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「おそらく、これは不特定多数の人間を対象にした魔術です」
水保は自身の掌に乗せていた桜の花びらをつまり上げ、礼御にそう言った。
「だから水保さんが触っても平気なんですね?」
「ですね」
一呼吸置いた後、さらに水保は説明を続ける。
「さきほども言いましたけど、これは魔術の効果として存在しているモノだと思います。……例えるなら、火炎を発生させる魔術。それを使用すれば火炎が生じる。この花びらは火炎にあたるんですね。つまり、魔術の効果です」
魔術の効果、と言ってしまえば少々分かりづらいが、その水保の説明を聞き礼御はなるほどと納得し、黙ってさらなる説明を聞く。
「それで、この魔術が何を目的としているかについてですが……。たぶん、あまり良いものではないです」
触るなと忠告された時点で、礼御もそのことだけは察していた。そして、最初の水保の説明を思い出す限り、悪い想像が生まれるのは当然だろう。
「水保さん、この魔術の対象は不特定多数の人間って言いましたよね?」
「えぇ。おそらく、ですけどね」
「……」
「付け加えるなら、不特定多数の一般人、ですかね」
それは嫌な補足であった。不特定多数の一般人を対象とした、あまり良くない効果を宿している魔術。ここまで聞いて、放っておけるモノではないと、礼御はひしひしと感じるのである。
それと同時に、目の前にある一欠けらの桃色に礼御は得体の知れない不気味さを抱く。
桜の下に埋まっているのは死体だと、かつての人は言った。
桜の満開の下に立つと、魂を吸い寄せられる。そう、かつての誰かが呟いた。
単なる美しさを越えて、いや、美しさをわざわざ孕んでいると言った方が良い。
死肉を養分に咲き乱れ、その満開の下に誘われたものは、脅迫染みた『美』を感じるのだ。
植物の仲間には、獲物を引きよせるナニかを持つものがたくさんある。それは生きるために必要なことであると言える。
では桜はどうなのだ。
人はなぜ、桜を見て「美しい」だけで感想を留めないのか。なぜ、桜の下には死体が埋まっているだの、魂を引き寄せられるだの、そのような想像を催してしまうのか。
礼御はふと思った。それが桜という植物なのではないか、と。
とある植物が虫を養分とするように、桜は我々の肉を、魂を養分としているのではないだろうか。単なる「美しい」なら桜でなくとも問題ない。それを許さないよう、桜は我々に仕向け、植えつける。桜でなければ感じることのできない「美しい」。
そもそも、数多く存在する花々の中で、「お花見」という単語が桜を指すのはなぜなのか。それは、人がすでに桜に囚われているからではないだろうか。そうやって意思などないと思っていた草花に、「お花見」文化そのものから丸めこまれ、日本人という人種は、春になると活気あふれて自ら桜に喰われに行く。
「礼御さん、少々物思いにふけり過ぎですよ」
と、そこで水保に呼びかけられた礼御はハッと我に帰り、何をくだらない設定を作っているのだと、自分に呆れるのであった。
再度、礼御は彼女に摘ままれた桜の欠片を見つめ直す。
「水保さん、この桜の花びら……放っておいていいんですかね?」
誰にどういう影響を与えるのかもわからないモノを、そのままにしておけるはずがない。礼御はそう思うである。
「もちろん良くはないでしょうね。何が目的かは推し測れませんが、それでも何モノかが、何かのために魔術を行使したのは明白でしょうし」
「それじゃあ――」
それじゃあ、止めないと。礼御はそう言おうとしたのである。が、それは水保の次の言葉に遮られ、加えて苦言を呈されるのである。
「自分が止める、なんて馬鹿なこと考えてませんよね?」
「あっ――。いや……」
「相手がどんなモノかはわかりませんが、少なくともこれだけはわかります。相手は礼御さんより魔術師です。いいえ。それすら間違った言い方でしょうね。魔術師は、文字通り魔術を使用するモノのことです」
「……」
「魔術師が魔術を使う、防ぐなどをするのはあたりまえです。でも礼御さんは魔術を使えますか? まさか使えるなんていわないですよね? つい先ほどまで、魔術の判別すらできなかったんですよ?」
そこまで言われると、もはや反論の余地はなかった。
「誰かが何かをしないといけないかもしれませんが、でもそれは礼御さんなはずないです。礼御さんはその選択肢にすら入っていませんもの」
誰か見知らぬ人が困っている。だから助けたいと思うのは、普通のことだろう。少なくとも礼御にとってはそれが普通だし、特段稀な普通でもないと確信している。
それでも人を助けられるものは限られているのだ。水保の言いたい事は礼御にだって良く分かっていた。
誰かを助けようとして、状況が悪化することだってある。助けることができても、自分が身代りになるかもしれない。想いだけではどうしようないことが、この世の中にはありすぎるのだ。
それもわからないほど礼御は幼くなく、理解できていてもなお通したい、ある意味で幼稚としかいえない無垢な信念もすでに失われていた。
「えぇ。なにかしたい、そう思っただけですよ」
礼御は素直に想った事を水保に語る。
「思っただけです。行動したいとは思っても、行動しようとは思わなかった。それが事実ですかね。……わきまえてますよ。それは理解しています」
それを聞いた水保はとりあえず安心したようで「ならばいいんですけどね」と呟いた。




