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魔球

ボールは右に大きく曲がった。

「魔球だ!球太」父親は自慢げに子供に向かって魔球を投げた。


「魔球だ、魔球だ、ボールが曲がるなんてすごよ」球太は父親が投げたボールを取り損ね、後ろに転がるボールを追っかけながら叫んだ。


「お父さんはボールにこうして魔法をかけるんだ」父親はボールをギュツ、ギュツと二回強く握ってから、3回息を吹きかけた。そして、ボールを持った手を真っ直ぐ前に突きだした。


球太と父親は、自宅の文化住宅から5分ほどの所にある公園の運動場で日曜日はキャッチボールをするのが決まりごとだった。そして、必ずキャッチボールの終わりに父親は球太に魔球を投げて終わるのが二人の約束だった。


「父さん、僕にも魔球を教えてよ」そのたびに球太は父親に魔球の投げ方を教えてほしいとせがむのだった。


「ダメだ、子供に魔球は教えられない、なんせ、魔球だから夜、球太が寝ているところに悪魔がきたら怖いだろ」小学2年生の球太にとって、悪魔が何かもあまりわからなかったがそれ以上はせがむことはできなかった。


中学校に上がる頃、いつのまにか父親とキャッチボールをすることはなくなったが、球太と名付けた父親の思いは、子供に強く伝わり、球太は、中学、高校と野球の強豪校に推薦で入学し、甲子園で投手として球太の名前は一躍有名になった。


球太も父親の投げていた「魔球」のことはいつしか忘れていたが、心の片すみにはあの大きく右に曲がる「魔球」が脈々と息ずいているのだった。


ドラフト会議で、優勝回数最多のセ・リーグの球団に1位で指名され、新人賞、最多勝と日本のトップクラスの投手に成長した。プロ野球はそう甘くはなく、重ねた年齢は、投球に技の味付けをするのと同時に、筋肉の衰えをも加えていった。


シーズン20年目を迎えた球太は開幕の時から、今年で最後の年になると覚悟していた。投球機会も少なく、負け試合での登板も多くなっていた。しかし、チームは開幕から好調で首位を争う戦いをしていた。2位のチームとはもつれにもつれ、2位チームとのリーグ最終戦が優勝を決める試合となった。総力戦となった戦いで、投手層の厚くない球太のチームは、有力な中継ぎ、押さえをことごとくつぎ込み、5対4と一点差でなんとか9回裏を迎えた。

最後のリリーフと思われていた投手は二死満塁、3ボール、2ストライクでまさかの右太もも肉離れ、まさかの大ピンチ、ここで抑えればリーグ優勝となるのだが、残る投手は球太のみになっていた。監督は球太を見た、球太は大きくうなずいた。監督の口から球太の名前が審判に告げられた。


マウンドに向かう球太、「あ〰あ」と球場に響く観客の落胆の声が球太の耳にも聞こえた。


試合開始の一時間前、母親から急の電話があった。父さんが仕事中に脳梗塞で倒れたとの電話だった。野球人生最後になるであろう試合、病院に行かなくても父親は許してくれるだろう。母親は電話の向こうで「そうだね」と涙声でいった。


まさかの登板。最後になるであろう一球。球太はマウンドに立ちじっと目を閉じた。小学生の頃の父親とのキャッチボールが浮かんだ。「魔球だ、球太!」はっきりと父親の声が球太に聞こえた。

球場はこの一球に固唾をのんで静まり返った。バッターは右ボックスで大きな構えを見せ、球太を睨みつけた。


「魔球だ、球太!」再び、父親の声が聞こえた。魔法のかけ方が突然に球太の脳裏に甦った。


「父さん」球太はボールをギュツ、ギュツと二回強く握ってから、3回息を吹き掛けた。そして、おもむろにボトルを持った手を真っ直ぐに前に突きだした。その姿に球場のすべての人の視線が釘付けとなった。そして、しばらくの沈黙、そのあと、球場が大きくどよめいた。


ボールは、バッターに向かって投げられた。真っ直ぐの打ちごろのコースの球だ。バッターは歯を食いしばり、バットを鋭く振りだした。誰もが、レフトスタンドに打ち込まれるものと思った。バットが空を切った。誰もが今起こったことを信じることができなかった。


バットがボールに当たるまさにその瞬間、ボールは右に大きく曲がり、バッターはヘルメットを後ろに大きく飛ばし、しりもちをついていた。一瞬の静寂、その後、大きく球場に歓声が響き渡った。


球太の耳には、歓声は聞こえなかった。ただ、「球太、よく頑張った、すごい魔球だったよ」のやさしい父親の声が聞こえているだけだった。


終わり

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