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話は逸れたが、礼御と水保の意識は再び季節外れの桜の花びらへと戻った。
「礼御さん。これがどういうモノかって、私に聞きましたよね」
「あ、あぁ。うん」
水保は屈むと、床に落ちていた花びらを摘まみ礼御に見せた。
「え? ……触っても大丈夫なんです?」
「私が触る分には、とりあえず問題はありませんよ」
水保は立ち上がると、摘まんでいた花びらを自身の掌へと落とし、礼御に良く見えるようそっとその手を差し出してくるのである。
「どうです?」
そうと問われても、礼御にはそれが桜の花びら以外には見えなかった。どこをどうみてもそうなのだ。薄紅色に白色が溶け込んだような色をしていて、どこか透けているその花びらは柔らかな見た目も相まり、どこか心を奪われてしまう。
「……どこかの文豪さんは桜を見て言ったそうですね。『桜の樹の下には、屍体が埋まっている』って。それとも『魂がそれに吸い寄せられていた――桜の森の満開の下です。あの下を通る時に似ていました』と言った方が良いでしょうか?」
その水保の不敵な言い方に、礼御はぎょっとした。どちらのフレーズも、ある程度文学を好む者にとっては聞き覚えのあるものだろう。それは礼御にも当てはまることで、どちらも誰が何という作品で書いた文章であるか、瞬時に思い至ったのである。
が、そんなことはどうでも良かった。問題は、なぜこのタイミングで水保がそのような発言をしたかである。
なんとなく、霞がかった推測を持った礼御だった。また、そこまで彼を導いた水保はにんまりと笑っている。
「さて、礼御さん。……良く見てください。良く見るだけではなく、感じてください。感じ取ってください」
「…………」
「この桜の花びらは、ただの桜の花びらですか? 何か異様に……異質に思いませんか?」
その言葉に操られるように、礼御はじっと彼女の掌の上にある桃色の欠片を見つめた。言われた通り、ただ見るだけではない。何かもっと別の、本質を視るように――。
「………………」
「………………」
水保は何も言わない。差し出した手をただそこに留めている。
礼御は集中した。
異質さを視る。異様さを感じる。異常さを理解する。
それが必要だ。
「…………」
「…………」
「………………」
「…………どうです?」
礼御が桜の花びらを凝視し始めてからしばしの時間が経ち、気遣うように水保がそう尋ねた。
「…………いえ。まったく」
しかしどれだけ花びらを見つめたところで、残念ながら礼御にはその手法が分からなかったのである。
「礼御さん、睨めばいいというわけじゃないんですよ。視方を変えるんです」
「視方を変える……ですか?」
「そうです」
水保はそう言って、差し出していた手とは逆の手を礼御の方へ伸ばした。何だ、と一瞬怯えのけぞった礼御であるが、ここで水保が自分に危害を加えることはないだろうと信じて、身体を垂直に戻す。
水保は伸ばした手で礼御の両目を隠したのである。
「……まだ礼御さんは見ています。礼御さんの脳は、目から入ってきた光を単に映像として理解しているにすぎません」
女性特有のふんわりとした手で覆われた礼御の両目は、薄らと暗い世界を映していた。
「まずは目を閉じて、意識を変えるんです」
礼御は言われた通り、すっと目を閉じる。視界から水保が完全に消えた。
「礼御さんの脳は入ってきた光から色を認識します。赤の光を認識すれば、映像のその部分は赤色へ。青の光を認識したら、その場所は青色へ」
なんとも難しい例えだ。礼御は素直にそう思った。色の判別なんて、無意識にやっていることだ。水保の言う通り意識を変えるということは『赤の光が入ってきたと認識したら、青色で映せ』と言っているのと変わらないだろう。そんなことは意識したからといって出来るものではない。
「入ってきた映像を脳で判別してください。そう意識するんです」
が、無理と言うべきでないとも礼御は理解できている。
「映ったその人物は、本当に人間ですか。それとも妖怪が化けたモノですか」
今の自分の脳は異形のモノだろうと人間だろうと同じように映っている。それは、赤色も蒼色も同じ色に映っていると言えるだろう。
「……映ったその物は、単なる物ですか。それとも――」
必要なのはそこだ。脳に新たなツールを備え付ける。
これが赤色で、これが青色なのだ、と。だから映像として把握する際には別の色として、適した色として映してくれ。それと同じ。
「……大丈夫。礼御さんにはその機能が備わっています」
そう、水保が囁いた。
すでに備わっている。では、そうか。その使い方を脳に理解させれば良い。
「その使い方がわかっていないだけ」
と、そこで暗転していた礼御の視覚はチカとわずかなまぶしさを感知する。礼御の両目を隠していた水保の片手が下されたのだ。
礼御はそれに応ずるように、恐る恐る瞼を開いた。
そこには、水保が居る。人の姿をした、人にしか見えないように化けた異形のモノ。
そう、これは異形のモノなのだ。これと同じ色を放つモノすべて、異形であると理解しろ。
そう自分自身に言い聞かせ、礼御は再度目を閉じ、そして――。
「……どうです?」
礼御は再度その目に水保の姿を映した。
「!」
するとどうだろう。映り方は一緒だ。しかし違う。人間を視ているのとはどこか違う、違和感のようなモノが視える、いや感じると言った方が適切なのかもしれない。
「わかる……。気がします。…………えぇ。なんか、すごくなんとなく、ですけど……」
水保はにっこりと笑っていた。いつも通りの笑顔だ。違和感のようなモノを感じても、その笑顔の映り方に変わりはない。
「曖昧でもかまいませんよ。始めですからね。……では、こちらを視てください」
そういって注意を引きつけようとズイと差し出されたのは、桜の花びらを乗せた手である。
礼御の心臓が一度、大きくなった。
先ほどまでただの桜の花びらだと思っていたモノが変貌していた。いや、もちろんそれ自体が変わったのではない。礼御の方が変わったのである。
「これって……」
ぼそりと礼御は呟き、なおもその花びらのようなモノを眺める。
一言で表すなら『不気味』であった。
ほんわりとしていた桜色は、今ではその明暗を変化させながら、まるで色それ自体が生きているかのような錯覚を礼御に与える。
形そのものは変わっていない。しかし、それがまとっているモノと言うべきか……放っていると言うべきか、含んでいると言うべきか、要するにそれには異能と同体である。礼御にはそう視えた。
「魔術が……かかっている?」
と、その礼御の反応をする礼御に対し、水保は「いいえ」と発し、訂正と補足をする。
「桜の花びらに魔術がかけられているのではないと思いますよ。これ自体が異能より生じたモノでしょうね。誰かが何かの魔術を使用し、そしてこれがその『効果』として生じた」
「『効果』として……」
その部分だけ復唱した礼御である。
「その『効果』。水保さんにはわかるんですか?」
その疑問はつまり、礼御の現時点での限界を示すものでもあった。水保の簡易的な指導により、礼御は人と異形の区別が付くようになり、魔術がかかっているモノを感知できるようになった。
が、それだけである。
優秀な魔術師に限らず、魔術師を称する大部分のモノは視ることで魔術の性質を推し測る技量を身につけているものだ。
ただしこの場合の性質とは、ひどく大雑把なものである。
害があるのか、無害なのか。
何によって発動するのか、何ならば発動しないのか。
何を目的としているのか、何が目的かわからないのか。
その程度の推測である。
それは経験と知識によって得られる情報とも言えるだろう。それが礼御には足りていないのだ。あの風術師が言った通りである。
「私は魔術を使いません。ほどほど見たことがあるだけですからね……。『効果』と恰好つけて言ったものの、そんなにわかりませんよ」
そう水保は答えた。が、彼女は礼御に「触るな」と言い、「私が触れるのは大丈夫」と言ったのだ。少なくとも礼御よりはその魔術についてわかっているだろう。
「わかってる範囲で教えてください」
「……参考半分に聞いてくださいね?」
そう言って、水保は桜の花びらの魔術について語り始める。




