第1話 弱肩太郎
ストライクゾーンとは間違っている。
野球において、ここに球が来ればストライクを取られ、三つたまればアウトになる。そうして、ストライクゾーンにこない球はボールになる。これが四つたまればフォアボールとして打者は一塁まで歩ける。
これの基準の前提とはなにか。それは打てるからにほかならない。
ストライクゾーンに来るボールは打てる。それ以外は打てない。
おかしい。
もう一度、言おうか。おかしい。これを決めたのが。
そもそも、野球はボールという線で白球という点を捉えるスポーツである以上、どこの点を捉えられるかは、人それぞれなのだ。
そう、俺は俗に言う悪球打ち。ボールになる球しか打てない。当たらない。
いや、ストライクゾーンの球も当たることは当たる。ただ、ほとんどない。つまり、俺は悪球しか打てそうにない。こう言っても間違いではないだろう。
足には自信がある。ポジションである外野、主にセンターの守備にも自信がある。肩は少々、ないが。
力もあるし、なにより俊足左打ちだから内野安打も多いし、三塁打も多い。
だが、小二からやってるが、一度もレギュラー取れなかった。
悪球打ちでなければ、俺はここ西東京の二強と呼ばれる、帝大三高、茅野〈かやの〉学園にもいけたはずだ。
野球なんて大嫌いだ。
でもやめられない。
だからここに来た。
レギュラーになるために、試合に出る為に。
今年、野球部が新設される都立水翔高校に。
芥川達也、俊足弱肩、そして悪球打ち。希望も不安もどれも中途半端で向かえる高校一年の春であった。
新しい面々で向かえるクラスだったが、そのほとんどは芥川にとって知らない人であった。ただ、彼はそう悲観しているわけではない。友達なんざ、日を追えばできるようになると軽く考えている。それは芥川自身、社交性が人並みにあるからであった。
「あ、達也君」
「南ちゃん?」
芥川に手振るのは、あでやかな黒髪が肩までかかりすこし、垂れた目が愛嬌を感じさせ小柄な少女たちであった。誰しもが、可愛いとこの少女を評するのであろう。
彼女は近藤南。芥川の幼馴染みである。
「同じクラスなんだね。よろしくねっ。達也君っ」
ニコと小首をかしげて笑う南の、その眩さに思わず芥川はのけぞった。
「おーう」
間延びした声で返事する。
「入るの?野球部」
「うん。まあそのつもりだ」
南は大きく頷いた。
「頑張ってねっ」
そう言って彼女立ち去った。
何と言うか素晴らしいなあ。
芥川がどうでもい感想を胸に抱く。
同時に周りの視線に気付く。
それは、男たちから向けられる嫉妬の目であった。
あー。はいはいそうですよね。
芥川もこういことは慣れていないわけではない。だが、疲れる。無用の心労がかかる。
友達の輪に入る南背中を見ながら、芥川そっとため息をついた。
入学式自己紹介終わり、彼は野球部の入部届け出して、そのまま部室向かった。野球道具も揃えている。芥川準備のよさはかなり、手早かった。小二から中三まで八年間に及ぶ補欠生活は伊達ではないようだ。
だが恐らくそれも終わり。ここではレギュラーだ。
なんたって、この野球部は新設であるし、この都立水翔自体、男子が少ない。いける。いけるんだ。
守備要員からおさらばだ。
芥川は困難を思う。
軟式野球ではなかなか外野に球が飛ばない。とんでも誰でも取れるフライばかりであったし、ゴロのときなんてそれはもう、目も当てられない。
しかし、硬式野球部だ。ヒット性の球なんて外野にもバンバン飛んでくるだろう。右中間、左中間にも来るんだろう。俺だって活躍できるんだ。
よーしよし。やってやるぞ。
芥川は思い切り更衣室のドアを開けた。
女の子がいた。
それも上半身裸で。小ぶりな胸に、まあまあ太い腕。唖然とする少女の顔。
この事実を、芥川が正常に正確に理解し判断したのか、それはわからない。ただ彼は追いつかなかったのか、何なのかその場に固まってしまった。
見る見るうちに、女の子の顔が朱色染まる。
そこで、ようやく芥川にスイッチが入った。
「あっ。えー?そのー、お邪魔しました」
「バカぁ‼」
投げられた硬式の白球は、芥川の眉間に向かいそれは減速をせずに、空間さえも貫くように、眉間を焦がした。
空って、青いなあ。
芥川達也、十五歳。この歳で空の青さを知る、そんな高校一年の春であった。