第79話 怖気
我はゴーレムなり。
老人のおかげで港町での目的のうち、すでに2つが終わってしまった。眼帯と手袋を取りに行く必要はあるけど、かなりスムーズに物事が進んでいる。
こんなに物事がスムーズに進んだことがあっただろうか。逆に少し不安になるね。
ギルドから街の中心に向かってしばらく歩いていくと老人の家に着いた。結構大きい一軒家だ。家の前には庭もある。手入れのされた芝生と花壇には花が咲いている。
「ここがワシの家だ。滞在中は自分の家だと思ってくれていいからの」
『ありがとう。世話になる』
「ありがと」
老人の言葉に、我は頷きながら感謝を述べる。それをハクが言葉に出して、老人に話してくれる。うむ、なかなか円滑なコミュニケーションだ。
老人が「帰ったぞ」とドアを開けると、家の中から一人の老b
!!?
我は突然、怖気に襲われる。きょろきょろと周りを見ても異常は無い。ハクがどうしたとこちらを見てくるが、ハクには変わった様子はない。どうやら、怖気に襲われたのは我だけのようだ。
家の中から老b
!!?
ううむ、やはり、怖気に襲われる。
我は目の前にいる老b
!!?
間違いない。我は特定の単語を思い浮かべようとすると、突然怖気に襲われてしまう。目の前にいる老、いや、女性に目をやるとにこりと我を見てほほえんでいる。なんだろう、ちょっと怖いんですけど。我の気のせいだろうか。
老人が「どうかしたか?」と聞いてくるので、我はなんでもないとふるふると首を振る。
「これがワシの連れのアスーアだ。見ればわかると思うが人間だ。アスーア、今日からしばらくの間、ゴーレムと獣人の嬢ちゃんを家に泊めることになったからな」
「ちゅちゅ!」
(ボクもいます!)
と、ないわーポーチから、ジスポも顔を出す。
「それとソフティスマウスが一匹だ」
「まぁまぁ、かわいらしい子達ね。よろしくね。お名前はなんというの?」
我がハクに名前を伝えてと告げると、ハクがこくりと頷き、指を差しながらぽつぽつと名前を伝えてくれる。
「ゴーレム」とハクに紹介され、我は会釈をする。
「ハク」は自分を指さして名乗る。
「ジスポ」と紹介されて、ジスポはちゅちゅと敬礼をしている。こやつの中では今、敬礼がブームなのかもしれない。
老、いや、アスーアはにこりとほほえみ、よろしくねと挨拶してくれた。
◆
その後はアスーアの手料理を振る舞ってもらうことになった。我は食べられないけど、皆と同じようにテーブルのイスにちょこんと座っている。
ハクは右手でなんとかフォークを持って、左手で持ち上げているお皿から料理を口の中にかき込んでいる。もぐもぐと口を動かし、美味しそうにご飯を食べている。ハクはよく食べるのだ。成長期なのかもしれない。我はハクの口の周りについている汚れをおしぼりでぬぐう。ジスポもハクに負けずがつがつ食べている。こやつは相変わらずだ。
老人もアスーアも目を細めながら、食事を口へと運んでいる。
「明日からはどうするの?」とアスーアが聞いてきた。我はハクに通訳を頼み、明日からの予定を伝える。
『ハクに冒険者としての経験を積ませたいと思っている』
「私、冒険者、の、経験つむ」
「まぁ、ハクちゃんは冒険者なのね。でも危なくない?」
『我がいるから大丈夫だ』
「大丈夫」とハクが答える。
「うーん、ちょっと心配だけど、クエリ、あなたがついているんでしょ?」
「そのつもりだ。この2人だけでは心配だからの」
「なら、大丈夫かしらね」
あら、あんまり信用されていないみたいだ。実績がないから、老人は心配しているのかもしれない。これは、我がちゃんとできるんだぜってところを見せないといけないな。
「ああ、そうだ。お嬢ちゃんは文字が書けないらしいんだ。お前から教えてやってくれないか?」
「あらあら、そうなのね。じゃあ、私が教えてあげるわ。少し前まで、子供達に勉強を教えてたのよ」
おお、老人が良い提案をしてくれた。アスーアも乗り気みたいだし、ぜひ教えてもらおう。ハクがどうすればいいと我の方を向いて首をかしげてくる。
『お願いします』と我が頭を下げると、ハクも同じように「お願い、します」と言って頭を下げる。
「ええ、がんばりましょうね」とアスーアは快く引き受けてくれた。
夕食の片付けは老人が1人でしてくれた。それがこの家のルールみたいだ。我も片付けを手伝おうとしたが、手出しを許されなかった。クエリの趣味なのよと、後でアスーアがこっそり教えてくれた。
◆
なんてこった。スパルタだ。アスーアはスパルタだ。
別に食後にすぐ文字の勉強を始めなくてもいいのに。我は今、ハクと並んで勉強をするはめになってしまっている。我は最初、アスーアがハクに文字を教え始めたので、横からへぇって思いながら見ていただけだったのだ。すると、我のそんな様子に気づいたアスーアが声をかけてくる。
「ゴーレムちゃんは文字を読めるの?」
我はふるふると首を振る。アスーアは「まぁまぁ、それじゃハクちゃんと一緒に勉強しましょうね」と我の前にも勉強道具を用意し始めたのだ。我は横から見ているだけでいいよと、何度も首を振っていたのに、「さぁ、さぁ」と勧めてくるアスーアには断ることが許されなかった。
つまらないなぁと思いながら、文字を書いて覚えていく。カメラがあったら楽なのに。
ハッ!? そうだ、カメラだ!
我は心のシャッターを切って記録していけば良いのじゃないか! 今なら読み込みもできるからな。へへへ。我ってば、賢いじゃないか。
さぁ、心のシャッターを切ろう。このお手本をパシャリと撮ってしまうのだ!
じーっとお手本を睨むが、いつまで経っても心のシャッターを切ることができない。
な、何故だ!? なぜ、我は心のシャッターを切ることが出来ない! 我の能力が失われてしまったのか!?
{ログ:【悟りしモノ】の効果により、動揺状態が解消しました}
落ち着け、セバスチャンとガイコツメイドの2人を思い出す。そして、心にその場面を焼き付ける。
{ログ:ゴーレムは心のシャッターを押した。執事のパワセクハラVer2を記録した}
おお、記録できた。我の能力が失われてしまったわけではないようだ。あぶないところだ。我が考察に励んでいると、ぽかっと頭を叩かれた。アスーアが丸めたお手本で頭を叩いたみたいだね。
「ゴーレムちゃん、急に動かなくなってどうしたの? ハクちゃんを見てみなさい! ずっとがんばってるわよ」
おっと、手が動いていなかったみたいだ。我はまたお手本を書き写す。もしかして、心のシャッターでは我の興味があるものしか撮れないのかもしれない。ナイスアイディアだと思ったのに。その後も文字の勉強が延々と続けられることになった。
ハクは結構楽しそうに文字を書いている。火傷のひどい右手ではなく、左手にペンを持っているので、どんな字を書いているのだと思い、ハクの手元をのぞき込むと、なかなかきれいな字を書いていた。少し、本当に、ほんの少しだけ我の字よりも上手いかもしれない。我はハクの字を見て、負けないように字を書き進めていく。
そんな勉強からようやく解放されたのは、アスーアとハクがお風呂に向かってからだ。
はぁ、もう、超疲れた。
ゴーレムになってから、初めてかもしれない。こんなに疲れたのは。風呂から上がってきたハクと一緒に、我らが使わせてもらう部屋まで案内してもらう。ベッドが二つある客間のようだ。それにしても、この家は掃除が隅々まで行き届いている。アスーアが1人ですべて掃除をしているのかね。すごいものだ。
ハクはベッドに潜り込むとすぐに寝てしまった。ちゃんとしたベッドで眠るのは久しぶりみたいだったからな。船旅が続いていたし、疲れも溜まっていたのだろう。
我は窓際で夜空を見上げながら、さきほどまで勉強していた文字をひとつずつ思い返していた。