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5章 グリーン・ノートのフレグランス

今回は前章よりもさらに長めでーす。

 雑居ビルが道の両側にひしめくように並んでいるごちゃごちゃした裏通りを歩きながら岡崎が後ろを歩いている『フェスティーブ』のメンバーに訊いた。

「腹へってないか?」

「牛丼でも喰いに行くか」と答えたのは斉藤省吾で、「またかぁ...」とガッカリしたように言ったのは龍院寺誠だった。 


『フェスティーブ』のメンバーのうち、リーダー格の蒲田美津夫は楽器や機材をライトバンに積み、ライブが終わるとまっすぐに帰宅した。 

数週間前、車に機材、楽器を積んだまま飲みに行った或るバンドが、車のドアの鍵をこじ開けられて、ギターやアンプなんかをごっそり盗まれたという事件があった。 

警察に被害届を出したにもかかわらず楽器泥棒は捕まらず、そのバンドのメンバーたちは、ありったけの持ち物を質入して機材や楽器を買いなおした。 

その話を聞いて以来、蒲田さんがメンバー全員に、大事な商売道具を車に置き去りにするな、ときつく言い渡したらしい。

「大体バカなんだよ、何十万もするような楽器や機材をおいて酔っ払いに行くなんてさ」岡崎修が言うと、

「そう言うけど、いつも一番飲むのって修さんですよね」

龍院寺誠がニヤニヤしながら岡崎の顔を見た。 

斉藤も、そうだと言わんばかりに頷く。

「いいんだよ、自分の金で飲んでるんだから」

「自分の金じゃなくて、バンド全員のでしょ?」

龍院寺誠が諭すように言う。

「だからこうやって皆で飯喰いに行くんだ」

「蒲田さんに悪いですよね、いつも僕達だけで……」

龍院寺が遠慮がちに言うと、

「ミッチーは嫁さんがいるからねー」と斉藤省吾が意味ありげに言って笑った。

「蒲田さんの奥さんって怖いんですか?」冬子が訊くと、岡崎が「うんん、いい人だよ。でも稼ぐから発言力あるけど、バンドのことには口を出さない人かな。 そうゆう嫁サンだから蒲田さんも

オレ達の金のこと全然うるさくないんだ」


そうゆうものなのか、と冬子は思う。 

結婚をしている人の事情などまだ高校生の冬子にはわからない。 ただなんとなく、蒲田さんはミュージシャンとして頑張ってはいるけれどお金には縁がなく、そのかわり、働きのある太っ腹な奥さんに食べさせてもらっているように思った。

 結局冬子たち四人は立ち食いの牛丼屋さんに入った。 

ガツガツと牛丼をかき込む岡崎と斉藤の間に挟まれて冬子は親子丼を頼んだが、岡崎の存在が気になって食べ物が中々喉を通らない。

「こんなとこで行儀なんか気にすんなよ」岡崎にそう言われたが、やっぱり緊張してしまう。

カウンターの中で牛丼を作っている人が“こんなとこ”と言われて気を悪くしないだろうかと、冬子はチラリとその料理人の方を見た。

「冬子ちゃんはお前と違ってお上品なんだよ」斉藤省吾が口いっぱいに牛丼を頬張りながら岡崎に言った。

「ほら、遠慮すんな…」岡崎が水の入ったコップを冬子の前にトン、と置いた。

その岡崎を見て龍院寺が笑っている。 

年の功から言えば蒲田美津夫を除けば岡崎修と龍院寺誠は同じくらいかもしれない。 斉藤省吾はその二人より三、四歳上だろうか。 

腕に刺青なんか入れてるから恐い人かと思ったけれど、斉藤は意外とおおらかで優しそうだ。

「冬子ちゃんて、家はどこなの?」

斉藤省吾が何気なく訊いた。 冬子は都内から外れている、そのベッドタウンの名を言うのに躊躇った。 そんな“遠くから”わざわざ前座バンドを観に来る目的が、岡崎に逢うことにあるのだとは悟られたくない。

冬子が答えに詰まって黙っていると、岡崎が冬子の住んでいる街の名を二人に告げた。

「...えぇえー!」龍院寺誠が大げさな声を上げた。

「そこって遠くない? そんな遠くからわざわざ俺達のバンド聴きに来たの?」斉藤省吾がビックリと感激をミックスして冬子の顔をまじまじと見た。

「ほら、こないだライブやった千葉のクラブあったろ? 

あそこでオレたちのジャズ初めて聴いて気に入ってくれたんだ。 だからここへも誘ったんだ」

岡崎が両腕を前に組んでエッヘンと胸を反らした。

「へぇー、そんで修さんが営業したってわけ? やるじゃないですか! ぜんぜん商売っ気ないと思ってたのに、意外ですねぇ」

「ばぁか。 誠、この子が可愛い子だから誘ったんだろ、なぁ?」

岡崎はそれには答えず煙草をふかしている。

「俺だってさぁ、この子くらいカワイイ子にバンドの音楽気に入られたら電話番号だって住所だっておしえちゃうよ。 

あ、ところでさ、君、なまえは?」

斉藤が刺青のある太い腕を冬子にぐっと近づけてきた。

「……白鳥冬子…です……」

「シラトリ……、それってハクチョウのシラトリ?」

「……あ、はい……」

「かっ、わ、いい! 君にぴったりじゃん、それって。 白鳥に冬のフユコちゃん? イメージにぴったり! で、いくつ? 歳?」

斉藤省吾のアプローチに冬子はタジタジとなった。

「……あ、一七です」

「……じゅうしちぃー?!」

今度は龍院寺も斉藤と一緒になって声を上げた。

「じゃあ、何? 冬子ちゃんて高校生?」

龍院寺誠のテンションが一気に上がった。 冬子がそうだと頷くと

「かっわえー!!」

二人はふざけてもんどりを打った。

冬子は岡崎もこのおどけた二人くらい自分に反応してくれてるといいのにと思う。

「おい、二人ともあんまりからかうなよ、彼女、びっくりするだろ?」

「……あ、だ、だいじょうぶですけど…、みなさんってだいたい幾つくらいなんですか?」

はっきり言って、自分の年齢や高校生だというステイタスに、こんなに大きなリアクションを受けたのには驚いた。

……もしかして、この人達ってロリコンとかじゃあないよね?

「あ、僕が二十一で、修さんと省吾さんは二十……?」

龍院寺誠は岡崎と斉藤の二人に向かって指を三本立てたり四本立てたりしてる。

「オレが三で、省吾は、四だったっけ?」

岡崎が言う。

「えぇっ、しゅうって二十三だった?」

「見エンだろ?」

「ってか、そう、俺は二十四になった。 お前なんか得してんじゃん?」

斉藤が岡崎を見る。

「得って……、オレ誕生日二月だから、学年一緒だけどお前より若いんだよ」

「ラッキーな奴」

斉藤が指をパチン!とならした。


……岡崎さんって二十三なんだ。

ってことは、あたしとは五つも上だ。

もっと若いと思ってたけど……。


「おい、もうこんな時間だぞ。 オレ、この子のこと新宿駅まで送ってくから先に雀荘行ってろよ」 

岡崎は立ち上がると牛丼の伝票を持ってレジへ向かった。

「修さんホントに来るんですか? 冬子ちゃんとどっか行ったりしないでくださいよ」

龍院寺がひやかした。 

「バーカ、この間の負けを取り返すんだ。 寄り道なんてしねぇよ」

岡崎は苦笑いをしながら店を出た。



 夜の新宿の街は小雨がチラついていた。

ビルのネオンが濡れたアスファルトに様々な色や形に滲んで映る。 

岡崎はTシャツの上に着ていたチェックのフランネルのシャツを脱ぐと「ほら、」と言って冬子の頭からそれを被せた。 

冬子が遠慮して大丈夫だから、と断ろうとすると「濡れるから」と言って聞かない。 

ふわりと頭に被せられたシャツから岡崎のフレッシュ・グリーンのパフュームが微かに香って冬子は一瞬、息ができなくなりそうだった。


「寒くない?」

フランネルのシャツを冬子の顎の下でかき合わせてやりながら岡崎が言った。

冬子は岡崎の長い睫に縁取られた瞳から逃れるように小刻みに首を横に振った。

「そんな短い服着て、お前、気をつけろよ」

岡崎は冬子の黒いレース地のワンピースをチラリと見て言った。

「大丈夫、風邪なんか引かないから」

冬子は梅雨の小雨くらい全然へっちゃらだと思う。

それに、こうして岡崎と一緒に歩いていると、気持ちが高揚するのか、なんだか火照ってくるような気さえする。

「夜の街は、これで色々あぶないんだからな。 そんな恰好でフラフラ歩いてると、酔っ払いやら、へんな奴に絡まれるぞ」


あ、そうゆうことを心配してるのか…。


だけど、危ないといえば、ハイヒールの方がもっと危ないかも。

履きなれなくて、さっきから歩くたびに膝がガクガクするの。 

雨で濡れたアスファルトをハイヒールで歩くのがこんなに大変だとは思わなかった。

「なんだかその靴も危なっかしいな、ちゃんと歩けるのか? そんなんで」

岡崎にはお見通しだったみたいだ。

「歩けるよ……まぁ、慣れればってことだけど」

冬子の言葉のおしまいの方が小声になると岡崎はふっと笑った。

「次のライブに来る?」

「行ってもいいの?」

「ああ……。」

「あたしみたいなガキがのこのこ出掛けていって迷惑じゃないの?」

「ライブ・ハウスは全然、客が増えれば喜ぶだろ?」

「……そうだろうけど、岡崎さんは?」

「来てくれたら嬉しいよ。 好きな音楽聴いてくれたらそれだけで嬉しいよ」

そうなんだ…。

そうだよね、この人はミュージシャンなんだもの。 自分の音楽聞いてくれる人が一人でも増えたらハッピーだよね。

冬子は岡崎のその一言で心に羽根が生えたみたいにウキウキした。

「今夜は『シックス・ペンス』の脇役で、あんまり自分達の演奏になれなくて、せっかく来てくれたのに悪かった。 次はもっと自分達のプレイができると思う」

「……。」

悪かっただなんて、とんでもないよ。 

冬子は岡崎に会えて、その上牛丼までご馳走になったんだもの。

これ以上贅沢なこと言えないよ。

「ずいぶん遅くまでつき合わしちゃったな。 家の人に怒られない?」

「うんん、平気だよ。 友達やバイトの人と、結構遅くまで遊んでることあるし、もう高校三年だから親は大目に見てるの」

「高三か。じゃあ受験とかあるんだろ?」

「ないない、あたしは専門学校行くから受験なし。 内申書だけだよ。 ま、だから遊んだり、バイトしていられるんだけどね」

「バイトって何のバイト?」

「ファミリー・レストランのウェイトレス」

「元気のいい挨拶してくれるウェイトレスさんやってるんだ。ちょっと想像つかないな」

「どうして?」

「だってああいう所のウェイトレスってそんな化粧濃くないだろ?」

「ははは…。 いつもこんなメイクしてるわけじゃないよ」

「そうかぁ、そうだよな。 そういえば最初に会った時は、もっと子供っぽかったもんな」

「スッピンだったしね。 バイトのときは、軽くメイクするけど……。 今夜みたいなのは、あんまりないよ」

「七変化ってやつか、妖怪みたいだな」

「やぁね。 女の子はいくつもの顔を持つものなの」

そう言って岡崎をチラッとにらんだ。

冬子はお洒落が大好きだ。 服やメイクによって気分が変るのがおもしろいし、綺麗な服や靴は見ているだけでも楽しい。

大人になったら服を作る仕事をしたいと思っている。

「オレなんかいつも同じ恰好だよ。 バンドの連中もたいしたカッコしてないけど、あいつらがいくつもの顔持ってたら怖いしな」

「ははは……、斉藤さんは顔ひとつでもこわいよ」

「あいつ強面だからなぁ」

他愛のないことを喋りながら二人は新宿駅の東口にあっと言う間に来ていた。 こんな時間になっても、この街は人の出が少なくなることなんてないようだった。

「じゃあ、それ(シャツ)は次のライブまで持っていていいよ」

岡崎がそう言うと冬子はふっと寂しくなった。


ライブの時までは会えない……。

そういうことか。

……そりゃそうだよね。

あたりまえじゃない。


寂しい想いを振り切るように冬子は首を振った。



岡崎と別れ、駅の構内に入ると冬子はフランネルのシャツを頭から脱ぎ、胸に抱いて電車に乗った。 それを持っていると岡崎修が冬子のすぐ傍にいるような気がして長い電車の乗り時間も苦にならなかった。

電車に揺られている間、冬子は胸の中でその日あったことを反芻してみた。 時には順番よく物事が運んだ通りに辿ってみたり、またその逆に。 それから岡崎修のちょっとした仕草、演奏の合間に軽く足を蹴ったり、ドラムスの斉藤省吾にチラッとするウィンク、それに煙草の灰を落とすときの指の動き。 それらの全てが冬子の目に焼きつき、頭の中にインプットされているのが自分でも不思議だった。 

 仮にもし〝岡崎修学〟という教科が学校であったら、冬子は間違いなく百点を取ることができるだろうと思う。 そんな教科がないのが残念なくらい冬子は岡崎のことを全部覚えているし、これからもっと彼のことを知りたいと願った。 

そういえばジャズの音楽のことも人並みには語れるようになりたかった。 楽器を操るのは無理としても、岡崎が生業としているその世界を自分でも探ってみるくらいのことはできそうだ。 

冬子は今夜が雨でよかったと、フランネルのシャツをキュッと抱き締めてみた。


彼のフレグランスにクラッとなっちゃう冬子。 

前作の『蒼いパレット』の主人公もそうですが、私的にも匂いフェチだったりするんです。


服装には無頓着だけど、仄かな香りで女の子の心をキュンとさせてしまうような人って

飾らないけど惹かれますねー(^-^)


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