その7
元凶は私の父だったらしい。
詳しくは教えてもらえず、また私も事情などにはさしたる興味も無かったので無理に尋ねる事をしなかった。それでも聞こえて来た顛末がそれだった。
父が仕事である人を窮地に追い込んだらしい。そして、その人物は家族を残して自殺した。その人物の息子であり、大切な家族を奪われたあの人は、同じように父にとって大切な家族であるはずの私を殺してやろう、と考えたのだ。分かりやすい復讐劇だった。
ちょうどその時期に、私はやんちゃが過ぎて足の骨を折り、入院していた。もしそれが家のそばであったり、下校時であったなら、私も警戒しただろう。しかし、病院内という知らない人が沢山いて当然の場所で白衣を来た男性に声を掛けられたところで、何の疑問も抱かなかった。
折れた足も随分よくなっていた私は、暇を持て余して片足立ちで動き回っていた。そんな私に、その人は優しく声を掛ける。まだ治った訳ではないんだから病室で大人しくしていなさい、と。連れて行ってあげるから、と抱き上げる人を私はあっさりと信じたのだ。そして、人のいないところで頭を殴られて気を失う事になる。次に目覚めたときには両手足を縛られた状態で口の中には布を押し込まれ、回収したリネンを入れている大きな籠の中に放り込まれた。たぶんあのまま連れ去られれば、私は殺されていたのだと思う。
それを見付け、私を助けてくれたのがシュウちゃんだった。
『見付けた』
入院中、私の遊び相手になってくれていたシュウちゃんは、変わらない笑顔で真っ白なリネンに溺れる私を救い上げてくれた。シュウちゃんが手を回していたのだろう。籠の中から這い出せば、すでにその人は私達の目の前で取り押さえられていた。
その人は騒然とした中で、私を庇うシュウちゃんへ罵声を浴びせた。
『殺してやる!邪魔しやがって!待ってろ!いつか必ず、おまえもぶっ殺してやる!!』
そのときすでに拘束を解かれていた私は、シュウちゃんの腕の中で庇われながら、その声を聞いた。視界はシュウちゃんのパジャマで一杯だったから、あの人がどんな表情をしていたかは分からない。
ただ、その声だけが今も耳にこびり付いている。あの人は、きっとまたやって来る。あの憎しみに燃えた目で、私とシュウちゃんの所へやってくる。
そんな事は、許せない。私が、守らなきゃ。今度は私がシュウちゃんを守らなきゃ。守らなきゃ。守らなきゃ。守らなきゃ。守らなきゃ。
パチリ。
勢いよく起き上がる。一瞬、今がどういう状況か分からなくて、周囲をキョロキョロと見回す。すると、中途半端な位置に手を上げて目を丸くするシュウちゃんと目があった。
「びっくりした。急に起き上がるから」
そこでようやく状況を理解した。どうやら私は眠っていたらしい。シュウちゃんはそんな私の頭を撫でてくれていたのだろう。だから、大丈夫。あの人はいない。まだ、刑務所の中にいるはずだから。シーツにはスカイブルーのタオルが掛けられているし、腕を振り上げる男の人もいない。大丈夫、まだ大丈夫。何も怖くなんてない。シュウちゃんに危険なんてない。
「どうしたの?芽依子」
優しく労わるような声。気遣わしげに伸びて来る右手を私から掴んで、その手の甲に頬を擦り寄せた。どうして、シュウちゃんの手はこんなに冷たいのだろう。時々、ひどく泣きそうになる。けれど、これはまだ生者の手だ。私が握っていれば、ちゃんと温もりが生まれる。
あの人は、大した罪にはならなかった。誘拐未遂と傷害罪。殺意はあったものの、あのとき私を殴ったのはあくまで誘拐をスムーズに行う為に気絶させる事が目的だったので、殺人未遂にもならなかった。おまけにその動機には同情の余地があり、情状酌量されて刑期は更に短くなる。
あの人が、もうすぐやってくる。
「シュウちゃん、怖い夢を見たの」
「そう」
今度はシュウちゃんの左手が私の頬へ伸びる。お化けに怯える小さな子ども宥めるように、私の頬を撫でた。安心させるように、シュウちゃんはゆっくりと微笑む。
「大丈夫だよ。ここには、芽依子と僕しかいないから」
ああ、ああ、ああ。シュウちゃん、シュウちゃん、シュウちゃん。
私は掴んでいた手を離して、ベッドにもたれるシュウちゃんに抱き付いた。シュウちゃんはやっぱり小さな子どもをあやすようにそれを受け止めて、抱きしめたまま私の頭を撫でてくれる。優しいシュウちゃん。身体は冷たいのに、私にとってこれ以上温かい存在なんてなかった。
「シュウちゃん、」
私が守るから。
例え、それがどんなに安易で浅はかで、その場凌ぎにしかならなくても。この冷たい温もりを少しでも長く守る事が出来るなら、私はどうなったって良かった。
今後の人生も、シュウちゃんが救ってくれた、この命さえ。
読んで頂き、ありがとうございます。
あと二話で終わる予定です。
ぼかしたものの、刑期に触れる部分がありますが、作者に法律の専門知識などありません。作者にあるのはサスペンスドラマを愛する心のみです。
ネットで調べた程度で大体の年数を決めました。あくまでフィクションとして、寛大なお心で受け止めて頂きますよう、お願い申し上げます。