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ビクリと顔を上げた礼御。そんな彼の目に映ったのは、彼より先にその声の主の方へ振り返っていた亜草根 世葉と、そして微笑んでいた水保の姿であった。
「み、水保さん!?」
驚き礼御は彼女の名を呼んだ。水保は「なんですか?」と、まるで何に驚いているのかわからない、といった返事をよこす。
それに身体を震わせたのは、無論世葉である。
「な、なんで動ける! 俺の魔術はまだ効いてるだろうが!」
すると水保は平然と言うのだ。
「それ、答えないといけません? 答えてあげるほどのことでもないでしょうに」
少年の身体に不要な力が入っていることがよくわかった。恐れからか、怒りからか。彼はジリと後退る。逆に水保は前に出る。ゆっくりと一歩、一歩。背中で手を組み、のんびりとした様子だ。
「水保さん、大丈夫なんですか?」
少年の疑問は礼御も同様に抱いていたのだ。それでも少年にはその答えが見えているのだろう。しかし礼御は単純にわからない。だからそれを尋ねたつもりで言ったのだ。
ふと、水保は立ち止まりニコリと笑う。
「もちろんですよ。あの程度のまがいモノに支配されたりしませんって」
「まがい……モノ」
礼御から見ればあれほど恐怖すべき魔術はないのだ。しかし水保から言わせれば――。
「確かに一瞬支配されましたけどね。それもでも、やっぱり一瞬でしたよ。外から支配されようと、内からそれを打ち破ったって感じです」
確かにまがいモノなのだろう。完璧ではない。効果が薄い。未熟である。そう言った意味を総称して「まがいモノ」と評するのだ。
気圧されていた魔術師が、しかしここで奮起する。彼にとって、その魔術は貶されては堪らないものに違いない。
「……ふざけるな」
始まりは静かな怒り。そして怒涛に吐き出される彼の想い。
「俺の魔術が……まがいモノだと? ……ふざけるな。ふざけるな! 誰ひとりとしてこの魔術具を使えこなせず、それでもそれを自分のモノにできた俺の、この魔術が、まがいモノ!?」
彼はナイフの切っ先を水保に向ける。
「本物だ! 俺の魔術は、本物だ! てめえみたいな人が馬鹿にしていいモノじゃねえんだよ!」
しかし実際に彼の魔術は水保に効かなかった。それくらい、目の前の魔術師は受け止めているのだ。それが事実なのだから仕方ないだろう。しかしそれでも否定してしまう。認めてしまいたくない。
その稀有で得意な魔術の習得が彼にとってどんな意味があるのか、なんとなくだがわかってきた礼御であった。
「もう一度だ。もう一度てめえを操る。今度こそ完璧に! 悪いがもう手加減なしだ。殺す。お前は殺す! その心臓を止める!」
礼御は少年の言葉にひやりとした。そうか。身体を支配するということは、心臓ですら思いのまま。動くも、止めるも、彼にはできるのだ。でまかせを言っているのではない。礼御は根拠はないがそう思った。
「ふむ。それは嫌ですね。どうせそんなことできはしないのでしょうけど、万が一ってこともありますし」
逆に水保はあっけらかんとそう言ってのけた。本当にそう思っているのか、もしくはなおも挑発しているのか判断できない。
「はっ! だったら喰らえ。そして死んで後悔でもしてろ!」
ナイフをくるりと反転させ、自身に向ける。
「俺の魔術は本物――」
そう言ってまた自分を刺そうとした、その刹那。
「雑魚には似合いのセリフね」
「っつ!」
水流がナイフを弾き飛ばしていた。彼が自分にナイフを突き立てるよりもずっと速く、水保の能力が彼を襲ったのである。
コンっといった音が遠くから聞こえた。礼御と少年が咄嗟にそちらの方を振り向いたそのときである。
「あら。敵はそっちにいるの?」
礼御はすぐさま思い出したように視線を元に戻した。そしてほぼ同時に少年も同じような行動をとる。
すでに水保は少年と目と鼻の先であった。
「くそっ!」
その短い発声にどのような意味があっただろう。悔しい。しかしどうにもならない。負けたくない。それでもどうしようもない。そんな相反する想いが混合し――。
亜草根 世葉は吹き飛んだ。
水保の華奢な腕からは想像もできない威力の掌底が魔術師の胸に食い込んだ後の出来事である。
一度地面を跳ね、なおも止まらぬ彼は暗く流れる水の中へ落ちていった。




