にする事によって、
最大値で面白い小説が書けるという事です。
さて、その無意味さの段階として少々具体例で上げてみましょうか。
1、書籍化できるレベルでないと、書く小説には意味がない。
これは考え易いでしょう、考え易いとは、明確に心の底から無意味だと強く感じ易いという事です。
できれば確信の領域で無意味だと感じれた方がいいので、これは重要な要素なのです。
それに、この無意味さのハードルならば、書籍化するまでずっと無意味さを感じ続けられますので、
ハードル達成した後の無気力症候群や、モチベーションの低下なども防げて、これは優秀な無意味さの定義に成ります。
2、商業でガンガン勝負できる、ガンガン売れて行けるレベルじゃないと意味がない
これは相当に高いハードルですが、こういうのが逆に一番燃えるような感じになりませんか?
本当に自分を追い詰めないと燃えない、そういう勝負心の強い人ならば、こういう過度に極端な方が良いのかもしれない。
3、とにかく広い人に読まれて、広い人に楽しんでもらえないと無意味。
これはスケールの大きさを、簡単に数字を取れないと駄目だと考えるタイプです。
沢山の人に読まれて沢山の人々に貢献できないと我慢できない、認められない、妥協も許せないと考えるのです。
4、とにかく深く深く読まれたい、少数でも良いから深く楽しんでもらえないと意味がない。
これは3とは逆パターンみたいなモノです、広く浅くよりも深く愛されたいみたいなイメージだと分かり良いです。
極端に言えば一人でも良いから、自分の小説を深く読んでもらってもらいたい、という感じです。
さて色々上げましたが、これはあくまで例題です、それぞれの個々人が最も無意味だと感じれるイメージみたいなのが肝要です。
初めにも言いましたが、人間は本当に心の底から真に無意味だと感じれるレベルの事は絶対にできなくなります。
なぜならを説明するまでもないのですが、一応説明しておきます。
これは人間に対する思い込みでもありません、著者が信じる精神論でもありません、
ただ単純に脳の機能、安全装置としての性能であり、脳の根底を成すモノでしかないからです。
もし本当に無意味だと思える事を、人間が簡単に実行できていれば、果たしてどうなりますか?
現実はどう推移して、実際の現実はどうなるでしょうか?
一言に言って生きている世界が全くもって違うモノになってしまうでしょうね。
全てが崩壊して、何もかもが消滅するのは確定的に明らかですよ?
人間は簡単に自殺を実行するし、一時の感情で他人を殺すでしょうし、核兵器のボタンを簡単に押しますし、
その他いろいろ、人間が無意味な事ができると仮定するなら、そのようにこうなるのです。
だから、人間は無意味な事が絶対にできない、という長い歴史に裏打ちされた確たる証拠があります。
眼前に広がる世界の全て、貴方自身を含めた全人類の存在の全て、全てが全てが証明以外の何物でもありませんから、
神秘的に奇跡的に存在する存在の全てが、貴方が無意味な事を絶対にできない、そういう話をしているのですからね。
そう、だからこそ、
今眼前において展開されている、自分の書く小説が、無意味だと思えれば、
それは無意味じゃなくなるレベルの高次元なレベルまで、強制的に昇華、進化、ほとんど自動的に、
何も考えなくても良いレベルで全自動的に、奇跡的になるのですね。