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4章 もっとスリージーだったら

前回までの章よりも、ちょっぴり長めでございます。 お気に入りのJazzの曲でも聴きながら

読んでくださるとうれしいです。

こっちのライブ・ハウスはこの間、穂積や木嶋に連れられて行ったクラブよりずっと広かった。 ステージも奥行きがあって、その上に艶々と黒光りするグランドピアノが置いてある。 

このピアノだって前に行ったクラブのよりピカピカに黒光りしていて、ずっと高級そうだ。

フロアの客席の方はほぼ埋まっていてサラリーマンやOLが殆どだった。 

他にカップルや夫婦らしき人達もいたが、みんな完全に〝大人〟の客ばかりだった。 

冬子が空いているところに席を取ると、ウェイトレスがドリンクの注文に来た。

周りの客達のようにカクテルかワインでもオーダーしたいところだったが、それはやめた。 なにしろ十八禁のライブに特別に入れてもらっているんだから。

 それにしても……岡崎修しゅうは、何歳なんだろう。

ジャズなんかやってるけど、見た目は十九か二十歳くらいだ。

そしたら自分とは二つか三つくらいしか違わないではないの?

 ライブのお客たちは大人ばかりだけど、プレイしてる側の岡崎が自分とそれほど歳が離れていないのだったら、無理なく接近できそうだ。 冬子はそう考えて、少し嬉しい気持ちになった。

 ウェイトレスが持ってきてくれたオレンジ・ジュースを飲みながら、ライブ・ハウスの中をぐるりと眺めた。 

赤い煉瓦の壁にニュー・ヨークだかシカゴの摩天楼の写真がセンスよく架けられている。 やや薄暗い照明に照らされて、五十年代から六十年代くらいに活躍していたらしいミュージシャンのモノクロ写真が幾つも並んでいる。 どれもピアノに向かっていたり、トランペットを持っているからミュージシャンとわかるのだ。

冬子にとってはただの古い写真のポスターとしか写らない。

冬子はビリー・ジョエルのアルバム、〟ニュー・ヨーク五十二番街”のジャケットを思い浮かべた。 あのLPレコードにもビリー・ジョエルがラッパをもって写っていた。

ふと、自分がクィーンズ地区あたりのスリージーなジャズ・ライブにでも来ている所を想像してみた。

マリファナやヘロイン中毒者が安酒をあおっているようなクラブで、

退廃的な雰囲気がそこら中に漂っているような場末の酒場だ。

そこでは観客は好き勝手なことを言い、自分の気に入ったミュージシャンがプレイすればバーボンを奢ってやり、ステージとフロアの境界線は非常にあいまいだ。

酒癖の悪い客が度を越して、演奏が気に入らないと言ってミュージシャンに罵詈を浴びせかけるので、気の短いギタリストがステージに置いてあるジンをボトルごと、その客にぶっかけてしまうような。

でも子供だからといってヘンに浮く心配はしなくていいだろう。

なにせ客層がゲトウだからね。

むしろ面白がって声すらかけてきそうだ。 

少なくともスノビーな人達の中で、濃いアイメイクの顔をさらして、ひとり席に付くような妙な居心地の悪さはないだろう。


「やぁ、来てたの?」

ハッとして声の方に振り返ると、緑と黒のフランネル・シャツを着た岡崎が客席の間をすり抜けるようにして冬子の方にやってきた。

冬子は椅子から立ち上がると、ちょこんと軽く頭を下げた。

顔を上げた瞬間、フレッシュ・グリーンの香りに、ほんのりと包まれた。

「いつ着たの?」

きりっとした眉の下の濃い瞳が冬子を見た。

「さっき。 まだそんなに経ってないと思う」

冬子は急に胸が高鳴るのを感じた。

「ほんとに来ると思わなかった……。」

「どうして? 行くって言ったじゃない」

「うん…、だけどまさかホントに来るとは思わなかった」

岡崎は同じ言葉を繰り返した。

「来ちゃいけなかったかな……」

もしかして、岡崎は自分みたいなガキがこんな場所にのこのこ姿を見せるのを迷惑がっているんじゃないかと冬子は不安になった。

「うんん…そうじゃなくて。 だって此処からは遠いんだろ?  お前の住んでる所。 だからわざわざ来るとはおもわなかった。

……今日は一人で来たの?」

冬子がそうだと答えると岡崎が冬子の隣の空いている椅子に腰をかけた。

「フロントに安井って人いただろ? ちょっと太った中年の人」

「ちょっと禿げの?」

「そうそう」岡崎は笑った。

「あの人に名前言って、楽屋に案内してもらえばよかったのに。」 

「……そんな、いいよ。 演奏前で準備とか練習とか忙しいでしょ?」

 まさか岡崎が楽屋で会ってくれてもいいと思っていたなんて、冬子は夢にも思っていなかった。 

「なぁんだ、全然平気。 俺達のバンドって今夜はつなぎみたいなもんだし、たぶんお前くらいだよ、わざわざ遠くから俺等の演奏聴きに来るの」

〝遠くから〟というのは当たっているが、『フェスティーブ』を聴きに来た、というのはどうなんだろ?

むしろ岡崎修しゅうに会いに来たといった方が正しいかもしれない。

「『フェスティーブ』はまだ無名なんですか?」

ズバリ、訊いてみた。

岡崎は笑いながらそうだと答えた。 デモ・テープなんかは送ってるけど、今のところはライブ・ハウスで演奏させてもらうのが主な活動らしい。

「でも、知る人は知るって感じにはなってきてる。 他のジャズやってるバンドに誘われて一緒にライブ出たりするから」

そう言って岡崎修はジーンズのポケットからラッキー・ストライクのパッケージを取り出すと、百円ライターで煙草に火をつけた。

煙草の煙と岡崎の着けているパフュームが混ざりあった香りが冬子の鼻をくすぐる。

……男の人の匂い……。

冬子の胸がキュンとなった。 

岡崎はテーブルに置いてある灰皿を引き寄せて、煙草の灰を落とすと冬子を見た。

「この前より、ずいぶん大人っぽいな」

「…ありがと」

大人っぽいと言われて冬子は嬉しくなった。 これ以上に自分を褒める言葉はないように思う。

「カッコがだよ、お前が大人っぽいわけじゃない」岡崎が笑った。

「……なんだぁ、残念だな。 せっかく大人の雰囲気を目指したのに。 でもあの禿のおじさんにはすぐにわかったみたい」

「雰囲気でわかるだろ、大体。 どう見てもOLって感じじゃないしな、お前」

岡崎は笑って冬子の髪に結んである黒いシルクのリボンを突いた。

「かもね……。」

端正な顔に似合わないややごつい岡崎の指に冬子はドキリとした。

「……あのね、ジャズのレコードも聴いてみたんだよ」

気持ちをはぐらかすように冬子は話題を変えた。

「へぇー、どんなの?」

「…うーんと、ジョン・コルトレーンとセロニアス・モンクでしょ、あとチェット・ベイカーだったかな…? 歌が英語だったから意味よくわかんなかった」

冬子はちょっと肩をすくめてみせた。

「いい趣味じゃないか、なかなか…」

「そう? ほんとにそう思う?」

「ああ。 チェットはいいよ、うん。 歌詞が書いてあるだろ? レコードのジャケットの中にさ。 トランペット吹いて歌うだろ」

歌詞も英語で書いてあるから冬子には難しいのだ。

それがわかんないのかな? この人。

だいたい横文字見ただけで拒否反応起こしちゃうんだけどな。

冬子は自分の英語力の無さをひけらかすのは気が引ける。

店内にはジャズだかフュージョンのリラックスしたBGMが流れている。 岡崎はこういうきちんとした大人ばかりが集まる所に場慣れしているせいか、その場の雰囲気にすっかり溶け込んでいる。

「(チェットは)歌が上手いとは言えないけど、そこで正直な感情が出ててさ、オレ好きだな。 誰かに普通に話しかけてるみたいな気取ってないとこ、それでメロディアスなところ……、心にジーンとくるじゃないか、ああいうのって」

幸せそうにチェット・ベイカーを語る岡崎を見て、冬子は今度は歌詞もじっくり読んで(少なくとも読む努力をして)聴いてみようと思った。


 岡崎は冬子の座っているテーブルをコツンと指で叩いて「ここで酒、飲むなよ」と耳打ちすると、微笑を浮かべて楽屋があるらしき方へ立ち去った。

その後姿を見送りながら冬子の頭の中はもう完全に岡崎のことで一杯になった。

 今日で逢ってたった2度目なのに、どうしてあの人に惹かれるんだろ。 あの深い瞳のせいなのか、鮮やかなジャズ・プレイのせいなのか。 

どこがどうと説明できないけど、彼は冬子の周りにいるどの男性とも違っている。 

 お洒落な冬子だからファッショナブルでカッコイイ男性は見ていて気持ちがいいけど、そんな外見で冬子は惹き付けられたことはない。

何かに真剣に熱中している男性というのも穂積や木嶋なんかはサーフィンに身も心も費やしてるからそうだと言える。 でも冬子は、

あの二人に対してはバイト&遊び仲間以上の感情は持っていない。

 要するに……ケミストリー(化学)の問題?

自分を構成している何らかの物質が岡崎を構成しているそれに反応して、じんわりと何かが心の奥から湧き上がってくる。 

そうとしか説明のしようがない。

仄かに香る彼のフレッシュ・グリーンのパフュームや煙草の匂いだって、他にも同じコロンを使い、煙草を吸ってる人はたくさんいるだろう。 それでも彼はどかかが違うのだ。




その晩は『フィスティーブ』を含む三組のバンドがプレイした。 岡崎修たちは二番目にプレイすることになっていて、トリは『シックス・ペンス』というバンドで、かなり名の知れたバンドらしい。 

お客の大半はこの『シックス・ペンス』を目的に来ているらしく、このバンドが演奏を始めると聴衆はみな一応にしんと静まった。

『フィスティーブ』やその前のバンドが演奏をしている時も客層が客層だけにマナーは悪くないのだが、それでも仲間同士で談笑したり、ピザなんかにパクついている姿が見受けられた。 でも冬子はそんなことには一向に構わない。 

どちらかと言えば自分の後ろのテーブルにいるOL達が岡崎修のルックスについて、サックス吹きになるよりモデルにでもなったほうがいいなんて、はしゃいでいる方が耳障りだった。 

それまでアルト・サックスを吹いていた岡崎修がフルートを構えて『シックス・ペンス』のメンバーと共にプレイしているのを聴きながら、ビジュアル的にはサックスの方が断然セクシーだと思うが、フルートの滑らかで夢みるようなメロディが冬子をうっとりさせる。

『シックス・ペンス』のメンバーはピアニストもギタリストも年配者で冬子の父親くらいか、それ以上だ。 

ドラマーは若作りにポニー・テールなんかしているが、白髪が半分くらい混ざっている。 みな、熟練したミュージシャンといった感じでエンターティナーとしても場数を踏んでいるのだろう。

 聴衆を見事に引き込み、一体となってプレイをしている。

 

ライブが終わり、フロアの客も疎まばらになった。

冬子はせっかく新宿くんだりまで来て、このまま岡崎と話もせずに長い時間、電車に揺られて家に帰ることを思うと急に憂鬱になった。 かと言ってこれからどうすればいいのだろう。

冬子は仕方なく他の客たちの後ろからライブ・ハウスのドアに向かって歩き出した。

「あっ、ちょっと君。まだ居たんだね」

ドアのところでさっきフロントにいた禿のおじさんが冬子を呼び止めた。

「……はい?」

まさか今頃になって未成年であることを咎めたてしようというのではないだろう。 でも、次からは入店お断り、くらいは言われるのを覚悟したほうがいいかもしれない……。

 冬子は心の中で身構えた。

入り口の照明でテカテカ光っている禿頭を少し傾けておじさんは冬子に言った。

「岡崎君がね、君にここで待っているように言ってるんだけど」

「……えっ?」 岡崎修が本当にそう言ったのか、信じられない気持ちだった。

「僕はどうせまだ店の片付けとかあるからその辺に座って待ってれば? あ、なんか飲む?」

禿頭のおじさんはいたって気さくに冬子に話しかけた。

「いえ、結構です…。」

冬子はドキマキしてしまう。

岡崎が自分に待っててくれる様にと言ったということもだけれど、これから彼に逢えるということが嬉しくて胸が一杯になった。 

それでドリンクなんか喉も通らないのだ。

冬子は入り口に一番近いテーブルにカチンコチンになって座り、岡崎が出てくるのを待った。



ここまでの二人は、あくまでも観客とミュージシャンの関係で、冬子はまさに一方通行の恋に堕ちちゃってるんですねー(^^;) そんな感情って人気アイドルとファンみたいなもんなんですが…。


次回はステージと観客席の間をグッと縮めてみます。



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