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礼御は彼らが向かった先を目指した。
とは言っても、礼御が店の外に出たときには、すでにあの集団の姿はなかった。しかしどこに向かったかはおおよそ察しがつく。どう考えてもあの連中が物静かに自分らの感情を吐き出すことはないだろう。
だとしたら人目につかない場所に行くはずである。礼御が働いているカラオケ店は街中に存在しているのか、その逆なのか判断しかねる場所にあった。
酔った客がちらほら。近くに飲み屋が点在しているのだが、少し歩けば大きな川に辿り着く。あのコスプレ好きな妖怪も上り下りを繰り返し、きっとこの流れで泳いでいることもあるのではないだろうか。
そのため礼御はその川の辺りに向かった。そして思い出す、いざこざにおあつらえ向きな場所。川にかかった橋の下である。街から離れつつあったことで、礼御の視界は月の明かりを頼りにしていた。その月明りも薄らと照る夜光も、橋の下まで届きはしない。
大気に残った熱が自ら発するものと混じり、礼御の身体からはじっとりとした汗がにじむ。この後も勤務時間が残ってるのに、この恰好で仕事とはなんだかな、なんてことを苦笑いで思う礼御であった。
そして考えたくもない人影が礼御の目に入る。思った通り場所は橋の下で行われているようだ。しかし―――。
礼御は河川の自然堤防の上につくられた狭い道路を走っている。その影が見えたとき、とっさに彼はその堤防から駆けおり、救助のためスピードを上げた。
自分の呼吸音が耳に入り、地面を踏む音が足から体内に伝わる。そして徐々に速度が落ち、それと反比例するように礼御の視界は暗闇の状況を把握するのだった。
「……あぁ、さっきの」
ただ一人突っ立っていた者から礼御にそう声がかけられた。礼御は一瞬その声の主を見るだけで、やはり惹きつけられるのはそれ以外の者達の様子であった。
予想だにしなかった光景に絶句する。
いや、予想しなかったと言えば嘘である。礼御は少なくとも彼から見え隠れしていた異常性を見抜いていたのだから。けれどもそれは予想と言うより妄想でしかなく、十中八九、一方的な暴力が執り行われていると思っていた。
しかし現状から察するに、十中の一二が正解だったようだ。
「お兄さん、何しに来たの?」
呆然とする礼御に対し、彼はぼんやりとそう尋ねた。
「お前、一体……」
ようやく礼御の頭は現場でなく、現場を引き起こした張本人に重きをおいた。
彼―――もはや言わずもがな。あの達の悪い学生集団に喧嘩を売った少年である。
「お前……何をしたんだ?」
礼御が少年に向かい問うたのも当然であった。もしも少年が格闘技の達人で素人相手に負けることがなかったというのなら分かる。辺りでは気を失った者が倒れ、また痛みから苦しみの呻きを上げていることだろう。
しかし礼御の目に広がる光景は、はっきり言って人のなせる技ではない。そう、やはりこいつは魔術師なのだ。何か一般人では想像することもできない手法をとったに違いない。
そのように礼御を思わせた現場である。少年が一人立ち、男子学生らは彼を取り囲んでいた。彼らの格好は様々である。倒れている者もいれば、ペタンと座り込んでいる者もいる。
しかし何より彼らの表情が異常だった。皆口を半開きにして目が虚ろである。魂を抜いた人間がどうなるかという問があれば、礼御は間違いなく今の彼らのような人を解答に挙げることだろう。
「……お兄さんさ、見ちゃいけないモノを見ちゃったね」
少年は礼御の質問に答えることなく、ただ自分の思ったことを一方的に伝えてくる。
「なんだか、せっかく俺を助けに来てくれた人なのにな。……えっと、うん、申し訳ない」
それを聞き礼御はじりじりと後ずさりしてしまう。少年は滑らかに身体を駆動させ、目の前に座り込んでいた学生の一人をやんわりと蹴った。それに抗うことなくその学生は地面に頭をぶつける。
少年の手には一本のナイフが握られていた。刃渡りは二十センチもないくらいだろうか。その刃はひどくぼんやりとした白色であり、木の根が広がったような模様が浮かびあがっている。
「悪いね」
そうぼそりと発声した少年の顔は憐みのようなものを含んでおり、暗がりで隠すようにひっそりとそこにあった。
「……待てよ。お前は――――魔術師か?」
やっとのことで礼御の喉から出た言葉である。それに少年は分かりやすい反応を示すと、小さく微笑み―――右手に持ったナイフを自身の右太もも辺りに振り下ろした。
「なっ―――?」
何をしているんだ。そう礼御が思い、口に出す頃には状況は開始され過ぎていた。
少年はまるで心身を強化したあの女魔術師のように、つまりは礼御の身体が追いつかない速度で礼御の背後に回っていた。
一瞬の間。
すでに礼御の喉元には刃が突きつけられている。それが礼御の喉元に刺さるまでのわずかな時間、礼御は諦めたように自嘲的に思う。
おいおい。なんだよ、この状況。後ろからナイフで脅されるって。背後を取られるとか―――、背中を預けるとか、背中で別れを告げるとか、そういうのは漫画の中だけの話だろ。
そんな礼御の耳元でふと声がする。
「俺の名は世葉。魔術師、亜草根 世葉だ」
それはナイフの切っ先が礼御の喉元に刺さる合図でもあった。
礼御は小さく呻き、身体を支える筋肉が一斉に緩む。視界には黒色が広がり、頭の中には歪な白紙が紛れ込む。そして真っ白になった記憶には―――。
礼御は自身を刺した魔術師と名乗ったその少年を再度確認することもできぬまま、その場に倒れこんでしまうのだった。