オモカゲ
暗い作品となっています。
この話は誰も報われません。
それでも構わないのであれば、ご覧ください。
僕は夜のネオンが輝く街をひとりで歩いていた。
顔に当たる光が眩しくて俯いたまま、ゆっくりと歩を進める。
行くあてもないまま、夜の繁華街を歩いていた。
もうこの世には信じられる人はいない。
あの人は死んでしまった。
僕のせいで、僕の目の前で、死んだ。
優しく包みこんでくれたあの腕は、もうそばにはない。
もう永遠に触れる事の出来ない温もり。
何で、あの人が死ななければならなかったのだろうか。
本当ならば、僕が死んでいたはずだ。
“大丈夫、俺がお前を守るから。絶対にひとりにしない。”
半分しか守ってもらえなかった約束。
あの人は僕を守ってくれた。
でも、その代わりにひとりになった。
歩き疲れて、近くの壁に寄り掛かるように座る。
レンガ造りの壁はごつごつしていて、少し背中が痛い。
でも今の僕にとって、背中よりも心が痛かった。
もうあの人に僕の名前を呼んでもらえない事、触れていれない事、微笑んでくれない事、そばにいられない事…。
戻らない時間が槍となり、僕の心を深く抉る。
いっその事死んでしまって、あの人のいる場所に行きたい。
そうすれば、もう離れなくてもいいから。
この世にひとりでいても生きてる意味がない。
涙なんて忘れ去ったはずだった。
僕の中にはもう、一滴もないと思ってた。
「海…。」
僕は小さくあの人の名前を呟いた。
涙目になっているせいか、声が少し鼻声だった。
「ねぇ、君。」
声を掛けられ、顔をゆっくりあげた。
そこに立っていたのは、スーツ姿の男が三人。
「何ですか…。」
僕は両目を右手の甲で擦った。
にやりと不気味なオーラを漂わせて一人の男は僕の頬に手を当て、上を向かせた。
「遊んでかない?」
ホストだろうか。
安っぽい言葉で誘ってくる。
「結構です…。」
男の手が触れている頬から寒気が溢れてくる。
ぞわぞわして鳥肌がたち、気持ち悪い。
あの人とは比べ物にならないほどだ。
男の手を払いのけて、立ち上がった。
早くこの場から抜けだそうと、歩きだした。
しかし僕よりも大きな体が行く手を阻む。
「遠慮しないでよ。」
ひとりの男が強引に僕の肩を組む。
気持ち悪いとしか感じられない。
(海…っ!)
もういないあの人を思ってしまった。
助けは来ないと分かっているのに。
「離してくれないかな。」
僕の背後からおっとりとしているが、強い意志を含んだ声がした。
「あ?」
声の主は、胸元の乱れたスーツに身を包み、片手に煙草を持った男だった。
「その子さ、未成年だからさ、逆に犯罪者になるのは君たちだと思うんだ。」
男の人がにこっと笑って、少しずつ近づいてきた。
「しかも、俺の連れなんだ。だからその汚ない手、早く離してくんない?」
男の人が僕を包むようにホストから引き離した。
「さっさとどっか行って。」
男の人は三人のホストを顎で指図した。
ちっと舌打ちをして、三人は歩いていってしまった。
「あ、あの…。ありがとうございました。」
僕は顔を上に向けて、男の人にお礼を言った。
良く思い出せば、僕は今男の人の腕の中にいる。
「いいんだよ。未成年がこんなとこをこんな時間にひとりで歩いてちゃ危ないでしょ。さっきみたいに絡まれるよ。」
男の人は優しく笑って言った。
髪をすき、やわやわと頭を撫でる。
男の人の手の動きがあの人と似ている。
あの人を思いだしそうになって、泣きそうになった。
「君?」
男の人が泣きそうになった僕の顔を心配そうに覗きこんだ。
「あ、何でもないです…。」
両手の手の甲で眼を擦る。
やっぱり慣れない。
海以外の人に優しく触れられる事には。
「親御さんは?」
「いません…。」
僕は男の人の胸を押し離し、小さく呟いた。
「兄弟とかは?」
「一人っ子です…。」
はっきり言うと、僕には身寄りがない。
親は駆け落ちの身で、連絡をとれるような親戚はいない。
両親が亡くなって、あの人もいなくなった。
僕は完全にひとりなのだ。
「ひとりなのか?だったら俺の家に来るかい?」
男の人はわしわしと僕の頭を触った。
「でも…。」
知らない人に迷惑をかける訳にはいかない。
「俺、一人暮らしだから迷惑かかるとか考えなくてもいいよ。」
男の人は優しく、そう言った。
その顔は心の底から優しさが溢れていたように見えた。
「どう?ここでブラブラしてるよりも安全だし。」
僕は躊躇いがちにゆっくりと頷いた。
「よし、決まり。」
男の人がさっきより強く、僕の頭を撫でた。
そう言えば、この人の名前って何なんだろう。
男の人って呼ぶ訳にはいかないから、あのとか、すいませんとかしか呼べない。
「乗って。」
男の人が、助手席のドアを開けて、僕に手招きをした。
僕は小さく頷き、おずおずと助手席に座った。
彼が運転席に座り、車のエンジンをかけると、低い音が車中に響いた。
発進した車の窓の外には、景色が流れて行く。
あの人も低いエンジン音のする車に乗っていたような気がする。
この人は、海と同じ匂いがする。
「そう言えば、キミ名前は何?」
信号で止まった時に、彼が聞いた。
「川浪、朝陽。」
僕は聞こえるか聞こえないかのギリギリの声の大きさで呟いた。
「朝陽か、いい名前だ。朝でいいか?」
そう言った彼を見ると、何も考えずに言ったような顔をしている。
僕の事を“朝”と呼ぶのはあの人だけだった。
こんなにも彼はあの人と似ている。
「嫌だった?」
なかなか返事をしない僕を不思議に思ったんだろう。
僕が言う前に彼が言った。
「…はい。普通に朝陽と呼んでくれませんか。」
忘れようとするたびにあの人の面影が浮かび、また消える。
「わかった。俺は、沖草廉。好きなように呼んでくれて構わない。」
動き出した車の中で煙草のにおいがする。
横眼で彼―――沖草さんを見ると口に火のついた煙草を銜えていた。
「あ、煙草ダメ?」
「いえ、別に…。」
僕は視線を窓の外に移した。
トンネルの中に入っていて、窓には僕の顔が映る。
隣にはあの人に似た彼がいる。
「どうしてあそこにいたのか聞いてもいいか?」
「…大切な人がいなくなったので、探しに行った、…ただそれだけです…。」
間違っては無い。
あの人がいなくなったから、面影か何かを探すために行った。
この世に何も残さずに行ってしまったあの人のものなど、どこにもないと知っているのに。
「で、見つかったのか。」
彼の言葉に小さく首を横に振る。
「見つからなかったとしても、もうあそこには行っちゃいけないよ。今日みたいな奴がまた来るかもしれないしな。」
「いえ…、見つかるまで行きます。たとえこの身がどうなろうと、見つけなくちゃいけないんです。」
多分、これは僕の意地だ。
彼は、小さく「そうか…。」と言って車を止めた。
「どうぞ。」
彼は車から降りた。
僕もそのあとに続いて自分でドアを開いて降りる。
ついたのは高いマンションの駐車場だった。
「狭いかもしれないけど、我慢してね。」
エレベーターに乗り込み、彼は六階のボタンを押した。
六階につくとエレベーターはちんっ、と音を立てて開いた。
端から二番目の部屋のドアに鍵を差し込み、まわすと鍵が開いた。
「自分の家と思ってゆっくりしていって。」
「いえ、お構いなく。少ししたら出て行きますから。」
彼が開けたドアの先は広々として清潔感あふれる玄関だった。
背中に手を回され、望まない足取りで玄関へ入った。
僕は彼の後に続いてリビングに向かう。
「座って待ってて。」
彼が僕をソファに座らせると、キッチンの方に行った。
数分して彼はマグカップを二つ持ってきた。
「はい、どうぞ。」
「どうも…。」
中身はココアで、温かかった。
「明日はどうするんだ?」
隣に座った彼が小さく聞く。
「明日も探しに行きます。多分、僕は死ぬまで探し続けると思いますからお構い無く。海がいたという証が見つかるまで、僕は死ねませんし。」
ココアを飲み干し、立ち上がる。
「どこに行くの?」
「海のいる場所。」
そう言って僕は足を玄関に向かわせる。
「もう遅いから泊まって行きなさい。」
「結構です。僕には時間がないんです。」
靴を履き、ドアのノブを握る。
すっと、彼の腕が僕を後ろから抱き寄せた。
「時間ならあるさ、いくらでもね。だから、今日は一緒にいてくれないか。」
あの人と似ている彼。
近くにいるだけなのに凄く切なくなる。
現実から逃れるために海に関するものを探し出そうとしたのに、見つからなくて、それなのに海と似てい
る沖草さんと出逢った。
「海…。」
そう呟いた僕の頬には一筋の涙が伝っていた。
「朝陽…?」
「海じゃない…、海はもういない…。」
溢れ出る涙は留まる事を知らず、次から次へと頬を濡らして行く。
「朝陽、落ち着け。」
「海っ…、もう一回でいいから…、僕を抱きしめてよっ…、名前を呼んでよぉ…、か、い…。」
ふっと、視界が歪む。
「朝陽!」
沖草さんが呼ぶ声だけが聞こえる。
海、いつになったら会えるかな…?
僕は、また一人で闇に墜ちた。