自宅巡り その四(1):悩む姿も美しき哉
美しさとは、何であるか?
美しさとは、人間が感じる事が出来る最高価値の一つである。
美しさとは、それぞれに価値が異なるが故に却ってその本質を映しだす鏡である。
気高く、華麗で、煌びやかに輝けるもの。
人は美に憧れ、美を求め、美を目指すが故に、時としてそれはとても愚かなように映ることもある。
人と相容れず。人に理解されず。
しかしひたむきに美を目指す魂は、やはり美しい。
守宮継嗣、高校生の夏。
――いまだ彼は、自宅警備員ならず。
■ ■ ■
大飯田巨大地下迷宮。
緩やかな地鳴りと黒々とした土砂が宙を舞う。
自宅警備員・廣田宇佐は両腕ふるって、今日も元気に大地に掘削の音を響かせていた。
「……んっ、この辺で休むとしますか」
宇佐は鼻歌交じりに額の汗をぬぐいながら、どっかり大地に腰を下ろした。
あれからというもの、掘削は絶好調というやつで今日も穴掘りは快適に、快活に、迷いもなく全力で突き進んでいた。
岩壁に体を預けて休みながら、頭にソロバンを思い浮かべ、今いる場所とそこに至るまでかかった日数を弾いてみる。
これまでとは比べ物にならないペースで進んでいる実感に、思わず顔がにやけてしまう。
その喜びの源は作業効率や掘削技能の上達のみに留まらず、この現状を招き寄せたきっかけとなった少年との絆を思い起こさせるからだった。
「しかし、奇妙なものね」
あの少年と出会った日。
あれから早くも十日以上の日数が経っていた。
「もう一年以上も前のことのようにも思えてしまうのだけれども」
女の慕情が月日の感覚を狂わせるのだろう。
実際はわずか十日ほどしか経ってはいない。
「……今頃、どこで何をしているのやら」
深い地の底にあって、宇佐は空を仰いだ。
大地に阻まれ、空は見えず。
しかし、その大地は必ず少年が立つ場所と繋がっているのだ。
そう思うとふつふつと胸に想いが湧き上がってくる。
「良し! 掘削、再開!」
そうなれば居ても立ってもいられない。
廣田宇佐は威勢良く起き上がると、再び全身全霊を込めて大地を掘り始めた。
一方、その頃。
女の活力の源となった少年・守宮継嗣は。
「――――――オニイチュエアアァァァン!」
フリルのついたスカート姿でランドセルを背負いながら、奇声を発していた。
事態をわかりやすく整頓すべく、わずかながら時間は遡る。
■ ■ ■
美しい男が、いた。
しかしそれは優美ではない。
長い黒髪をなでつけた頭頂から首筋は、まるで丸太の如く、太く厚い肉がついている。
顔つきも険しく荒々しい。その趣はいっそ粗野な風さえある。
ならばそれは華美ではない。
脂の乗った肉質は光をにぶく跳ね返し、硬質な金剛石を思わせる。
それは雄にのみ許された美しさ。
人並みの背丈の中に凝縮された、肉体の美がそこあった。
「ふぅ…………」
男は臓腑の底から絞り出すような息をついた。
簡素な居間に座し、腕を組む男の姿はどこまでも勇ましく、そして美しい。
異国の神話を紐解けば、美の化身とは古来、人よりも牛に近いとされてきた。
男の出で立ちは、その神話になぞらえたかのように牛に近似している。
それも選び抜かれ、鍛え上げられた極上の闘牛にのみ許された肉付き。
そこまで見抜いたならば、この男が只者ではないことを悟るだろう。
この男こそ、兵吾圏の自宅警備員・香美田島。
その勇壮なる佇まいから、神州に『史上最壮の自宅警備員』の名を轟かせた男・香美田尻の実子であり、その後釜を継いだ益荒男である。
男はその血統を色濃くその身に写していた。
いかな屈強な力士が突進したとして微動だにしないであろう佇まい。
だが、そんな田島が今日に限って、しきりに居心地悪げに幾度となく居住まいを正していた。
何が気に入らないのか、眉間にシワを刻んで何かに堪えるように瞑目している。
「まったく……」
――――憂鬱だ。
愚痴をこぼして、再び目を瞑る。
そうしたところで迷いが晴れるわけでもないが、それでも瞳を閉ざさずにはいられなかった。
さる賢者の言葉を借りれば、人の生涯には必ず大、中、小なる悩みが付いて回るものだ、と云う。
この田島もまた、大いに悩んでいた。
大なる悩みはさておくとして、中なる悩みの種とは未だ自身が自宅警備員として未完成である事に起因する。
とはいえ、田島自身の戦闘能力に欠陥があるという訳でもなく、むしろこれまでも数多の侵入者を撃退してきた実績があり、そこを疑うものは皆無といってよかった。
しかし、それは田島の実情を知らぬ者たちの楽観に過ぎなかった。
それと言うのも、当人の努力だけではどうしても到達できないとされる壁にぶち当たっていた。
『星座大気』である。
■ ■ ■
自宅警備員の強さの源となる『自宅大気』。
未だ多くの謎を抱えるこの異能には、実はその先の段階が存在する。
それは自宅警備員にのみ許された、異能の中の異能。
それこそが『星座大気』と呼ばれる、自宅警備員を真の自宅警備員たらしめる異能の業であった。
全身から放出される『自宅大気』に一定の指向性を与えて攻防自在に転化する技は、自宅警備員の家系に生まれた者であれば、才能の多寡はあれど誰にでも習得可能な技術である。
しかし、その『自宅大気』を本来ならばありえない、全く性質の異なるものへと変化させる、奇跡とも呼ぶべき異能がいつの頃からか確認されるようになった。
それは炎となり、それは鉄となり、それは砂となり、それは小麦粉となり、それは葡萄となる。
あるいはそれは殺気となり、あるいはそれは人体となり、あるいはそれは空気と化す。
融通無碍、変幻自在と評する他に例えようのない、人知を超越した異能の中の異能。
いかなる能力であるかは目覚めるその日まで誰にも分からない。
それはまるで人それぞれに運命付けられた宿星であるかの如く。――――故に、その名は『星座大気』。
目覚めの時がいつ訪れるか。それは誰にも分からない。
それはまるで突如として頭上に星降るが如く。――――故に、その名は『星座大気』。
目覚めた自宅警備員はその日から一角の自宅警備員としてこの神州に輝き続ける事を定められる。
それはまるでこの国に散りばめられた星空の如く。――――故に、その名は『星座大気』。
未だ目覚めの訪れぬ自宅警備員は、いずれ自らが新たな星となるべく研鑽を重ねていく。
そして目覚めの訪れた自宅警備員は、さらに輝き続けるために研鑽を重ねていく節目なのである。
――――故に、その名は『星座大気』。
なお、ここまでの設定は知ったところで本作の面白さに何の寄与も果たさない事をここに明記しておく。
■ ■ ■
『星座大気』に目覚めぬ事は、決して恥とは言えなかった。
そもそもが人知を超越した力であり、目覚めた自宅警備員ですらその秘奥は筆舌に尽くしがたい。
いわば神の思し召す領域の話であり、人の身がいかに足掻こうが事態は前進しないものと決まっていた。
また自宅警備員を引退する直前の高齢を迎えてから目覚めたケースもあり、一概に期限が定められたものでもなかった。
だが、それはそれとして自宅警備員という責務を担ったからには、やはり『星座大気』に目覚めぬ事は焦りを生む。
既にこの座について五年近い月日が流れようとしている。それだけに焦りは一入である。
しかし一方で、如何ともしがたい領域の話である事を理解しているし、足掻いたところで何が生まれるわけでもない。
田島自身、そう悟っている向きもあった。
故に、この中なる悩みとは長々と、これから半生を費やして付き合っていくしかないのである。
それよりも、今の田島を悩ませる頭痛の種は小なる悩みであった。
田島は居心地の悪さに再び居住まいを正しく、そっと正面を見る。
煩悶とした視線の先にいるのは、学生服姿の一人の少年。
少年の名は守宮継嗣。
その高名を轟かせる東都の自宅警備員・守宮順敬が実子である。
が、現在はその継承権を失い、目下、全国の自宅警備員に自らの推薦を頼んで回っているのだと云う。
言うまでもなく、厄介の種である。
田島の本音を言えば、出来れば兵吾には来てほしくなかった。
悩める兵吾圏の自宅警備員・香美田島。
のちに東都圏の自宅警備員となる少年・守宮継嗣。
決して田島が望んで果たされた出会いではなかった。
しかしこの数奇な出会いが、兵吾の自宅警備員の歴史に新たな一頁を押し進める事になる。




