カカの天下771「自身の振り見て我が不利直せ」
トメです。時刻は夕方すぎ。いつもなら家で夕飯を作っている時間帯ですが、カカがサエちゃんの家で食べるらしいので、今夜は外食することになりました。
「いやぁ、悪いな。また奢ってもらってよ!!」
「……まぁ仕方ない。他に空いてるやついなかったし。おまえ金なさすぎてヤバそうだし」
「おう。給食くらいしかまともに食えねぇ」
はい、そんなわけです。あまりにお金がないらしいテンを誘いました。場所はキリヤが新しく始めたらしいバイト先。今度はお鍋屋さんだそうです。
「いらっしゃいませ、ラブラブカップルのお二人様」
「トメ、鍋の具材はこいつでいいか?」
「食ったら二枚舌になって口が回るようになりそうだな」
またまたご冗談を、と笑う店員はもちろんキリヤ。自分のことを棚にあげてよくも他人のことをラブラブカップルとか言えたもんである。
「さてさて、早速メニューの説明をさせていただきます」
仕事モードに入ったキリヤは本当に懇切丁寧に教えてくれる。要約するとこうだ。このお店のお鍋は二色鍋。お鍋の真ん中に仕切りがあり、一度に二種類のおだしで食べることができる。なので――用意された計八種類のおだし。まずその中から二つ選び、次にお肉と野菜のコースをどうするか決める、という形だ。ドリンクはまた別会計らしい。
「それでは、おだしを決めていただいてもよろしいですか?」
「む、どうするよトメ」
「とりあえずドリンクは決まってるから先に注文しよう。ウーロン茶とコーラな」
「ビール……」
「払うのは僕だぞ。酒は勘弁しろ」
「びぃるぅ……」
「ダメです。我慢なさい」
「びぃーいぃーるぅー!!」
「我慢なさい!!」
「はい、それではウーロンだしとコーラだしでよろしいですね」
「そっちは他人の話を聞きなさい!!」
いつもの調子でツッコミを楽しんでいた、そのとき。少し離れた席で女性の甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。
「……クレームか?」
「そのようですね。このお店、まだできたばかりですから多いんですよねぇ」
さすがに慣れているのか、少しも慌てずにキリヤが答える。声の聞こえた方を見てみると、一筋縄ではいかなそうな厳ついおばはんが若いバイト君に説教を垂れていた。バイト君は必死に「すいません! 申し訳ございません!!」と謝り続けている。
「すごい形相だな、あのババァ」
「テン、言いすぎ」
「しかし事実ですね。うーん、テンカさん。手鏡とか持ってます?」
「あるぞ」
「なんでそんな女みたいなものを」
「殺すぞトメ」
「誰がここを支払うと思ってる」
「ごめんなさい」
お金がないと滅法弱いテンを尻目に、手鏡を受け取ったキリヤはスタスタとクレームおばはんのところへ近づいていった。
「失礼致します、お客様? いったいどうなされましたか」
明らかに上の立場っぽく登場したキリヤに、おばはんの矛先が変わる。といってもキリヤはバイト、しかも新人なはずなんだけど。
「どうもこうもないわよ! この店ときたら――」
「あぁ、申し訳ございません。失礼ですが、お先にこちらをご覧ください」
話を遮ったことで更に腹を立てたおばはんだが、さっとキリヤが鏡を正面に見せた途端、鬼のような形相が変わった。
「そのように眉間にしわを寄せられていては、せっかくのお美しい顔が台無しですよ」
嫌味が微塵も感じられない、にこやかな笑顔と穏やかな口調。しかしそれだけが理由とは考えられないほど、バケモノにしか見えなかったおばはんの汚い表情が見る見る穏やかになっていく。
「おー、うまいこと言うもんだ。眉間にしわ、とはねぇ」
「テン。随分と感心してるけど、どういうことなんだ?」
「眉間にしわがあるから見てください、なんてのは口実だよ。キリヤが鏡で見せたかったのは、ばばぁ自身の顔だ。誰だって自分のことは見えねぇ。どれだけ醜い顔で嫌なことを言ってるかわかんねぇんだ。だが鏡を見ればどうだ? 自分の醜さを直視できる。で、自らのそんな姿が恥ずかしくなって表情を緩めちまうわけだ」
キリヤのほうを見る。「おお、美しい! 失礼ながら、もう少し頬の力を抜かれてはどうでしょうか。きっとステキな笑顔になります。いえいえお世辞などではありませんよ」などと褒めちぎっていた。
「クレームの話はどこにいった?」
「表情が緩めば気も緩む。見てみ」
一通り褒め終わったあと、キリヤは言った。
「長々と失礼いたしました。それでは慎んでご意見を伺います」
「え、ああ、はい。ええと……」
一瞬前まで笑顔になっていた女性は完璧に怒りを忘れてしまったらしい。戸惑いつつも不満な点を述べ、キリヤはあくまで低姿勢のまま、やんわりと弁解、説明していく。それを遠目に見ながら、テンはうんうんと頷いていた。
「いくら向こうがクレームつけてきても、それに謝りっぱなしじゃいけねぇんだよな。いくら客が神様っつったって舐められたら終わりだ。言いなりにはなれねぇんだよなぁ」
「テン、なんだか経験者みたいだな」
「ん、よくいるんだよ。理不尽な親とかが職員室に電話かかってきたりすんだけどさ、こないだなんか『子供を夜21時まで預かってほしい』なんつー無茶なこと言ってきてよ」
「へぇ、なんで?」
「なんでも両親とも仕事で遅くなるんだと。オレのカンだと、ぜってー仕事なんかじゃなくて飲み会かなんかだぜ」
「ほぅほぅ」
「ばばぁも気が強くてよ、『子供を預かるのがあなたたちの仕事でしょ! 一人くらい遅く見るのなんて簡単じゃない!』とか言うんだよ。そりゃ確かにそれが仕事だけどよ、それだけが仕事じゃねぇんだよな。でもそう答えてもわかってくれねぇんだよ。『少しくらい、いいじゃない!?』って聞く耳持たず」
「で、どうしたんだ?」
「どうしたもんかと思ってたら教頭が電話を代わってくれてな――」
『お電話代わりました。ふむ、ふむ、私どもにも他に仕事があるのですが……なるほど。わかりました』
教頭!? てめぇ了承すんのか! そう小声で訴えたが、教頭は目で制してきた。まだ続きがあったんだ。
『――それでは今度、うちの子供も預かっていただけますか?』
『はぁ!?』
電話に耳を近づけるまでもなくハッキリと聞こえてきたぜ、おばはんの声が。
『そんなことできるわけないでしょう!? あたしには仕事があるのよ!』
『いつもそれで子供を育ててるんですから、一人くらい増えても簡単でしょう』
『あなた、本気で言ってるの?』
『少しくらい、いいじゃありませんか』
『無理に決まってるでしょう! 頭おかしいんじゃないの!?』
『はて。その無理に決まっていることを私どもに要請してきたのは奥様かと記憶していましたが?』
テンの話を聞き終わった僕は、失礼ながら笑ってしまった。
「はっはっは! なにその奥さん、教頭が自分と同じこと言ってたのに気づかなかったのか?」
「おぅ。感情が高ぶってる人間は気づかねぇもんなんだよ、自分がどれだけ無茶を言ってるか、なんてな。そんなのを相手にするにはどうするか? 簡単だ、逆の立場にすればいい。もし自分がそれを言われたらどう思うか?」
「そこで初めて無理難題を口走ってることに気づくわけだな」
「さっきのキリヤだって似たようなことしてたんだ。鏡を見せて、どれだけ嫌な客なのか自覚させたわけだな」
「はぁー……うまいことやるもんだな」
「そう、うまいことババァの無茶をデストロイしたわけだ」
「てっきりババァを破壊するもんかと思ってた」
「それは犯罪だろ」
「正義かもよ」
「――おまたせいたしました!」
おっと、話し込んでいるうちに鍋が到着だ。って、あれ。結局おだしって注文したっけ?
「ウーロンだしとコーラだしです」
「マジか!?」
「冗談です。私のオススメで味噌豆乳だしと鶏塩コラーゲンだしにさせていただきました」
おお、丸いお鍋を二分するS字の仕切り、その両側にはなんとも美味しそうな匂いと湯気を上らせるおだしが。
「美味そうじゃねぇか!」
「さて、それではお肉のコース―――の前に。先ほどの話ですが」
「うん?」
「確かに感情が高ぶった人間は自身の痴態に気づかないものです。しかしそれはいつ何時、自分に起こるかわからないことなのですよ」
「確かに、な。オレたちも偉そうに他人のこと言ってるが、人間であることに変わりねぇし」
ま、それは仕方ない。仕方ないけど。
「心配すんな。おまえらは僕が見ててやる。変なこと言ってたらツッコんでやるから」
おばはんの説得は専門外だが、ツッコミならできる。そんな意を込めて言ったのだが。
「聞きましたかテンカさん。トメ君はあなたの全てが見たいそうです」
「キリヤの全裸も見たいらしいぞ」
「いやん」
「言ったそばから変なこと抜かしてんじゃねぇ!!」
僕らが阿呆な話で笑ってた、そのとき。
ひらひらと舞い落ちる、一枚の紙が。
「なんだ、これ。天井から降ってきたのか?」
なんとなくキャッチ。紙面を見る。
『俺様も見て』
「……父さん? なにしてんだこの人」
「トメ君のお父様といえば、忍者で有名な?」
「大方、父の日に何もしなかったんじゃねぇのか」
あ、それだ。
もう一枚降ってきた。
『俺様も見て!!』
「二回も言うな!」
「あのよ、トメ。たまにはオレがツッコんでいいか?」
「どうぞ」
「見てほしいなら出てこいや!」
シュバッ!
「あ、逃げた」
「そして結局、父ではなくオレに奢るトメでしたとさ」
「ひどい男ですね、トメ君」
「……自覚した。気をつける」
みんなも自分がひどいことを言ってないか、気をつけよう、な?
サブタイトルは誤字じゃありません、はい。
ちょっと自分の経験とか参考にした話書いてみたら思いのほか長めになりました。
意味不明なことをまくし立てる人はたまにいますが、馬鹿にするだけでなく「ああならないように」と気をつけたいものです。
ちなみに父の日は本当に忘れていました。