自宅巡り その三(3):たねがしまん輪盤
『覚悟』はできている。
そう答えてしまったが為に、勝負は動き出していた。
何の準備もできないままに、命を賭ける覚悟を試す戦いが始まってしまったのだ。
東都の自宅警備員が一子・守宮継嗣。
籠島の自宅警備員・指宿猪織。
互いの勇気を示し合う、蛮族勇戯『たねがしまん輪盤』。
両者の死闘の果てに待つものは、『生』か『死』か。
今、真の勇気が試される。
■ ■ ■
あれから二人は元いた部屋に舞い戻っていた。
指宿の説明どおり、ルールは至ってシンプルなものだった。
弾丸を発射するスイッチを手に、大砲の前で座禅を組む。
あとは好きなタイミングでスイッチを押し、ひたむきに生死を問うのみ。
空発だった場合は交代し、また相手がスイッチを押すのを見届ける。
これを、実弾が発射され、どちらかが死ぬまで続けるのである。
「…………本気なんですか?」
継嗣は問わずにいられなかった。
慣例として勝負を提案した方から先に挑むことになっているらしく、先手は指宿だった。
指宿は躊躇なく、すでに大砲の前にどっかりと座り込んでいる。
「冗談でやるような事ではないと思いますが」
いまさら何をと言わんばかりの口ぶりに、なおさら継嗣は反論する。
「俺はいつ死んでも差し支えない身の上です。しかし、しかし貴方は自宅警備員でしょう!?」
仮にも指宿は責任ある自宅警備員である。
その死がもたらす波乱は計り知れず、もしも命を落とせば、しばし地鐸の警備が疎かになる。
当然と言えば当然の疑問。しかし、指宿は殊更に愚問を投げつけられたような、不快な表情を作った。
アロハシャツの胸ポケットから一枚の封筒を抜き出すと、さりげない動きで継嗣の元に投げつける。
恐る恐る開封すると、中には遺書めいた文章が認められていた。
「すでに十分な準備は済ませていますよ。もし、私が死ねば近場に待機させている従兄弟がその後任を果たしてくれます」
渡された毛筆の遺書は墨もよく乾いていて、記されてから少しばかり時間が経っているものだと分かる。
ならば、継嗣が訪ねてから急ぎで書き上げたものではない。
「実は言えば、君がこの籠島を目指しているという一報が入ってから、もう準備は済ませていたのですよ」
「最初から、この勝負を予定していたんですか?」
「そう、ですが違うとも言えます。私は君の目的を知らなかった。場合によっては茶でも馳走してお引き取りいただくつもりでした」
ここで床の間から生える大砲から視線をそらし、指宿は端に控える継嗣と向き合った。
くすんだ眼鏡の奥に見える瞳からは、喜怒哀楽の感情を読み取ることができない。
「もし君を自宅警備員として推薦するなら、私は君を認めなければならない。しかし、わずかな対話で君の何が分かると言うのか」
指宿の言い分。それは至極もっともな話だった。
初対面の人間と少し言葉を交わしただけでは、その人物の全てを知ることは不可能だ。
そもそも継嗣の頼み自体が無茶だったのだろう。男は知らず苦悩していた。
「継嗣くん。君は先刻『覚悟がある』と言った。それはこの土地では『死ぬ覚悟がある』という意味になる」
そのつもりはなくとも、言葉の持つ重みとは時に口にした当人が思うものより軽重を違えることがある。
継嗣は今更ながら、軽薄な己の言葉を恥じた。
「君が真剣なのは分かる。私は君を認めねばならない。しかし私はこの勝負以外に、人を試す方法を知らない」
『たねがしまん輪盤』。
あまりにも悪辣で、あまりにも刹那的で、あまりにも野蛮な遊戯。
しかしそれこそが、この籠島の地においては絶対の審判なのだ。
「たとえ、その結果。どちらかが死ぬことになったとしても」
指宿は冗談やお遊びで命を賭けようとしているのではない。
真摯に継嗣の求めに応じてこそ、その命を審判の天秤に委ねようと云うのである。
すでに相手の『覚悟』は決まっていた。
「……貴方が本気なのは分かりました」
ならば、自分はどうなのか。
継嗣はここで口先だけではない、己の『覚悟』を示すべきだと考えた。
それは、命を賭けてでも自宅警備員へと至る道を切り開こうという覚悟だった。
「この勝負、お受けします」
継嗣は改めて、恭しく頭を下げた。
それは勝負の同意を意味する行為である。
しかし、その頭上を見下ろす指宿の目が、一層、熱を失っている事に継嗣は気付かない。
雲行きは怪しいまま、通じたようで繋がらない両者の思惑は空回りしていく。
「……では先手。入らせてもらいます」
指宿は多くを語らず、再び大砲に向き合うと目を閉じた。
両の手で抱え込むようにしたスイッチには、静かに指先が添えられていた。
■ ■ ■
それから三十分。
三十分である。
指宿は、スイッチを押さなかった。
座禅を組んで時折、眉間にしわを寄せて唸ったかと思えば、今度は首筋をぐっと伸ばしてリラックスしている。
本気で押すつもりがあるのだろうか。
その所作にはまるで緊張がなく、かと言って弾丸を発射させる素振りすら見せない。
とうに命を賭ける心構えを済ませたつもりの継嗣には、その姿がはだはだ不真面目な態度に思えてならなかった。
よくよく考えてみれば、この勝負には制限時間について言及されていなかった。
スイッチをいつ押すのか。それは当人の自由。
しかし、それにしても、である。
しばらく黙って様子を見ていたが、とうとう痺れも切れてきた。
「…………あの」
声をかけて二呼吸。聞こえなかったのかともう一度声をかけようとすると、ようやく指宿は反応した。
それはまるで眠りから覚めたような声だった。
「……ん、ああ。呼びましたか。……何か御用ですか?」
待ちきれずに声をかけたものの、いざ面と向かって何用かと問われれば答えに詰まる。
何より、いま相手が臨んでいるのは死そのものである。
まさか時間も押しているのでさっさとスイッチを押してくれ、と気軽に言う訳にもいかない。
固まってしまった継嗣をじっと見る指宿。
しかし、ふいにその気配が爆ぜた。
「あっ! あ、あ、あ、あ、あ。そうか! なるほど!」
急に座禅を解いて立ち上がる指宿は今日これまで見せたどの顔よりも晴れやかなものだった。
男の豹変に面食らった継嗣をよそに、指宿本人は一言残して退室すると、すぐに筆記用具一式を抱えて戻ってきた。
警視にはこの一連の行動の意味が分からない。
呆然と見守る継嗣を傍目に、指宿はいそいそと硯に墨を垂らして、筆先に馴染ませていた。
一通り準備を終えると、ちらり継嗣を横目見て、やや気恥ずかしそうに言った。
「すみませんでした。今のうちに推薦状を書いておかねば」
その一言で、ようやく指宿の行動が理解できた。
指宿はこれから自らの命を試す。
一発目から当たりを引く確率は極端に低いが、それでも命を落とす可能性は捨てきれない。
もし、指宿が死んだ後、取り残された継嗣を誰が推薦するというのか。
後任の従兄弟とやらがそれを引き継いで推薦したところで、その書状にどれほどの重みがあるか。
なれば、生きているうちに書いておかねばならない。
男はそう言っているのである。
「入念に準備を済ませておいたのに、肝心の、君が勝った後のことを考え忘れていました。なんという粗忽」
言いながら、すらすら乾いた紙の上に筆を滑らせると、やはり几帳面な人となりが表れる、美しい字だった。
継嗣の角度から全てを見通すことはできないが、確かにそこには継嗣を自宅警備員に推薦する由が記されていた。
ノドから手が出るほどに欲しい推薦状。
しかし、継嗣の意識はその書状よりも、男の言い放った言葉に釘付けになっていた。
指宿が自身の勝利を確信するような口ぶりに自尊心を刺激されないでもない。
だが、それよりも継嗣はようやっと指宿の長い沈黙の正体に気がついた。
指宿は、自分の死後を考えていた。
あの余りある瞑想の時間は、すべて自らがやり残している事を思い当てる作業の為のものだったのだ。
なるほど。真意が分かってしまえば長考もやむなしと思えないではない。
しかし、継嗣は思った。
思ってしまった。
――――あまりにも臆病すぎはしないか?
指宿猪織。
この蛮族の地・籠島の自宅警備員。
その名を『史上最勇の自宅警備員』と知られた男。
その猛々しい異名。守護する土地の荒々しい気風とも異なる慎重さは、継嗣の認識とは違和感があった。
あるいは、その異名自体が世間をころころ転がっていくうちに膨らんだ、仮初めのものではないのか。
指宿は言っていた。
この籠島はかつて祖先が行った野蛮の為に、今なおその悪名を世間に轟かしているに過ぎない、と。
実際は今もこうして野蛮な肝試し『たねがしまん輪盤』に興じているのだから、その実態は世間の風評とはなんら差異がない。
だが、もしそれが指宿自身にまつわる話であったと仮定するなら、どうだろうか?
『史上最勇』
それが本来、臆病な小男に、過去、地鐸を警備した勇士たちの行いから無尽大の勇猛さを期待され付けられた不相応の異名であったとしたら?
先ほどの話が、もし自分の話を圏全体の話にすり替えた独白だったのだとしたら、今のおかしな言動にも納得がいってしまう。
まさかとは思う。まさかとは思いつつ、それでも継嗣はその邪推に夢中になっていた。
となれば、今、置かれているこの現状はどれ程の茶番なのだろう。
口先だけで自らを追い込み退路をなくした男と、男の戯言を真に受けて命を賭けるつもりになっていた小僧。
悪趣味な妄想に過ぎない。そうは思いつつ、考えれば考えるほどにそれが真相に思えてならない。
そんな考えに行き着いてしまえば、無性に目の前の男が哀れに思えてきた。
その時だった。
「あっ……」
指宿の指が、スイッチを押していた。
重々しく鋼鉄が駆動する音が通り過ぎる。無言の空白が生まれ、――――弾は、出なかった。
「……ふぅ」
指宿が息を吐くと、それを拍子にようやく時が動き出したかのようだった。
ひとまずは命を拾った安心が、男の吐息の中に混じっていた。
いくら希薄な可能性といえど、指宿の表情には一度、死線を越えた安堵が垣間見える。
「では、継嗣くん」
席を譲りながら、指宿は自らの熱気でくもったメガネを拭っていた。
その横顔に、ほのかな苛立ちが湧き上がる。
命を賭けてスイッチを押した。その事自体には敬意を感じないでもない。
しかし、それにしては時間がかかり過ぎていた。
『史上最勇』と謳われながら、その仮面の奥に潜む卑劣な怯懦。
継嗣は知らぬうち、義憤していた。
継嗣は指宿から引ったくるようにスイッチを受け取ると、どっかりと胡座をかいた。
表情は努めて涼しく、これから命を賭ける気負いをなるたけ外に漏らさぬよう、前を見る。
そこには、大砲。
いっそ荒唐無稽に思えるほどに巨大な砲門と目が合った。
当初は悪魔のツノに例えたソレは、悪魔の指になり、悪魔の舌になり、そして最後はその大きく開いた穴が悪魔の目玉のようにも見えた。
それは何よりも直感的な、恐怖そのものだった。
おそらく一人や二人ではあるまい。
数多の命を葬ってきた無慈悲な鉄の怪物が、今、その牙をこちらに向かって伸ばしている。
絵空事ではない、間も無く訪れるかもしれぬ死と直面し、継嗣の鼓動は早鐘を打ち始めた。
その心臓の音と共に、指宿の言葉が継嗣の脳裏をよぎる。
――――君の『勇気』を見せてもらおうじゃあないか。
「……勇気。勇気、か」
継嗣が苦もなく指先に力を込めると、壁向こうの装置が瞬く間に起動する。
一秒先か、二秒先か。間も無く迫り来る審判の時にも、継嗣は微動だにしなかった。
弾は、出なかった。
大砲の前に座ってからわずか三分にも満たない、電光石火の決断。
そのあまりに早い決断をもって、継嗣は指宿に意地を見せたつもりでいた。
席を譲りながら、不敵に相手を睨みつける。
継嗣はやはり、義憤していた。
――――自宅警備員とは、卑劣漢がつとめて良い仕事ではない。
偽りの勇者。偽りの野蛮。偽りの自宅警備員。
その本性を、白日の下に晒けだす。
最も確率の低い初弾。それすらも満足に押す事ができなかった指宿が、これからさらに過酷になっていく勝負を続けられるはずもない。
いずれ相手が音をあげるか、あるいはどちらかの天運が尽きて死ぬか。
元より東都の河原で一度は捨てたこの命。それで勝負が成立するならお釣りが来る。
継嗣はすでに疑念を確信に変えていた。
もはや目的が推薦状ではなく、この誤った自宅警備員を正すことにのみ、意識が定まっていた。
そんな熱く煮えたぎる少年を前に、指宿は増して冷めた目を向けていた。
『たねがしまん輪盤』
残り、8発。




