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だんだんと玉藻の調子も戻ってきたようだ。一日中寝ていた彼女であるが、最近の彼女はベッドに横になったまま紅子のゲームを後ろから見ている日々を送っていた。
玉藻が目覚めてから数日後、徳間 礼御はまた『空前の風使い』雨無 葵の元へやってきている。
目的は誕生した『手袋』の使い方の練習と基本魔術の学習である。
一応、礼御は玉藻から『手袋』の本質のようなことを聞いたのだ。そこで結局のところ魔術具を扱うには練習が必要だということに辿り着いた。新しいツールを使いこなすには当然の過程である。
一つ目の失敗がただの煙幕だったから良かったものの、あれ以上の失敗が起こっても不思議ではない。
練習には相応の場が必要であり、指導者ももちろん居た方が良い。玉藻曰くあの魔術具の本質的な部分を他人以外に見せることは感心しないそうだ。しかし玉藻は魔術具の使用に疎く、大した指導もできないとのこと。そのため基礎となる魔術を学ぶついでに、『手袋』の基本操作も葵から教わろうという魂胆である。
「あんまり見せすぎるなよ」
礼御はくどいくらい玉藻からそう告げられていた。
場所は葵が支配する古本屋のレジの奥。本棚に囲まれた、小部屋である。本日、初の授業は座学からのスタートであった。ちなみに日時は昼過ぎのことである。
「まずは陰陽道でも学んでみてはどうだ」
葵はテーブルの前に座り、片手で本を持ち読んでいる。授業と言うには少々おざなりだ。
「陰陽道ですか。聞いたことがありますけど、それって勉強すれば誰にだって使いこなせるものなんです?」
魔術なんて大まかなものに陰陽道が含まれているのはわかる。しかしどうにもしっくりこない礼御であった。
「勉学と言うものは何だって同じようなものさ」
「……はぁ」
「……君は優秀なのか、凡才なのかよくわからないな」
きちんとした意味は理解できないものの、あまり褒められていないことを礼御は実感する。
「君は足し算ができるか?」
「え? そりゃあ、まあ」
それが何につながるのだろう、と礼御は首を傾げながら葵の話を聞く。
「それは足し算の方法を知り、足し算を実践してきたからだろう。同様にいろんな数学の問題を解けるように、君はなっているわけだ。けれど大学受験のとき、君は数学のテストで何点取った?」
「え……?」
そして礼御は思い出す。数学は比較的得意な方で、センター試験では九割程度、二次試験では七割程度だったと記憶している。それを葵に告げると葵は「ほう。優秀だな」と言って続ける。
「ではなぜ満点じゃなかったんだ?」
「そりゃあ、解けない問題もありますよ」
「しかし受験生が誰一人として解けない問題と言うわけでもないだろう?」
そこまで言われ、礼御は葵が何を言いたいのかわかってきたような気がしていた。
「つまりはそういうことさ。学び、使えたとしても、そこには個人差がある。どの段階を使えると定義するかによっても使える使えないは揺らぐね」
「魔術も同じだっていうことですか。陰陽道を学び、使えるようになることは可能でも、すべてを使いこなせるようになるのは難しい、と」
葵は手に持っている本から目を離し、礼御を見る。右の口元を引き上げ楽しそうだ。
「ちょっとずれてもいるが、まあそういうことだ。さらに言うとだね、君は幼い頃から理国社数英と様々学んできたが、今は何を学んでいる?」
そこで礼御は自分の専門を告げた。礼御はいわゆる理系学生である。
「では今の学部に入るのに今の専門教科以外を勉強する必要はないかというと、そうではないだろ? 今の専門と言うのは、一般教養の上にこそ成り立つべきだ」
「えぇ、そうですね」
「これは魔術師も同じでね。私は風術の専門だが、何も風術以外が使えないわけではない。つまり私は数学で満点をとれる能力を持っているが、他の科目は平均点をとれるくらいの実力、みたいなことさ」
結局葵は、礼御に魔術の一般教養が足りていないと言いたいのだろう。少し悔しい気もするが、事実なので仕方なく飲みこむことにする礼御だった。
「専門教科は勝手にやるとして、魔術の一般教養を身につけろってことですよね?」
確認のために礼御が葵に尋ねると、葵は「そんなところだ」と肯定する。
「使える使えないは置いておいて、様々な魔術の知識はむさぼっておいて損はない。そうだな、しばらくは魔術の本を読み漁ること、得た魔術具の使い方を学び練習すること、あとは――」
葵は礼御の目を覗くように見た。大人の女性に見つめられるという体験に礼御は困惑する。そして葵はにんまりと笑顔を作るのだった。
「君さ、なかなかいろんな子と仲良くなっているみたいじゃないか」
「え……、えぇ」
一瞬誤魔化そうとも考えた礼御であるが、どうにも裏を取られているらしい。いろんな子とは、玉藻や紅子といった妖怪達のことに違いない。
「徳間っていうと聞いたことがあるような気がしていたのだけれどね。まさかあの徳間の一人息子とは」
その言い方に疑問を覚えた礼御は純粋に尋ねる。
「僕の家系って有名なんです?」
「その方面には、ね。私はそれほどでもなかったから、名を聞いたところで思い至らなかったが、妖怪と仲良くなってみせた時点で気が付くべきだったよ」
確かに葵は礼御が妖怪と仲良くなったことに驚いていた。礼御が現在関係を持っているモノ達は四人といっていいだろうか。
まずは同居しているモノ。玉藻と紅子である。
玉藻前。狐の妖怪であり、彼女は土地神といった現実に存在する神様の候補だと礼御は聞いている。妖孤にしては強力な力を持っている。
紅子。赤しゃぐまの彼女。礼御の部屋に住まい、礼御の部屋を守っている妖怪だ。
そして街で仲良くなった妖怪。
水保。彼女は蛟という妖怪らしい。その実態を礼御は詳しく知らないものの、彼女の旧友である玉藻が言うには、胴体の長いワニのような姿なのだそうだ。そんな彼女は例に漏れず変わった趣味を持っている。
ミネリ。猫又という結構有名な妖怪だ。猫らしい飄々とした彼女で、玉藻が普段化けている少女を中学生、紅子が小学生低学年とするなら、ミネリは女子高生のような格好である。そんなミネリも例に漏れず変わった趣味を持っているのだが、他の三名に比べれば比較的許容できる趣味だろう。
それは特異なことであるらしい。つまり一般的に魔術師だろうと、妖怪と仲良くなれることは稀有なことなのだ。それを礼御は当然のようにやってのける。
それこそが、徳間が深めている魔術なのだそうだ。異形から好かれる能力。この場合の異形というのは妖怪だけにおさまらず、魔物だろうと幽鬼だろうと、そして魔術師だろうとそこに含まれる。それは決して異形を支配する力なのではなく、徳間の力はただ異形から好ましく見られるにすぎないものの、それは素敵な能力に違いない。
「まるで『魅了』だな」
そう呟いた葵の言葉は、惜しくも礼御の耳まで届かなかった。
妖怪に性別を求めるな、とは以前誰かから言われたことであるが、礼御は思う。女ばっかりだな、と。
「まぁ、あんまりハメを外し過ぎるなよ? 相手がいくら人でないとはいえな」
「……葵さんまで、やめてくださいよ。あいつらとはそんなやましい関係じゃないです。友人です」
「それは失敬したな」
と、葵が「くっくっ」と笑った。その笑みに、本当にわかっているのかこの人、と不安になる礼御である。
「で、あとは何を学べばいいんです?」
礼御が逸れていた話を戻す。
「あぁ、だからね。君はいろんな場所で女の子達とイチャつくのが好きみたいだから、人払いは早めにマスターした方がいいと思うよ」
「それはなんというか……その通りですね」
認めたくはないが、葵の言うことは最もである。礼御も知り合ったモノ達と会話を楽しむことくらいは望んでおり、しかしそれを楽しみ過ぎるあまり一般人から奇異の目で見られることを望んでもいない。
「人払いなんてほとんどの魔術師が会得している魔術だからね。いくらでもある。私の人払いを教えてやってもいいが、とりあえずは自分で勉強してみなよ」
「わかりました。とりあえずは自分に合ったモノを探してみます」
それが風使いからのアドバイスであった。次に葵はこの店にある図書は好きに読みあさっていいことを礼御に教える。
それに対し礼御は簡単に礼を述べ、ふと思った。
こうしてみるとどうだろう。礼御は葵の一端の弟子に見えないだろうか。
礼御もそう感じたわけで、これは空子ちゃんと顔を合したくないな、と本気で思うのだった




