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死せど腐れどセカンドライフ  作者: 山猫亭あぽろ
3/5

3:Zombie meets Ghost again.

 明日香との出会いから一週間。

 長らく改装工事を理由に閉店していた最寄りのスーパーも待ちに待ったリニューアルオープンを果たし、なかなかの人気を博していた。

 その記念セールに群がった大勢の群衆の中にゾンビが一人紛れ込んでいたのだが、特に事件を起こす事もなく、ただ食材を買い込んで帰って行った。勿論、千夏のことである。

 変わったことと言えば、それくらいだろうか。少なくとも、明日香と出会ったからと言って千夏の生活が急激に変化したということは全くなかった。今まで通り学校に通い、今まで通り家事もこなし、今まで通りゾンビである事はひた隠し。

 明日香との出会いは誰にも喋っていない。報告するような事でもないし、うっかり口を滑らせて自分の正体がバレてしまう可能性もゼロとは言い難い。そのような危なっかしい話題はしない方が無難である。

 ──でも、まあ、また会いに行くくらいなら罰は当たらないんじゃないかしら。

 いつ会いに行くとは言わなかった。酷い話、別に来年でも再来年でも約束の履行としては何ら問題ない。だがそのような屁理屈の前に、まず、千夏はもう一度明日香に会ってみたかった。

 彼女自身、あの日に起きた事が未だ信じ切れず、実は自転車から転げ落ちた際に頭でも強く打って悪い夢でも見たんじゃないかとすら思うこともあった。まあ、ゾンビの体はそんなヤワではないのだが。

 何はともあれ、千夏はこの週末を使って再び明日香に会いに行くつもりだった。本当は買い物帰りに寄るつもりだったのだが、先に言った通り例のスーパーが再オープンし、その際に結構買いこんだので、今は別に買い物へ行く必要もない。

 ──ま、別に“明日香に会いに行く”だけのために自転車を漕ぐのも悪くないんじゃないかしら。

 そう結論付けた千夏が自転車で家を出たのが今より二十分ほど前の事。なら今はと言うと、もうサイクリングロードにまで到着していた。とは言え、ひたすら似たような景色が続く退屈な道中。どの辺に明日香がいたのかは明確に覚えていない。目印は明日香自身のみである。

 万が一にも見逃すことはないとは思うが、何せ相手は幽霊だ、千夏の常識がどこまで通用するかも分からない。最も確実に近い方法はと言えば、ただ進路の左側に広がる土手を眺めつつ自転車を走らせる、という実にシンプルな物であろう。

 一応、この前のような事の再発を招くために、前方の確認も忘れない。いくら痛みを感じないとは言えど、再びすっ転ぶのは勘弁願いたい所だ。

「……あ、あれかな?」

 幸い、それから間もなく明日香と思われる人影が千夏の視界に入ってきた。相変わらず土手に座り込み、退屈そうに空を見上げている。

 ──無理もないか。何年もこんな何もない場所に居続けたら、誰だって退屈よね。

 暇つぶしになれそうな物でも持ってこられれば良いんだけど、と思案しながら千夏が自転車を進めていると、

「……あっ!」

 何気なく視界を傾けた明日香の視線が千夏をとらえた。その途端、

「おーい、千夏ー!」

 跳びはねるような勢いで立ち上がった明日香は、満面の笑みを浮かべながら千夏に向かって精一杯に手を振った。

 遠目に見ても眩しいくらいの笑みを眺めていると千夏も、やはりあの日の出会いは夢じゃなかったんだと安堵することができた。──それにしても、やっぱり年上には見えないのよね。悪いけど。

 徐々に二人の距離が狭まって行き、ようやく明日香の“死地”に着いたところで千夏は自転車を降りた。

「千夏、久しぶり! 元気だった?」

「久しぶりって言うほど久しくないわよ? この前からまだ一週間じゃない」

「あれ? それくらいしか経ってないの? もう一、二ヵ月ぶりだと思ってた」

 せっかちね、と思いながら千夏は自転車をそこに止めた。それから二人して、ちょうど先週のように土手に並んで座る。

「いや、だって、千夏が来てくれるの楽しみだったからさ。ずっと待ってたんだよ?」

「そんな忠犬ハチ公じゃないんだから」

「えへへ」

 照れながら、それでも嬉しそうに笑う明日香。もし彼女に尻尾があったら、今頃絶え間なく左右に振っていたであろう。──まったくもう、散歩前の子犬じゃあるまいし。

 千夏の中で幽霊のカテゴリが「お化けの一種」から「ペットの一種」に変わった瞬間であった。

「……と言うか、明日香」

「ん?」

「あんたって、服、どうしてるの?」

 千夏が指摘した通り、この前は桃色のパーカーを着ていた明日香だが、今日は水色のTシャツを着ていた。ヘアバンドはそっくりそのままである。

「服って……、そりゃ私だって着替えるよ。千夏だって毎日同じ服は嫌でしょ?」

「いや、私には箪笥があるし、そこに服をしまうからいいとして、明日香はどこにそういう予備の服を置いてるのかなって。箪笥、ないでしょ」

「あー、うん、その辺はね、結構“ゆーつー”がきくの」

「……もしかして、融通?」

「あれ? ゆーつー? ゆーづー? えーと、でも、ま、どっちでもいいじゃん、そんなの」

 この辺の適当っぷりは今に始まった事でもないので、千夏もそろそろ慣れてきた。

「で、つまり、あんたの服はどうなってるの?」

「うーん、どうなってるんだろうね」

 明日香は小難しい顔をして首を捻った。どうも自分自身よく分かっていないらしい。何ともずぼらな話だと思った千夏だが、自分自身ゾンビの性質について把握しきれていない部分も多いので、あまり人の事は言えない。

「──つまり、気分しだいでどうにでもなる、って事で良いのかしら」

「うんうん、大体そんな感じ」

「じゃあ何もないここで今から着替えろと言われたら着替えられるの?」

「そ、それはちょっと……」

 と、明日香、いやに戸惑っている。

「いや、できると言えばできるんだけどさ、ほら、こんな真昼間から誰が見てるかも分かんないこんな場所で服を脱ぐって、普通に考えて恥ずかしいよね」

 ああ、脱ぐというプロセスは必要なんだ、と千夏は感心していた。てっきり魔法のように服だけパッと変わる物だと思っていたのだが、これ以上はどうも想像力が限界に近い。“幽霊は何でもできる不思議で出鱈目な存在なんだ”と無理やり結論付けるに留めておくことに。

 それはそうと、今の説明で千夏には引っかかった点が服の云々とは別に一つあった。明日香は「誰が見てるかも分かんない」と言っていたが、別にあんた、誰からも見えない存在だろうに。

 明日香の性格からしてもあまり人の目を気にするようなタイプではないような気もするのだが──、とここまで来て、ようやく千夏は重大な見落としに気づいた。明日香は良い、誰の目にも見えないから。“私”は誰からも普通に見えるんだった!

 慌てて左右確認。千夏は、この光景を誰にも見られたくはなかった。明日香が見えない人から見れば、自分が見えない誰かと会話しているだけにしか見えないだろう。千夏としては、あまり変な印象を持たれたくない。疑念が彼女を真の終焉へと導くのだ、と言えば壮大だが、つまりゾンビとバレかねない要素は徹底的に排除したい。

 幸いにして、地平線の彼方まで伸びるサイクリングロードに人影は見えなかった。どうも利用者の少ない道路らしい。

「どうかした? 急にきょろきょろして」

「ああ、うん。なんでもないわ。ただ、周りに誰かいるのかなってね」

「……つまり、今なら誰もいないからさっさと脱げ、と」

「いや、そういうつもりじゃないんだけど。──ストップ、脱がなくていいって言ったじゃない。と言うか、脱ぐな」

 早々とシャツの裾をたくしあげ、へそもお腹も丸見えになった明日香の手を止めるのに、千夏はえらく苦労した。何せその手をつかんで物理的に止めることはできないのだ。

「それ以上脱ぐと私帰るわよ」

 そう言った瞬間、明日香の手がピタッと止まった。そうか、これがこの幽霊を操れる手綱なのか、と千夏は一つ良い事を学んだ。

「冷めるなぁ。千夏が脱げって言いだしたのに」

 ようやく止まった明日香は渋い顔をして千夏に文句を垂れた。

「言ってないから。なんでそんなに脱ぎたがってるのよ」

「“幽霊って凄いんだね”って千夏が褒めてくれるんなら、明日香さんも一肌脱いじゃおうかなって」

「分かった分かった、だから服は脱がないで」

 幽霊なら兎も角、露出狂とは知り合いになりたくないものである。

「まあ、いいや。今度褒めてね。──それはそうと」

 明日香は千夏の方をマジマジと見つめながら

「この前も思ったけど、千夏の服って、なんか、可愛げがないよね」

「何よ、それ」

 千夏の服装はと言えば、本日もジャケットにジーンズという、先週と全く同じとは言わないが大して変わらない格好だった。無論、一張羅という訳ではないが、千夏が外出する時の格好はおおよそこんな感じである。

「んー、ワンピースとかスカートとか着ないのかなーって」

「あまり好きじゃないわね。こっちの方が動きやすいし、肌の露出もあまり多くないし」

「肌の露出?」

「血色が悪いでしょ? だから、肌が目立つ格好って私には似合わないのよ」

 ゾンビになってからというもの、千夏の肌の色は世間一般で言う“肌色”とは程遠い色合いになってしまった。これが原因となり、千夏はちょくちょく周囲より健康を気遣われる。

 まさか「大丈夫ですよ、ゾンビですから」なんて言うわけにもいかず、そんな声をかけられた際は「先天性の皮膚病なんです」と言って誤魔化す事にしている。

 それでも、やっぱり血の気が悪いなどという印象を持たれるのは良い気持ちがしない。ならば肌の露出はできる限り抑えたいと彼女が思うようになったのは自然な経緯だろう。

「ふーん。じゃ、つまり長袖ならいいのね。じゃあ今度、カーディガンとかロングスカートとか着てきてよ」

「こんな小春日和にカーディガン?」

「いいの、夕方になれば肌寒いんだから。千夏は背も高いし髪も長いから絶対似合うと思うな。この明日香さんが保証してあげよう」

「そりゃどうも。でも、ロングスカートはきながら自転車っていうのもねぇ」

「駄目?」

「ま、一応考えてはおくわ」

 と、ぼかした返事。洋服屋で何度か試着した度に「やっぱり、どことなくしっくり来ないのよね」と何度思ったか分からない。そこら辺はゾンビ化による云々と言うより、単なる彼女の好みである。

「ちぇっ、なんで私の友達にはこうも勿体ない人が多いのかなぁ」

 明日香は舌打ちしながら土手に寝そべった。

「悪かったわね、“勿体ない人”で。で? あんたの友達って大体こんな感じだったの?」

「なんかね、この前会った時も薄々思ってたけど、千夏ってね、私の一番の友達となんとなく似てるの」

 そう言われても千夏としては困ってしまう。何せ、その“一番の友達”がどこの誰なのか全く分からないのだから。一方、明日香はそんな千夏を見て、クスっと笑った。

「そうそう、そんな感じ。何か分かんない事があるとすぐ眉間にしわを寄せるの。ほんと、そっくり」

「リアクションに困ること言うのやめてよ」

 千夏は思わず顔をしかめた。

「ごめんごめん。でも、湊──、あ、その友達の名前、湊って言うんだけどね──、ほんと湊に似てるんだよ。千夏って結構背が高いほうでしょ? 湊もね、のっぽだった」

「別に好きで大きくなったわけじゃないんだけどね」

「それにね、湊もスカートとか嫌いだったし、たまにはもうちょっと女の子っぽい格好したら? って言うとすぐにしかめっ面するの。ね? 千夏そっくりでしょ?」

「私にもその湊って人にも嬉しくない話ね」

 嬉々として言葉を紡ぐ明日香には悪いが、会ってみたいような気もするしどうでも良いような気もするし、なんとも微妙な紹介である。

「湊、今頃何してるんだろうなぁ」

 いつしか明日香は、遠い目をしていた。

「私の事、忘れてないと良いんだけどなぁ」

「一番の友達だったんでしょ。あんたが覚えてたんだから、向こうも覚えてると思うわよ」

「そうかな。でもなぁ、湊ったら忘れっぽかったからなぁ」

 あんたも人の事言えないわよ、とは千夏の心の声である。

「──ねえ、千夏?」

 明日香は身を起こし、千夏の方を興味深げに見つめた。

「何?」

「千夏の友達ってどんな人がいるの? 私に似てる人、いる?」

 自分の友人に千夏にそっくりな人がいたので、今度はその逆のパターンを期待していると、端的に言えばそういうことなのだろう。明日香はいやにわくわくしている。

「あんたに似てる人?」

「うんうん、どう?」

「いないわね」

「えっ? そ、そんな、即答しなくてもいいじゃん!」

「仕方ないじゃない。本当にいないんだから」

 明日香の顔からみるみるうちに気勢が失せていき、しまいには俯きながらいじけてしまった。

 千夏もその反応に全く罪悪感がなかったわけでもないが、こればかりは勝手に期待しすぎたあんたが悪いのよ、と内心で弁明した。

「千夏の裏切り者……」

「裏切るも何も、明日香、あんたが勝手に勘違いしただけでしょ」

「……千夏の裏切り者……」

「はいはい、分かった分かった、私が悪かった」

 なんで私はこんな所で子どもの御守の真似事をしているんだろう、と千夏、思わず腕組み。──ほんっと、これで私より年上だって言うんだから驚きよね!

「ねえ、千夏」

「何?」

「今度、千夏の友達、ここに連れてきてよ。私、会ってみたい」

 明日香はようやく千夏の方に向き直った。

「ちょっと、無茶言わないでよ」

 あまりに唐突な依頼に、千夏も上辺こそ平静を保っていたものの、少なからず戸惑っていた。

「そう? 一緒にちょっと散歩でもしようって言えば簡単だよ。それか、ここを通ってどこかに行くとか」

「仮にそれを引き受けたとして、明日香はどうするのよ。言っておくけど、他に誰かがいたら私、あんたに話しかけられても堂々とは答えられないわよ」

「分かんないよ? なんて言ったって千夏の友達でしょ、もしかしたら私が見えるかもしれない」

 だが一方の明日香は、出所不明の自信を全身にみなぎらせ、すっかり事が自分の思い通りに運ぶと思い込んでいるようだった。

 千夏には嫌な予感しかしなかった。この幽霊がいとも容易く調子に乗り、簡単にへこむのは既に痛いほど(痛覚のない彼女に“痛いほど”という表現を用いるのが適切かどうかは置いておき)よく分かっている。

「まあ、それもまた今度ね」

「今度って、いつ?」

 渋い顔でその場しのぎの曖昧な返事をした千夏に、明日香は期待あふれる面付きでにじり寄った。無論、千夏はそんな面倒なことを引き受けるつもりなど最初から微塵もない。

「いつって言われても、私にも都合があるし、相手にも都合があるでしょ。いつとは言えないわよ」

「でも、高校生ってそこまで忙しくないよね。土日の午後とか、どこかに遊びに行く時、ちょちょいとここ寄れたりしない?」

 そこまで言い寄られると、千夏もそろそろ苦しくなってくる。確かに、この一件は明日香の言い分の方が筋が通っている。実際、来ようと思っても来られないほど忙しい身分ではない。

 それでもやはり、千夏はそんな面倒なことに手を出したくなかった。利己的な言い方になってしまうが、そんな事をしても千夏には何らメリットがない。それどころか相手から不審に思われる事は自身の破滅を招く事につながるのだ。

 明日香だって、千夏が友人を連れてこなければ消えてしまうわけでもない。ただ暇なだけで、失うものは何もないはずである。

「あまり私が目立つ行動はできないって事、分かってよ」

「分かってはいるけどさ、それくらい目立たないって」

 と、一向に収束する気配を見せない水かけ論が続いていたその時だった。土手の上の河川敷、千夏と明日香の背後の方から

「千夏ちゃん」

 と、千夏を呼ぶ声がした。

 反射的に振り返った二人の数メートル先には、あどけなさが色濃く残る、幼い風貌をした少女。

 奇しくもその服装はカーディガンにロングスカートという、つい先刻に明日香が千夏にリクエストした服装そのものであり、「そうそう、千夏もああいう服を着ればいいんだよ」と明日香は内心で頷いていた。

 手に持った手提げ袋からして、ただの散歩と言うよりはどこかへ行く最中、またはどこかから帰還する最中と見える。

「どなた? 千夏の妹?」

 明日香はそっと千夏に耳打ちした。

「同い年の友達よ」

 千夏は“友人”には聞こえぬよう極めて小さな声で答えた。

 明日香がそう思ったのも無理はなく、その“友人”は小柄な体格にベビーフェイスと言った具合で、短く切った髪も含めて、歳不相応に幼く見えたのだ。ちょうど千夏とは逆である。

「おお、あれが千夏の友達か!」

 感心している明日香のことは置いておき、千夏はこちらを見ている“友人”に

「──ゆずじゃない。どうしたの?」

 と返した。

 小笠原ゆず、それが彼女の名前である。

 明日香が湊を一番の友人と言うのなら、ゆずは千夏にとってのそれに値する。友人になってもう何年経つのかもすぐには分からないほど長い付き合いだ。

 幼いころは肩を並べて歩いた仲だが、気がつけば千夏一人だけ背丈が伸びてしまい、今や背を比べてみればほとんど頭一つの差があるほどである。

 背丈だけではない。やや釣り目気味で髪が長い割に気は短い方である千夏と、垂れ目が特徴的でショートヘア、人当たりの良さで人気のあるゆず。どうも色々とちぐはぐな二人だが、どうしたわけかこれがしっくり来るのである。

「うん、お母さんに頼まれてちょっとお使いに行ってきたところ。千夏ちゃんこそ、こんな所に一人で何してたの?」

 ゆずにとっては何気ない一言だったのだろうが、その言葉に千夏と明日香の二人は一瞬凍りついた。

 千夏が一人でいると、ゆずにはそういう風に見えている、それはつまり「ゆずには明日香の事が見えていない」という事を意味していた。

「あの、私もいるんだけど」

 思わず明日香が言葉を返したが、それに対する返答もなし。言葉も聞こえていない様子である。

 千夏も、ゆずが偶然ここを通ったのは流石に予想外だったが、もし明日香の言う通り彼女をここに連れてきたとしても、こんな事態が起きる事は薄々予想できていた。

 何年も相手にされなかった幽霊の前に、ここ一週間で「見える人」が何人も現れるはずがない。「見えない人」が大多数のはずなのだ。ゆずもまたその“大多数”の一人だった、ただそれだけの事である。

 勿論、見えない事を責める事は誰にもできない。別に彼女が悪い訳でもないし、見えないことが普通なのだから。千夏が少々、いや、大いに異常なだけである。

「ん、ちょっとね、これから人と待ち合わせなんだけど、ちょっと早く家を出過ぎちゃって、適当に時間を潰してるの」

 少し落ち込み気味の明日香を横目に、とりあえず千夏はゆずに平然とした態度で適当な返事をした。内容については出鱈目も良い所なのだが、幸いなことにゆずは一片の疑いも抱いていないようであった。

「ゆずは、今から行くところ? それとも帰るところ?」

「帰る途中だよ。……もしそんなに時間が余ってるなら、うちに来る?」

「ありがとう、でも、そこまで時間があるわけじゃないの。あと数分もしたら私も行くつもりだったし」

「そっか……、じゃあ、また明日、学校で」

 ゆずの顔に残念そうな困り笑いが浮かぶ。その笑顔が、千夏の心の中に影を落とした。

 ゾンビ化したばかりの頃に比べれば嘘をつく事に慣れてきた千夏だが、それでも罪悪感が全くないわけではない。増して相手が知りあって十年以上にもなる心優しい親友、ゆずとなれば後ろめたさも大きい。

 それでも、どんなに親しい相手であろうと、いや、親しい相手だからこそ本当の事は言えないのだ。真実がバレた途端に何年も続いてきた関係が刹那の内に失われてしまう、千夏にとってこれほど怖い物はない。

 その点、明日香は「出会って間もない赤の他人」「他の誰にも話すことのできない存在」「同じ死者として少なからず似た境遇」と、千夏にとって好条件の塊だったわけである。

 ──いつかはゆずにも本当の事を言った方が良いのだろうか。

 そう考えたことがなかったわけではない。だが、他人に自分の素性を全て明かすという初めての冒険を経て、千夏はここ最近それをより一層強く意識するようになっていた。

 「会ったばかりの明日香にだって言えたんだからゆずに言えないはずがない」と主張する自分と、「明日香は幽霊だから話を分かってもらえたが、ゆずは純正な人間だ。それで成功を確信するのは無謀なまでの楽観視と言わざるを得ない」とまくし立てるもう一人の自分。

 友情と保身の間で、今日もまた千夏の心は揺れ動き、

「──そうね、じゃ、また明日」

 結局、今日もまた言えずじまい。

「うん、じゃあね」

 そう言って手を振ると、ゆずは千夏に背を向けて帰路につき、千夏も、どうしようもない後味の悪さを無理やり飲みこみながら、遠ざかっていく彼女の姿を見送った。

「千夏、これから誰かと待ち合わせだったの?」

 きょとんとした顔で明日香が千夏の方を見つめる。

「ああでも言わなきゃ、私がここにいる理由、どう説明できたのよ」

「隣に明日香さんって言う幽霊がいるんだって言ってあげれば良かったのに」

「言えるはずないでしょ」

「私は構わないよ?」

「私が嫌なの」

 千夏は頭痛に耐えながら声をひそめて明日香の提案を却下した。ゾンビになって痛覚が消えても、悩ましい事があると頭が痛いような気はするのである。

 やがて、彼女の後姿も十分に遠ざかり、ようやく罪悪感を嚥下し終わったところで

「……小笠原ゆずって言うの。私の親友よ」

 と、千夏はやっと明日香の方を向きながら言った。

「ふーん、ゆずちゃんって言うんだ。美味しそうな名前だね」

「かじらないでよ」

「食べないよ、やだなぁ。……でも、ゆずちゃん、私のこと見えてなかったね」

「それが普通なのよ」

「分かってはいるけどさ、でも、やっぱり、つまんないなぁ」

 と、ため息をつく明日香。

 本当の事が言えない千夏と、姿も声も認識してもらえない明日香。抱えた問題こそ違うが、気分が晴れないのは同じだったのかもしれない。

「ね、ゆずちゃんってどんな子なの?」

「いい友達よ。見かけは少し子供っぽく見えるかもしれないけど、ああ見えてしっかり者でね」

「なんだ、やっぱり私に似てるじゃん」

「どこが」

 明日香があまりに真面目腐った顔で言うので、千夏は思わず呆れかえってしまった。

 校内屈指の小柄な体格が一生懸命支えるあの頭蓋骨の中には、校内屈指の性能を誇る頭脳が格納されているのである。

 頭のネジが数本ほど先に成仏しちゃったどこぞのポンコツ幽霊とは格が違うのよ、──そう千夏が人知れず毒づいていると、

「でも、やっぱり、友だちって良い物だね」

 いつの間にか、明日香は幸せそうに微笑んでいた。

「どうしたの、急に」

「んー? いやね、なんて言うか、千夏とゆずちゃんが仲良く話してるの見てたら、私まで仲良しになれた気がしたの。もう私とゆずちゃんも友達だね、うんうん」

 と一人勝手に合点している。

「友達って簡単に言ってくれるけど、あんた、ゆずには見えてないのに大丈夫なの?」

 嫌な予感が薄らこみ上げる中、千夏は忠言したが、明日香はすっかり自信満々の様子で

「問題ない。友情ってのは見えるか聞こえるかじゃない、ハートよ、ハート」

「とは言うけど、ハートも何も、ゆずは明日香という人物について何も知らないわけで」

「そういう所は千夏が積極的にサポートしてくれると思うから大丈夫。なんて言うんだっけ、こういうの。通訳?」

 ほら来た。嫌な予感の敵中である。

「私を巻きこまないでよ」

「もう、冷たいんだから。それで、湊も合わせて四人でご飯でも食べに行くってのが当分の目標ね」

「無茶も大概にしてよ」

 千夏の顔が渋る。

「私はあまり目立つことはしたくないの。それに、ゆずだっていきなり幽霊って言われても困るだろうし、第一その湊さんって人は今どこにいるの?」

「あん、もう。そんなのは些細な問題だよ、きっとどうにかなるって」

「絶対ならない」

「お黙り! あまり四の五の言うと呪ってやるんだから!」

 千夏を指差しながら明日香は声を上げた。

「呪うって、だから、あんたそんなオカルトなことできるの?」

「やってみなきゃ分かんないって言ってるじゃん。よし、千夏には家にあるバナナが痛みやすくなる呪いをかけてやる」

 なんでこんな面倒くさい幽霊と知り合いになってしまったんだろう、と千夏はほぞを噛み、同時にゆずだけは絶対に巻きこむまいと心に強く刻んだのであった。


※帰宅後

※「げっ、本当に痛んでる……」


 読了ありがとうございました。

 登場人物も無事に増え、これで三人になりました。

 なんだかブロッコリーやらバナナやら食べ物が無駄に登場するこの作品に置いて「小笠原ゆず」と親友の名前までどこか美味しそうに。

 彼女が食べられる(そもそも誰に?)事などないよう祈りながら、続きの方を書いていきたいと思います。

 では、次の話でお会いしましょう。今後ともよろしくお願いします。

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