3章 ジャズってますか?
1980年代初めの頃の『貸しレコード屋さん』なんてお父さん、お母さんくらいの年齢の方なら知っているかしらん?
40代、50代の方だと懐かしいかもです。
ティーン・エィジャーの読者さんには初めて人を好きになったトキの、あのドキドキ感、好きな人のコト少しでも知りたい……なんだかワクワクする気持ちを共感できたらなぁと思います。
あの晩、穂積や冴子と共に行ったライブで岡崎修のアルト・サックスを聴いて以来、冬子は自分でも曲のリクエストができるくらいにジャズを知りたいと思った。
授業が終わってからバイトに入るまでには、まだ時間があった。
冬子は、学校の前のバス停からバスに乗り、私鉄の駅前で下りると貸しレコード屋へ直行した。
いつもならポップスかロックのレコードが集まっているコーナーへ行くのだが、今日は違う。
全く予備知識がない〝ジャズ”と書かれた札の仕切りがあるボックスの前に立った。
もしかして『フィスティーブ』のがあるかも、という期待でアイウエオ順にアーティストの名がで並んでいる札を〝フ〟の所で開けてみた。
ジョージ・フェイム、カール・フォンタナ、ジョージ・ファレル...アート・ファーマー......
ジョニー・フリゴなど、全く馴染みのない外国人のアーティストの顔がトランペットやサックスなどの楽器と共にレコード・ジャケットに、かっこよくデザインされていた。
やっぱりな、とゆう気持ちが冬子をガッカリさせた。
いくら自分が『フィスティーブ』の演奏は上手い、岡崎修のサックスは最高!と思ってもレコード・デビューするのは並大抵のことではないのだろう。
冬子は諦めて、ジャズのセクションにあるレコードをツマミ食いでもするように幾つか引っ張り出して見た。
「ふうちゃーん」
自分のニックネームを呼ぶ声のほうを振り向くと、冬子と同じ高校に通う松田美里が店に入ってくるところだった。
美里は返却するつもりらしいLP版のレコードをお手製の布袋に入れ、小脇に抱えている。
「ふうちゃん、今日はバイトないの?」美里が訊いた。
冬子のバイト熱心は友達の中で有名だ。 美里もアルバイトはしているけれど、最近できたばかりの彼氏と過ごす時間を惜しんで、週のうち2,3日出ればいいほうだ。
「うん、行くよ。 ちょっと時間あるからレコード借りに来たんだ」
松田美里は冬子の手にしているレコードと“ジャズ”とジャンルが書かれているボックスを交互に見ながら
「えー、ふうちゃんジャズなんか聴くの? 知らなかった」
冬子と美里はベスト・フレンドと呼べるほどの仲だけど、こればかりは知るわけがない。
何しろ昨日今日の話で、冬子がいきなりジャズに興味を持ち始めたのだから。
「ほら、昨日バイトの先輩たちとライブ・ハウス行ったでしょ」
「うん、どうだった?」
冬子や松田美里の年齢だとライブ・ハウスはちょっと大人の行く所というイメージがある。
年上のエスコートでもない限り、高校生の彼女たちだけでは入れないと思う。
美里は好奇心を露わにして冬子の顔を見た。
「すっごいよかった。 ジャズのバンドだったの」
冬子は自分がちょっとだけ大人の経験をしたような気分になった。
「え~っ?! ジャズぅ? ふうちゃんジャズなんかわかるの? なんか難しそう」
美里はちょっと顔をしかめた。 おそらく彼女もジャズに対して冬子と同じような先入観を持っているんだろう。
「わかんないよ。 初めて聴いたんだもん」
ライブ・ハウスで『フィスティーブ』の蒲田美津夫にリクエストを訊かれても、ジャズにどんな曲があるのかも知らず、何も答えられなかったのだ。
「でも借りるんでしょう、それ?」
松田美里は冬子の持っているレコードを指差した。
「ああ、これ?」
「すっかり嵌まっちゃったんだ。 ジャズに?」
「まぁそれもあるんだけど、実はね……」
冬子は美里に夕べ会ったサックス吹きの岡崎修のことをざっと話した。 ついでに次のライブに行く約束をしたことも言った。
美里とは小学校の時からの親友だから、冬子はどんなことでも彼女には気楽に話せる。
「ふうちゃん、本当?」
「もちろん。 だって名刺までもらったんだもん」
冬子は制服のポケットから夕べ岡崎修にもらった名刺を取り出して美里に見せた。
「すごいね、ふうちゃん……。」
『フェスティーブ』と書かれたブルーの名刺をしげしげと眺めながら美里が言った。
これまで彼氏の一人も作らなかった冬子が、自分から男の人に話しかけるなんて、あんたの何所にそんな積極性が備わっていたのだという表情で美里は冬子の顔を見た。
「そんじゃ、そろそろバイトだから、またね」
冬子は美里から名刺を取り上げると、ジャズのレコードを抱えてレジに向かった。
それからのあきれるほど長く感じられる数日が過ぎ、『フィスティーブ』のライブの金曜日になった。
その日、着ていくつもりだった水色のフリルの着いたワンピースだと寒いかもしれないと冬子は思う。
六月の雨は紫陽花に色を添えても、それと同じ色の服を着るのには冷たかった。
冬子の部屋には数日前に借りたジャズのレコードを録音したカセット・テープの音が流れている。
何枚も借りて片っ端から聴いてみた。 その中で気に入ったアーティストのを録音したのだ。
岡崎修のライブを聴いて以来、ジャズのレコードばかりかけているので家の者たちは、一体どんな心境の変化が冬子のうえに起こったのか訝るほどだった。
冬子はライブ・ハウスに来ていくべき服の第二候補まで考えていなかったので洋服ダンスを引っかき廻し、結局初めの予定のよりはかなり大人っぽい黒いレース地のミニのワンピースを着ることにした。
考えてみれば大人ばかりが集まるであろうライブ・ハウスへ、いくら可愛く見えるとはいえ、フリルのどっさり付いたワンピースはちょっと考えものである。
鏡とにらめっこしながらメイクを施し、冬子はこれでまず高校生には見られないだろうと思うほど、目元をアイライナーとシャドウで隈取った。
冬子の住んでいる街は都心のベッド・タウンと名売ってはいるが副都心の新宿に出るまでは一時間以上掛かる。
朝のラッシュ時はともかく、金曜日のこの時間、上り行き電車はかなり空いている。 冬子は座席に座ると、携帯式カセット・プレーヤーのボリュームを一杯にしてスタン・ベックのピアノに聴き入った。
新宿の駅を出ると、冬子は岡崎修から渡された名刺の裏に手書きされている地図を頼りに歩き始めた。 新宿に土地勘がない冬子でもすぐにわかるほど道順はシンプルだった。
“ここだ…!”
そこは一階と地下一階がこのライブ・ハウスになっている雑居ビルで、上のほうの他の階にもさまざまな店が入っている。
『フェスティーブ』はどっちで演奏するんだろう?
冬子が“GiGSF1&B1”と書かれたドアの前で立ち止まっていると、勤め帰りらしい男女がビルの階段を地下へ降りていくのに出会った。
その人達の年恰好からいくと、こっちで演るかもしれない……。
そう思って地下へ続く階段を降りかけると、地上からいきなり、ざわめきが聞こえてきた。
一階でやっていたライブが終わったらしく冬子と同じくらいの年齢の子がぞろぞろドアから出て来るところだった。
ロックのバンドでも聴きに来たのだろうか、ディップでカチカチに固めた髪の毛を逆立て、安全ピンを幾つもくっつけたビリビリに破いたTシャツに黒いぴったりしたジーンズを履いている人や、迷彩服に戦闘ブーツを履いた人、かと思うとバレエで着るチュチュをショッキング・ピンクに染めて頭に大げさなリボンを飾っている女の子もいる。
彼らは皆、オレンジ色のチラシを手に持っている。 おそらくライブ・ハウスのスケジュールや案内が印刷されているのだろう。
「オープニングのギター・レフ、めっちゃよかったなー」
「ベースの人、カッコよかった!」
「あたしはやっぱ、ボーカルの子かも......」
ライブ・ハウスから出てきた子達は口々に勝手に感想を述べている。 それを耳にしながら冬子はこの人達は一体何時ごろからここに来てるんだろうかと思う。 自分と似たり寄ったりの年頃だから高校生か大学生に違いないが、今終わるライブに来ているってことは冬子が家を出る時間にはもうここに居たことになる。
都心近くに住んでいたら学校帰りに友達と喫茶店やショッピング・モールをうろつくだけじゃなく、もっとこうした刺激的な場所に行けるのに。
冬子はここから遥か遠いベッド・タウンに自宅があるのを今更ながら残念に思った。
地下に降りていくと右手にカウンターがあり、太って頭の禿げ上がった中年の男がそこに立っていた。
ライブ・ハウスの料金システムがわからない冬子は、ここで入場料を払うのかとその人に訊いた。
「岡崎くんの友達かい?」
しっかりメイクをしたにも関わらず、歳がバレたかと冬子は内心がっかりした。
禿げ頭のおじさんは血色のいい笑顔を見せて冬子にチケットの半券を渡し、「ごゆっくり」と言った。
この小説は1章づつをかなり短くして書きました。 その代わりと言ってはなんですが、毎日更新を目標にしています。