9章 セクシーな指?
岡崎の恋人、香織の出現に怯える冬子。 大人になれない彼女の精一杯の恋は少しづつですが変化を見せます。
ライブは中々の好評を得て終了した。 横浜や鎌倉あたりから来てくれた往年のジャズファンに加え、若いサーファー達も大人のムード溢れるプレイに酔いしれた。
「冬子ちゃんみたいな若いファンだっているんだもの、修たちの音楽が若い世代に受けいられて当然でしょう」冬子の勘通り、香菜子は岡崎の“彼女”だった。
「修のオリジナルもよかったわよ。 ね、冬子ちゃん?」
「うん」
「ね、冬子ちゃん、あなたみたいな可愛い子がずっとライブに来てくれたらフェスティーブの士気も上がるわ。 これからも応援してあげてね」 香菜子は天真爛漫な人柄なのだろう。 冬子がライブに来ている一番の理由は自分が岡崎に熱い想いを抱いているからだとは微塵も気づいていない。
「こいつガキのくせに結構一端の意見を言うしな」 岡崎が冬子の頭を指でツンとつついた。
「『ガキ』だなんて、修はホントに口が悪いわ。 彼女、ご贔屓にしてくれているんでしょう?」
「いいんです、香菜子さん。 ホントのことだし」 やっぱり岡崎は冬子のことを子供だと思っているのだ。 哀しいかな6歳の年の開きは大きかった。 ティーンエイジャーの冬子から見れば岡崎も香菜子も、そしてライブに来ている周りの人達だってみんな大人なんだもの。
「香菜子、お前も一緒に乗っていけよ。 オレこいつを都内まで送ってやんなきゃなんないから」
岡崎がクイっと頭を冬子の方に傾げる仕草をした。
「う~ん。じゃあ、わたしは鎌倉で降ろしてもらおうかな。 ちょっと妹に会いに行きたいし」
「香織ちゃん一人暮らし始めたんだろ? しっかりしてるよな。 香菜子、完璧先越されてんじゃん」
岡崎が笑いながら言った。
「ほんとよ。 修が自立するの待ってるお陰でわたしはまだ実家住まいよ。 ミュージシャンの彼を持つと苦労するわ」 香織が形のよい唇を尖らした。
フェスティーブは音質もいいしメンバーも揃っている。 レパートリーにも幅があった。 でもそれだけでは、いいギャラはもらえない。
二人はいつになるかはわからないが岡崎のミュージシャンとしての収入がそれなりに安定するのをまって一緒に暮らすつもりらしかった。
両親の大反対を押し切って大学を中退し、プロのミュージシャンを目指す岡崎を支え続けた香織。 彼らには自分の知らない積み上げてきた歴史があり、そこには冬子の入る余地などないのだ。
香織の美しい貌の下には一人の類まれな才能を持った男に愛され、彼の才能が花開くのを一心に信じて支えてきたのは自分なのだという自信が溢れていた。
『あたしは今までチャラチャラとお洒落をしてフェスティーブのライブに行ってたけど、ただそれだけ。 時々楽屋に入れてもらったり打ち上げに加わらせてもらって浮かれてたけど実際には岡崎さんのために何かしてあげようとか、そんなコト考えたこともなかったよ……。』
冬子は完全に打ちのめされた気がして早く家に帰りたくなった。 家に帰り自分の部屋で思いっきり自己憐憫の想いに浸りたかった。 ベッドに身を投げて枕を叩くなり、歯噛みをするなり、気の済むまで泣きわめきたかった。
香菜子を鎌倉の駅で降ろすと冬子は岡崎と2りきりになった。
ライブの中盤から冬子はカウンター席にいたサーファーの男達に話しかけられたり興味本位に口説かれたりした。 香菜子の存在に不安になった冬子は彼らが奢ってくれるテキーラやウォッカを混ぜたドリンクをしこたま飲んでいた。
「……岡崎さーん、今夜の演奏さぁ……メッチャよかった……」 頭がグラグラして体がふわふわと浮いているようなヘンな気分だ。
「……。」
「あの、オリジナルさぁ……彼女さんのために書いたんだぁ、そうだよね~?」 フェスティーブが今夜のライブでラストに演奏した曲のことを冬子は言った。
「あたしさぁ、あれがいっちゃん好きだぁなぁ……。 ほら~、サビんとこで一気にフラットが……
ね、あったでしょー? タッタタ、タララァ~ん……」 呂律が回らない口で冬子は岡崎が書いた曲を復唱している。
「お前、酔っ払ってんな?」 岡崎が車のギアを高速にチェンジした。
「……ない、ないって!」 冬子が手を振ってみせる。
「ライブで飲むなって言っただろ……?」
「あ~ん? 平気、平気。 あたしはぁ~お酒、つよ~いんだよ~だ」
「全く、しょうのねぇガキだな」
「まったぁ……いっつも子供扱いにする~!」
「酔っ払ってヘンな奴に捕まったらどーすんだよ。 演奏に集中できないだろ、そんなこと考えてたら。 んなことも分かんないのか? だからガキだって言うんだ」
「考えてる? うそばっかぁ。 あたしのことなんて~……考えるワケないじゃん。 嘘つき!」 そこまで言うと冬子の目の奥が熱くなった。
「ナニ絡んでんだよ」
「だって~、香菜子さん……さぁ」
「あぁ?」
「綺麗だね……。 やっぱー、あーゆー人がぁ、いいよねー?」
「今度はそっちかよ~」 岡崎は呆れている。
「……あーゆー人だとぉ、やっぱボサノバみたいな~? 書きたくなるぅ?」
「まぁ、綺麗な人には創作意欲をそそられるなー」
「だよねぇ~。 ねぇー、チェット・ベイカーにもさぁ、あーゆー恋人いたかなー?」
「いたろうな、ゴマンと……」
「そっかぁ……。 じゃあさー岡崎さんにもぉ恋人ゴマンとぉ、いたらぁ~? いい演奏
たーくさーんできる?」
「バーカ、オレはそんな器用じゃねーよ」
「でもぉ~指よく動くじゃーん? サックス演奏してっときぃ……」
「ハハハッ……それと関係ねーよ」 岡崎が恥ずかしそうに笑った。
「セクシーだと思うよー。 すんごい……好き……」 冬子は焦点の合わない目でうっとりと岡崎を見た。
「あぁ、わかった、わかった」 子供をあやすように岡崎が言った。
「……どうして……? もっと……」 冬子は喉の奥が熱く締め付けられるのを感じた。
「……?」
「あ、た、し……うっ、ひくっ、えっえっ……」 嗚咽が喉から込み上げてくる。
「なっ……泣くなよ、こんなとこで」 進行方向と冬子を交互に見ながら岡崎はあわてた。
「く、るま……、ひくっ……、停めて……!」 嗚咽しながらやっと言葉を絞り出した。
「バカ言うなよ」
「気分悪いのっ……!」
「マジかよ……?!」
「……早く!」
キキィーッ!! 車を路肩に停めると岡崎は素早く助手席側にまわりドアを開けた。
引き摺り降ろすように冬子の腕を掴むと岡崎は人目に付かない所へ連れて行った。
「しっかりしろよ!」
「ウッ……、ウッ、ゲェー!!」
嗚呼、なんという失態! 熱烈に好きな男の前でゲロってしまうとは……。
岡崎は『ヤレヤレ……』といった表情で冬子の背中をさする。
「しょうがねーガキだぜ」 思いっきり呆れてる口調だ。
「う、うるさ……ゲェーッ!!」 目玉まで飛び出しそうな苦しさだ。 こんなに苦しいと格好も何もないものだ。 出るものを出して、ひたすらラクになりたいと思う。
「大丈夫か……?」 今度は同情の念をあらわにし、冬子の背中をさすり続ける。
「はぁ、はぁ……う、うん。 平気……」 言うと冬子はふらつく足元で車に戻り、バタン!とドアを閉めシートにドサっと身を横たえた。
「しょうのないヤツだな」 岡崎の手が自分の頭をクシャクシャっと撫でるのを感じたのを最後に冬子はスゥーッと眠りに落ちていった。
二人きりでの車内、酔いつぶれた冬子の頭を23歳のジャズ・ミュージシャン、岡崎は優しく撫でる。 冬子の気づかない岡崎の心の揺れが垣間見える瞬間。