SS第12話 大魔王と女神の取り決め
余は昔、大魔王と呼ばれていた。
魔界を制覇し、地上へも余の部下を送り込み、魔界と地上の両方をこの手に収めるまであと少しの所まで迫っていた。
人々が恐れ絶望の念を抱くほどに余の力は強まっていき、ついには神々と肩を並べるほどに強大となった。そしてついに余は魔界と地上の両方を制することになった。
次には天界にも兵を進めんとした際に、神々を代表する女神が余と交渉をし、1つの取り決めをした。そのまま攻め込むことはたやすかったが、あえてその交渉に乗った。女神達、神々が嘆き苦しむ様をより長く楽しむために。
期限は1000年。
余が1つの迷宮を作り、その迷宮に神々はあらゆる者たちを導き攻め込ませる。その間、余は地上を一時的に支配下から解放し、配下の者をすべてこの迷宮へと下がらせる。余がこの迷宮に攻めて来る者達をすべてを退け、絶望を与え、誰も迷宮に挑戦する者達が現れなくなったら、天界も余の前に膝を屈する。万が一、余が攻め込んできた者達に屈するような事があれば余は地上も天界も諦め、魔界に帰るという取り決めだ。
これは地上の者に力を与え、神々の代理として戦わせ、天界を戦場にしないための策であろう。それから余は強力なモンスターを、魔王と呼ばれる者達や神々でも封印するしかなかった邪竜の眷属をこの迷宮内に解き放った。
余は地上の者はもちろん、神々ですら攻略不可能な迷宮を作り上げた。いつしか絶望の迷宮と呼ばれるようになり、挑戦者はまれにしか来なくなった。
◆
久しぶりに勇者と呼ばれる者とその一行が、余の迷宮へ攻め込んできた。
勇者と呼ばれていようとたいしたことは無い。たったの50階程度で、パーティーのメンバーを失い、逃げ帰っていった。引き返す途中も迷宮内のモンスターたちに追撃をさせる。命からがら逃げ帰った勇者達は二度と余の迷宮に来ることはなかった。
◆
あと少し、あと少しで約束の1000年の時が過ぎる。女神との勝負はやはり余の勝ちのようだ。
「あなたもきっといつか絶望を知ることになる。その時あなたは初めて他者に対する思いやりを持てるようになるのよ」
女神が最後に負け惜しみを言っておったが、余が絶望することなどありえん。
◆
あと1年で、魔界、地上、天界が余の支配下になる。この退屈だった迷宮運営もようやく終わる。1000年もの期限を設けるのではなかった。
そんなことを思いながら、来たる日を待ちわびていると、銀色の小さいゴーレムが迷宮へと入ってきた。ふ、ふふ、ふはははは。もう神々にはたいした手駒がないようだ。最後にあのような者を送り込んでくるとはな。
すぐさま血祭りにあげてくれるわ。
◆
余は目の前の流れる水に映し出されている映像を見つつ低くうなる。このゴーレムは今まで攻め込んできた者とはひと味違うようだ。
一体のモンスターも倒さず先へと進んでいく。余の屈強なるモンスターが、たった1発叩かれるだけで、しっぽを巻いて逃げるのだ。このような光景を見たことはない。逃げるという選択肢など、この迷宮のモンスターには与えていないのに。
10階に配置した地獄カマキリの王の真空斬がゴーレムには全く通じていない。余でも真空斬を前にすれば防御をするのに、このゴーレムは全く防御もしようとしなかった。今までのモンスターと同じようにパシッと1発だけ叩いてゴーレムは下への階段を降りてくる。
余の手にはじとりと汗がにじんできていた。
◆
銀色のゴーレムがついに100階まで辿り着いた。今までこれほど深くまで攻め込んできた者はいない。この迷宮は1000階なので、余の元まで辿り着くことはあるまいが、このゴーレムはどこまで攻め込んでこれるだろうかな。
忌々しいことにゴーレムは100階のボスも1発だけ叩いて、下へと降りてくる。
◆
ゴーレムは何の問題も無く、まるで散歩でもするように迷宮を下へ下へと降りてくる。
230階あたりから、その階層のすべてのモンスターをゴーレムへと差し向けているが、少しもダメージを与えられていない。当然、迷宮のモンスターは階層が下になればなるほど強くなるのにだ。
このゴーレムは異常だ。
あれほどのモンスターに休むことなく攻められて、なぜダメージがない! なぜ疲れない!
余はこの迷宮を作り出して以来、いや、余が生まれて初めての焦りを覚えつつあった。
◆
250階以降は100階層でのボスと同じドラゴン達を束で襲いかからせたが、何の効果もない。いや、降りてくる速度が鈍ったという意味では効果があったが、ゴーレムには疲れやダメージがまったくない。
あのゴーレムと同じ事が余にできるだろうか。
くそ、なんとかしなくては。1000年の期限も今年までだというのに!
◆
魔王と呼ばれるモンスター達を束でかからせているのに、ゴーレムは相変わらず、ぱしっと1発叩くだけでモンスターを退け、先へ、先へと進んでくる。
なんだ、このゴーレムは。余の配下がまるでゴミのようだ。余には目の前の光景が悪夢にしか思えなかった。
そして、ついに700階までゴーレムが来た。あと300階層ほどあるが、すでに迷宮内にはたいした戦力がいない。ここまでにすべて蹴散らされてしまっている。
なんという理不尽な相手なのだろう。このような存在がこの世界に存在していいのか。
しかし、余の切り札、邪竜の眷属であ……あ、あああああああああああああああああああああ!!!
なんということだ!!? 邪竜の眷属の名前をいう暇もなく、瞬殺された!! あの神々が封印することしかできなかった邪竜の眷属が、だぞ!!?
いやいやいや、ちょっと待って。ちょっと待ってくれ!
あのゴーレム、光魔法使えるの!? 嘘だろ? ここまで物理攻撃しかしてなかったではないか! 邪竜の眷属を瞬殺ってあり得んぞ!!!
やばい、あのゴーレムは本当にやばい。ゴーレムがいる700階層からこの1000階層まで、あと300階層あるけど、手駒のモンスターがいないぞ!
ええええええええ、あれと余が戦うの!? 勝てるか!? いや、無理無理。普通に考えて無理。邪竜の眷属と余の強さは同じか、少し余が強い程度だ!? 邪竜の眷属と同じように一瞬で消されてしまうぞ!?
ふー、ふー、ふー。
やばいどうしたらいいんだ。考えがまとまらない。もう無理だ。天界とか、地上とかどうでもいい。今は命をつなげることを優先すべきだ。
ふー、ふー、ふー。余は頭を抱え込み、俯く。足下に拡がる水面に映る余の顔が目に入った。
そこには、今まで何度も見てきた絶望に満ちた顔があった。ああああああ、今までこの表情をしてきた者たちは今の余のような気持ちだったのか!!
女神の言葉が思い出される。
「あなたもきっといつか絶望を知ることになる。その時あなたは初めて他者に対する思いやりを持てるようになるのよ」
ああ、今の余なら女神の言った言葉がわかる。この状況を脱することができるなら、余はあまねく者達に慈悲を与えることができるだろう。
余は一枚の紙を手に取り、「もう勘弁してください」とただそれだけを書いた。そして、世界の理を無視した無限収納・時間停止のウエストポーチを宝箱に収納し、700階層にいるゴーレムへと献上した。
もしも、これでゴーレムが攻め込むのを辞めてくれるなら、余はすぐさま魔界へ戻ろう。この迷宮に攻め込んできている者がいる限り、余は撤退することができないのだ。このままでは余は死を待つほかない。
ゴーレムは宝箱を開け、ウエストポーチを手に取った。あれで満足して帰ってくれるだろうか。余の命運がかかっている。ゴーレムはウエストポーチを身につけたが、すぐさまウエストポーチが消えてしまった。
なんだよ!! あのゴーレム!!!
世界の理を無視したアイテムを何で消し去れるんだよ!!
ふざけるな!!
くそ、戦うしかない! とても勝てるとは思えないが、やれるだけの事をやるしかない!!
そう思っていたら、なんとゴーレムはダンジョンの外へと向かって歩き出した。余の思いが伝わったのだろうか、いや、そんなことはどうでもいい。
今は一刻も早くあのゴーレムを迷宮の外へと放り出さねばならん!
配下の者達をすべて遠ざけ、迷宮の通路も変更し、ひたすらまっすぐ出口へと迎えるようにした。このまま帰ってくれ!! どうか、このまま帰ってくれ!!
◆
本当の絶望とはこういうことだったのか。相手にやられて初めて理解できる。余は今回、初めて自分自身の無力さを知り、絶望を味わった。
もうすべてがどうでもいい。はやく魔界に帰ろう。今ならば、これからは少し他者に優しくなろうと思える。
◆
こうして、絶望の迷宮にいたすべてのモンスターと共に大魔王は魔界へと去って行った。




