自宅巡り その二(1):湯湧き、肉踊る地下迷宮
『掘削』とは、何であるか?
掘削とは、固く踏み固められた大地に向かって一矢を投じる挑戦である。
掘削とは、いまだ見ぬ宝を求めて地中にその手を伸ばす、心踊る発見である。
大地に無数の土があり、それでも人は決して掘る事をやめはしない。
光届かぬ場所で埋もれてしまわぬ為に、必死で足掻く者たちもいる。
守宮継嗣、高校生の夏。
――いまだ彼は、自宅警備員ならず。
■ ■ ■
神州西国の地方都市・大飯田圏。
それは天高く、空より眺めればところどころを湯煙が洗う、賑やかな温泉街である。
多くの観光客が湯治を求め、今日もその往来に人の波が途絶える事は無い。――――だが、それは仮初めの姿でしかない。
知る人ぞ知る。
その地下には縦横無尽に張り巡らされた地下迷宮。
それこそがこの大飯田圏の実態であり、その真実を知る者はその異形を指してこう呼んでいた。
――――地下迷宮都市・大飯田、と。
その尋常ならざる洞窟の奥、さらにその奥の、奥の、奥の、奥。
入り組んだ坑道が大蛇の如く、とぐろ巻くこの地下迷宮のもっとも深い位置にその人物はいた。
「あっっっつぃなぁ! チクショウ!」
放たれた苛立ちの叫びは反響しながら洞窟の中をどこまでも木霊していく。
風通りが悪い洞窟内は、湧き出る温泉の湯気や地熱がこもってサウナさながらだった。
「止めだ、止めだ! やってられっか!」
いつもの事で慣れっことは言え、こうまで気温が上がっては作業を進める事すら困難になる。
道を戻って、いつも起居しているねぐらまで辿り着くと、あとは荷物も投げ捨てて、重ね着していた浴衣もはだけさせると豪快に大の字で寝転がる。
こうなっては温かな灯りのみが照らす洞窟の中にゆっくりと寝息を響かせながら、何もかもを忘れてしまうしか手だてはない。
所変われば品変わる。
木を隠すなら森の中の理屈で秘匿される『自宅』も、この大飯田圏では民家ではなく洞窟の中。
正確には大飯田の地下にうねるこの大洞窟。その全てが『自宅』なのである。
元々に山が多い土地柄でトンネル工事が多く、また温泉資源に恵まれていた為に掘削事業が盛んであったせいではないかとも云われているが、今やその事を疑問視する声は皆無である。
そんな諸般の事情はさておき、そんな洞窟で暮らすこの人物もまた、やはり自宅警備員だった。
今こうして大の字で転がっている空洞も現在、仮の住居として使用している空間であり、よその穴倉と比べればそれなりに快適であるようだった。
目を閉じれば、すぐにでも眠りにつけそうなほど疲労していた。
実際にそうやってうつらうつら夢見際の心地よさを味わっていたのだが、それが猫を思わせる俊敏さで立ち上がると、すぐさま身構えた。
何となれば、洞穴の向こうから足音が響いてきたのだ。
大飯田の補佐官が必要な物資を届けに来る時間まで、まだ十時間以上ある。
他に可能性があるとすれば、たまたま洞窟に迷い込んだ一般人だが、この場所は目的もなく簡単に辿り着ける場所ではない。
何しろ洞窟に足繁く通う補佐官ですら、最深部からの誘導なくしてこの場所へたどり着く事は困難だった。
「何もんだ、てめえ!」
威嚇がてら吠えてみたが、返事が返って来るとは思っていない。
その姿を捉えると同時に、逆にこちらから襲いかかって出端を挫いてやる腹づもりだった。
だが、そんな張りつめた空気の中、洞窟に響いたのは未知の侵入者の一言。
「――――すいません。こちら廣田宇佐さんのお宅でしょうか?」
「……ああ!?」
通路の端から顔を出したのは、まだ幼さが残る顔立ちの少年だった。
身を学生服に包みながら、その下に鍛えられた肉体が隠されていることは容易に把握できた。
ゆえに緊張は高まる。のだが、その表情に敵意が見られない。しかし、その少年は確かにその名を呼んだ。
敵でもなく、かといって偶然に迷い込んだ訳でもない。
正体不明の侵入者を前に、廣田宇佐の闘争心は完全に空振っていた。
これが後に、東都圏自宅警備員となる少年・守宮継嗣。
そして、大飯田の地鐸を守護する女自宅警備員・廣田宇佐の、初めての出会いであった。
■ ■ ■
「やなこった!」
宇佐はこれ以上無いほどに明確な返事で突っぱねた。
けんもほろろに突っ返して取りつく島さえ与えない。
「お前、自宅警備員の秘密をバラそうとしたらしいな。バッカじゃねえの。バッッッッカじゃねえの! そんで大人しく反省してるならまだしも、『俺の為に推薦状を書いてください』だぁ!?」
宇佐は小柄な女で、こうして並んで座ってみても継嗣とは頭二つほど身長に差がある。
それでも声だけは人並み以上で、その体のどこからそんな声が出てくるのか。女はあらん限りの罵声を浴びせかけていた。
「ふざけんな、クソガキ! なんであたしが手前のケツ拭く紙をこさえてやんなきゃなんないんだ!」
クソガキと言いながら年齢は五つほども差は無いのだが、ともあれ今に石でも投げつけそうな剣幕である。
元より気が短い質な上、出し抜けに言い出した要求があまりに虫が良すぎたせいもある。
だが、何よりも気に入らないのは、その少年の態度だった。
「おい! 聞いてんのか、コラ!」
「……き、聞いてます」
「じゃあ、こっち向け! それが人にものを頼む態度か!」
宇佐が腹を立てて説教していると言うのに、少年は先刻から明後日の方向を向いたまま、こちらをちらりとも見ようとしないのである。
これではますます宇佐の怒りに拍車がかかるばかりで、いよいよ我慢も限界に近い。
だが、少年にも少年の言い分があるらしかった。
「だから! お願いですから、服を着て下さい!」
宇佐は浴衣をはだけさせ、上半身を惜しげもなく晒したままだった。
しかし宇佐とて年頃の女である。人としての羞恥心は忘れている訳ではない。
「人聞き悪い事言うな! 着・て・るだろ!」
言葉の通り、その人目を惹く豊かな胸部だけは確かに布で覆われていた。
だがそれでも刺激が強すぎるらしい。少年は目を合わせる事なく叫びだす。
「下着姿で恥ずかしくないんですか!?」
「こっ、これは水着だ、バカ!」
洞窟内の生活に汚れはつきものであった。動けば汗もかくし、じっとしていても天辺から降り注ぐ砂埃を避けて生活する事は困難である。
何をやっても不浄が付きまとう為、自宅警備員としてあまり褒められた事ではないのだが、それでも大飯田の人間として温泉だけは欠かしたくはない。
そんな万事において面倒を嫌う宇佐が辿り着いたのが今の姿だった。
最初は浴衣の下に何も身に付けてはいなかったのだが、流石に同性の補佐官から注意を受け、いつでも気兼ねなく温泉に浸かれるよう水着だけを着用するようになっていた。
だが、その慣れた姿もこうまで恥ずかしがられては不安になってくる。
渋々ながら浴衣に袖を通すほどには、宇佐も乙女であった。
「ほれ、着たぞ! こっち向け!」
「……本当に着ました? 着たとか嘘ついてこっちを向かせようって……」
「んな嘘つくかッ! さっさと向け!」
まるで露出狂のように疑われ、なお業腹である。
ようやく向き合ってはみたが、このままいくら罵声を浴びせたところで腹の虫は収まりそうになかった。
焼いたものか、煮たものか。
そうやってあれこれ考えるうち、ふいに宇佐の悪知恵が働いた。
「おい、ガキ。そんなに推薦状が欲しいのか?」
「はい!」
問えば即答。その反応の良さに笑いを抑えるのに苦労する。
宇佐はそれまでとは態度を一転させ、自然と笑顔になっていた。
「そうかそうか。実はさっきから暑くてたまんねえんだが、あいにく物資が届くまでまだまだ時間があってよ。ノドが乾いちまって、あたしが好きな『地獄カボスジュース』でも一杯飲み干したい気分なんだよ」
「……『地獄カボスジュース』?」
「そういう商品があんだよ。酸味がほどよくて、それ飲りながら魚やポテチ食うとこれがまた美味いんだ。ひとくち飲めば暑さも吹っ飛ぶんだよなぁ。お姉さん、嬉しくてなんでも言う事聞いちゃうかもなぁ」
その言葉で対面の少年の顔に緊張が走ったのが分かった。
真剣な面持ちな分だけ、宇佐は笑いを堪えるのに手間取ってしまう。
「つまり、それを買ってくれば推薦状が戴けると?」
「……考えてやってもいいぜ」
「分かりました!」
答え終えると少年は一礼して、矢のように飛び出した。
まさしく電光石火というやつで、滑稽なほどに必死で駆け出す姿は宇佐も一瞬、呆気にとられるほどだった。
その後ろ姿を見送って、しばらく。
「……ひひっ」
たまらず吹き出すと、宇佐は童女のように笑い転げた。
「あははははははっ! バカだ! あいつ、本物のバカだ!」
この大飯田地下洞窟のありようは『人食い』に例えられる。
そもそも自宅警備のために作られた洞窟であり、その様は如何なる侵入者も飲み込む人食い大蛇のようなものだった
ひとたび足を踏み込めば複雑な構造に感覚を狂わされ、迷わされ、惑わされ、果てに命も奪われて洞窟の一部になってしまう。
近年は時折、分家の人間が洞窟内を点検・整備をして回る為にそういった事故が起きる事はなくなったが、それでも魔性の迷宮は健在であった。
おそらく、よほどの幸運に恵まれていたのだろう。
こうして宇佐の居場所にたどり着けたのは、まさに幸運であるとしか言いようが無い。
少年はそんな宝くじに当たるような偶然を一度はつかみながら、みすみす手放したのである。
まずここから地獄カボスジュースが売っている地上に戻れる可能性すらも危ういのだ。
もし仮に運良く地上にたどり着いたとして、そこから再びこの場所に戻ってくる事は空の星をつかむに等しかった。
少年は思春期特有の万能感とやらで、一度でも辿り着いた場所なら戻ってくるのは容易であると考えているのだろう。
――――そんな甘いもんじゃない。
宇佐はほくそ笑みながら、それでも笑い足りないようだった。
「まぁ、死にゃあしない。誰かが拾ってくれるまで、せいぜい酷い目に遭うがいいさ」
もう会う事もないだろう。その顛末を思えば憂さも晴れる。ひとしきり笑いが尽きた頃には怒りが嘘のように消えて気分爽快だった。
しかし、時計を見れば笑ってばかりもいられないようだった。
「っと、もうこんな時間か。バカに構ってる場合じゃねえな」
宇佐は手早く支度を終えると、黒塗りの漆器箱を担いで地底温泉に向かった。
人食いと例えられるこの迷宮も、そこで生まれ育った宇佐にとっては庭も同然、どころかまさに自宅である。
宇佐は迷う事なく温泉のある洞穴に辿り着くや、ぱっぱっと浴衣を投げ捨てて、あとはどぶんと温泉に飛び込んでしまう。
多少汚したところで構いはしない。他に浸かりに来る者がいないのをこれ幸いと、温泉は独占状態だった。
それから数十分。ひとしきり湯浴みを楽しんできた宇佐は――――その姿を一変させていた。
顔のそこかしこを汚していた泥が落ちると、その下から現れたのは薄暗い土色の洞窟には不釣合いなほどに白い肌だった。
乱雑に束ねられていた長髪は湯で濯ぎ終えると嘘のように真っ直ぐとした線を描き、くっきりと形の良い頭に沿いながら流れている。
何より目を見張るのはその衣装。
土埃に塗れた浴衣から一転、一部の汚れもない見事な白衣に緋袴で。――――つまりは由緒正しい地巫女装束に召し替えていたのである。
「……はぁ、やっぱ慣れねえな」
襟元を直しながら、宇佐はその着心地にいまだ心が落ち着かない。
しかしそれも役目と割り切りながら衣装を汚さぬよう、努めてゆっくりと歩いていく。
その様はどこに出しても恥ずかしくない、立派な地巫女の姿であった。
■ ■ ■
神州に四十八の自宅警備員あり。
その中には女性の身でありながら自宅警備員を志した者もいる。
彼女らは有資格者であり、女性と言えどいずれも男の自宅警備員と比較して劣らずと判断された女傑たちである。
さらに、彼女らには自宅警備の他に、もう一つ重要な御役目が課せられている。
地鐸にまつわる様々な神事を取り仕切る巫女。――――即ち、地巫女である。
女性が自宅警備員になる際にはひとまとめに地巫女も兼任させられるのが決まり事となっていた。
元は自宅警備員に嫁いだ地巫女が死した夫の代わりに敵を討ち果たし、自宅警備を継いだ故事がきっかけとされているが、真実は定かではない。
一つの慣習として、もはや女性の自宅警備員が地巫女を兼任することは常識であり、むしろ誇らしいとさえ思いながら異論を唱える者は皆無である。
この廣田宇佐も、そんな兼任地巫女の一人であった。
■ ■ ■
地鐸の神前にて神楽舞を踊り、定例の地鎮奉納を済ませてのちの事。
乾いたノドでも潤そうと仮住まいの空洞に戻ってきた宇佐は、開口一番、驚きの声を上げた。
「……なんで、てめえが」
そこに居たのは、もう二度と会う事はないだろうと思われた少年・守宮継嗣だった。
驚いたのは向こうも同じらしい。
口を開けて挙動不審にたじろいだと思うと、ようやく驚きの声を上げた。
「え、あれ。あ、ひょっとして……廣田さん?」
先程までとは出で立ちが違う宇佐の巫女姿に面食らったらしい。
互いに空気を読み合うような沈黙のあとで、ようやく宇佐が二の句を告げた。
「てめえ……何、戻ってきてんだよ」
時計を見れば、宇佐が少年を見送ってからまだ一時間も経ってはいなかった。
あれから迷いに迷った挙句、またしても持ち前の運とやらでここに戻ってきたのか。
宇佐はそう結論づけたが、実情は違っていた。
「何って……買って来たんですが。『地獄カボスジュース』を」
「ああ? ……あ」
そう言って少年は手に提げていたコンビニの袋を差し出した。
中をあらためて見ると確かにそこには地獄カボスジュースが入っていた。缶にそっと触れてみると、そこにはまだひんやりとした冷たさが残っている。
それはこの少年がこの短時間で複雑に入り組んだ迷宮を走破してきた証だった。
「嘘、だろ……?」
最初は発信器の類いでも仕掛けられたかと疑いをかけたが、それもあり得ない話だった。
何しろここは地中深く。発信器で位置を特定したところで、そこに至る道順は迷い路になっているのである。
ろくに役に立たない目印であるし、万が一に備えて家具一式の中にはそういった電信に反応して鳴る警報機も用意してある。
だとすれば、この少年は何を目印にここまで辿り着いたのか。
「おい、ガキ」
「守宮継嗣です」
「ああ、ああ、分かったよ。……継嗣。お前、どうやってここまで来た」
分からなければ聞けばいい。
愚直ではあるが、それも宇佐の美徳である。事実、そのお陰ですぐに答えに辿り着く事が出来た。
「どうやって、って、普通に走って」
「そうじゃなくて! たくさん分かれ道があっただろ。迷わなかったのか」
この洞窟は地下迷宮の名が示すように入り組んだ作りをしている。
その道の途中には幾つもの分岐があり、またその幾百もの分岐が複雑に入り組んで人の認識を惑わせるように作られていた。
常人であれば、まず間違いなく方位不覚に陥って道中に立ち尽くす。
それをこの少年は正解の道のみを選び取り、最短距離でこの場所にたどり着いたのである。
「なんて説明していいか……道によって『懐かしい』感じがしたんです」
――――懐かしい。
その言葉に、宇佐の全身が総毛立つ。
継嗣は偶然にもこの深部に辿り着いた。早計にもそう結論づけてしまっていたが、もしそれが偶然でなかったとしたら――――。
「おそらく宇佐さんの生活音、なんですかね。洞窟内はよく響きますから」
「……おい。あっちの通路を見ろ」
宇佐が指差す先には、今いる空洞の奥からさらに又別れした坑道があった。
二つの道はさらに奥へと続いていて、その先は暗がりに隠されている。
「もし、あたしがここにいなかったらお前はどっちの道を進んだ? ……いや、どっちの道が『懐かしい』と思う?」
質問しながら、奇妙な質問だという自覚はあった。
だが、継嗣は少し考えてから、まるでそこに明確な答えがあるように一方を指差した。
「あっち、ですかね」
「マジかよ、こいつ……」
宇佐は思わず口の端をゆがめて溜め息をついた。
その指差した道の先にあるのは、現在、大飯田の地鐸を祀る迷宮の最深部に違いなかったからである。
宇佐はその場で腰が抜けたように座り込むと、再び継嗣の顔を見た。
それからその顔を見ながら眉をしかめたり、首をかしげたり、唇を尖らせてみたと思えば、今度は睨みつけるの百面相である。
じっと顔を凝視されては流石に照れくさいのか、継嗣も言葉に窮していた。
「あの……廣田さん?」
約束の地獄カボスジュースを献上したというのに相手は約束を果たそうとする素振りがない。
だが、今はそんな事よりも先程からの宇佐の言動に戸惑うばかりである。
「うっし! 決めた!」
ところがそんな動揺を意にも介さず、宇佐は畳み掛けるように叫ぶと続けて継嗣に一つの言葉を投げかけた。
その面持ちはこれまでと違って、別人のように神妙であった。
「――――守宮継嗣。あんたを見込んで頼みがある」
薄暗い地の底に、懸命な女の願いが木霊していく。
そんな宇佐の熱い思いとは裏腹に、継嗣は少し恨めしそうな顔をして、その手に握られている地獄カボスジュースの缶を見つめていた。




