カカの天下855「卒業式!!」
テンカだ。
いきなりだがオレは逃げている。体育館を出て、校舎に入り、走って走って、階段の下部分にできる隙間に身を隠した。
急な運動で乱れた息を整えながら、ふと小さい頃を思い出した。周囲にあるものをなんでも遊びに利用していたあの頃、こんな隙間は隠れるのに打ってつけだった。そう、小学校の頃。
「卒業……か」
座り込み、少しぼんやりしてみる。体育座りというやつだ。
「ったくあいつら、笑わせてくれやがって」
冗談抜きで笑えた。笑いすぎた。そして涙を浮かべたところでやつらの作戦に気づき、見られる前に逃げ出した。
「……くく」
思い出すだけで笑えてくる。何を? さっきの光景だ。もちろんそうさ。
「……はは」
オレがいま思い出してるのは、さっきの光景だけに決まってる。
「ははは」
そうだ、さっきの光景だけを思い出せ。余計なことまで思い出すな。
「せーんせ」
「…………!」
あげかけた声を飲み込む。
恐る恐る振り返ると、そこには、カカが。
「見っけ」
「んだよ、足音くらいたてやがれ」
「なんせ忍者の娘なもんで」
「ほんと非常識なヤツだ。これからが心配だな」
「そんなに心配なら中学まで一緒してよ」
「やだね」
「嘘つき」
「なにが」
「さっき笑いすぎて泣いたくせに」
「さて、なんのことやら」
「へぇ、そういうこと言うんだ」
オレは立ち上がった。
「式の途中で悪かったな。さぁ戻ろう」
体育館の方へ足を向けると――それを遮るように、サエとサユカが立っていた。
「あんだよてめぇら」
「せんせー、はい」
サエが何かを手渡してくる。これは……色紙?
「みんなに書いてもらいました」
真ん中にはヘタクソな絵。多分オレの顔。そしてそれを囲むように書かれているのは――
『せんせい、大好きです。今までありがとう』
『先生のおかげで学校が楽しくなりました』
『勉強が嫌じゃなくなりました。テンちゃんのおかげです』
『トメさんは渡さない! でも先生も好きよっ!』
『もっとカレーを食べましょう』
書かれて、いるのは。
『テンカ先生の男らしさに惚れたぜ! これからもよろしく!』
『ずっと私たちの先生でいてください』
『他の先生と違って、テンカ先生は友達みたいに接してくれました。嬉しかったです』
『運動会で怪我をしたとき、先生の優しさを実感しました』
『これで終わりなんて嫌です』
『なんだか書いてるうちに泣けてきました』
『もっと一緒に』
やべ。また余計な光景を思い出しちまう。
「さんきゅ、後で見るわ」
「ダメですよー」
「いま見てくださいっ!」
ちっ、めんどくせぇ。
逃げよ。
「あ、先生!」
カカの声を無視して走り出し、階段を駆け上がる。さすがのカカも大人の足にはついてこれまい。これでも結構足は速いほう――あん? なんだ今の音。笛? 体育のときに使うやつの音か。
『テンカ先生!』
思わず足を止める。なんだ、今のはどっから聞こえてきた?
『私たち、先生に伝えたいことがあるんです』
放送? 放送室からわざわざ流してんのか、こいつら! しかもこの声、うちのクラス全員の声じゃねぇか。
「っ!?」
階下から足音、あいつらが追ってきたんだ。
足を動かす、階段を上る、声が聞こえる。
『テンカ先生、ありがとう』
二段飛ばしで上がる、上がる。
『すごく楽しい学校生活でした』
声が揃いすぎだ、くそったれが。
『それはテンカ先生がいてくれたからです』
『あかさたな』とか何の練習かと思えばコレのためか。
『こんな時間が、ずっと続いてほしいんです』
はぁ? 何言ってやがる。こんな疲れる時間はまっぴらだ。
『みんな、離れたくないんです』
……あぁ、そうだな。
『だからどうかお願いです』
聞いてやれねぇな。
『この楽しい時間を終わらせないで』
時間は終わってくんだよ。
『もっともっと一緒に過ごしましょう』
色紙といい放送といい同じことばっかり言いやがって。
『みんな、一緒に』
んっとに、どいつもこいつも……
――気がつけば、屋上にいた。
ぼんやりと空を見上げる。
青い、ひたすらに。まさに卒業式日和だ。
どれくらいそうしていただろう。
「先生」
ため息をついて、振り返る。
そこにはオレの生徒が、全員いた。
「あんだよ、てめぇら。神妙な顔して」
代表のようにカカが口を開く。
「先生、泣いて――」
「るせぇ」
「や、だって泣いてるよね?」
「るっせぇっつってんだろが」
「だって泣いてるもん! 賭けは私たちの勝ちだもん!」
「あぁうるせぇうるせぇ」
「テンカ先生は一緒に来てくれるだもん!!」
「うるっせぇぇぇええええええええええ!!」
今までにない程の大声。生徒が数人震える、だがほとんどはオレを見返してきた。睨んでると言ってもいい。
「うるせぇんだよ、てめぇら。何考えてんだ、あぁん?」
「だ、だって約束したじゃん! 卒業式で泣いたら、中学まで一緒に」
「てめぇらが強引に、勝手に決め付けただけじゃねぇか」
「そ、そうだけど。でもみんな、このまま終わっていくのが嫌なんだよ。小学校の生活が終わって、先生との関係が終わって……そんなの嫌なんだよ! ずっとずっと、楽しい時間を一緒に過ごしたいんだよ……」
「できねぇもんはできねぇんだよ。いつまで甘っちょろいこと言ってんだ?」
「だって!」
「世の中にはな、できることと、できないことがあるんだ。大人になったら腐るほどな」
「……諦めないでよ」
「はぁ?」
カカが言う。
「諦めなかったら、なんでもできるんだって。私、勉強したんだよ? みんなが教えてくれたんだよ」
こいつらと会ってから、二年ぐらいか。そうだな。色々あった。どう考えてもおかしいだろってツッコみたくなるくらいに色々とあったな。
「だからテンカ先生も諦めないでよ。私たちも諦めないから」
カカは希望を捨てないと、だからオレにも捨てるなと、もっと頑張れと。こう言いたいわけか。
はっ。鼻で笑っちまうぜ。
所詮はガキだ、何もわかってねぇ。
「カカ、もう一度言うぞ。できねぇもんはできねぇ」
「でも! 諦めたら――」
「諦めてんのはどっちだ?」
「え……」
予想外のことを言われて戸惑っていやがる。やっぱ全然わかってねぇ。
「今までの生活が終わる? 関係が終わる? たかが小学校を卒業するくらいで何を言ってんだ、あぁ? 今までちっとも周りの言うことを聞かなかったてめぇらが、なんでソンナコトだけ大人しく聞いてんだよ」
「そ、そんなこと、って」
そんなこと以外に何がある。
「続けたかったら続けりゃいいだろうが、そんなもん。毎日会えないなら週一で会えばいい。それで一週間分楽しみゃいいだけの話だろうが」
「で、でも」
「いいかガキども、最後の授業だ。オレの言うことをよく聞け」
オレは大きく息を吐いて……一人一人の目を見る。
「変わっていくものは止められねぇ。だから、変わらずにいられるもんだけをなんとかしろ。自分勝手な無茶が通ることもあるがな、そればっかりやってると絶対に上手くいかねぇぞ」
大人になるというのは、そういうことだ。
都合のいいワガママがどんどん押し込められて、窮屈になって、それでも生きていかなければならない。
「変わるべきものと、変わらずにいたくないもの、変わらずにいられるものを見定めろ」
「……なんか難しいよ」
「だろうな。んなら例に出してやる」
わかりやすい例がここにある。
「変わるべきものってのは中学生活、変わらずにいたくないものは小学校の生活だろ。じゃあ、変わらずにいられるものはなんだろうな」
「変わらずに、いられるもの」
「答えは自分で考えろ、以上だ」
実はオレも答えなんて知らねぇ。
なんせ適当に言っただけだからな。
「何か質問は?」
ガキどもを見渡すと、そろいもそろってシケた顔してやがる。
そんな中。はい、と一人だけ手をあげたヤツがいた。
サエだ。
「なんだ、サエ」
「……うぅ」
意外だった。
「えぅ……うぅー……せん、せんせーは」
あのサエが泣くなんて。
「せんせーは、本当に中学には来てくれないんですか? もう、お別れなんですか?」
何を今更、なんて言い方をするつもりはない。オレはただ頷いた。
「えぅぅぅぅぅぅぅー」
泣かれた。正直、困る。
「わかりましたっ」
オレと同じく困惑していた周囲の雰囲気を吹き飛ばすかのように、勢いの良い声が響いた。サユカだ。
「その、変わらずにいられるものっていうのが何なのか、明日までに考えてきますっ」
あぁ、考えてくれ。
でも、なんで明日なんだ?
「よし、私もわかったよ」
カカが頷いた。
「みんな、考えよう。明日の卒業式までに!」
うんうん。
うんうん……
うん?
「明日の、卒業式?」
「はい!」
「今日のは?」
カカはどこからか一枚のプリントを取り出し、見せてきた。こんなプリント、見た覚えがねぇんが……
「テンカ先生以外の人、みんなに配られたんだよ」
卒業式のお知らせをするプリントに似ている。しかしそのプリントの一番上にはこう書かれていた。
『卒業式 お笑い版』
何の番組だオイ。
ともかくまぁ、そんなわけで。明日も卒業式らしい。
なんじゃそら。
なんじゃそら。
というわけで卒業式はもう一話続きます笑