カカの天下720「ラウンド1、ふぁいっ」
「ちょっと言い忘れたことがあってね」
トメです。
「あんたの家の場所忘れたから、サワサカのおじいちゃんに案内してもらったのよ」
なんか来襲受けました。
「なにその顔、ワタシが来たから嬉しいでしょう?」
「……涙が出るほど」
しかし好都合といえば好都合。こっちも言われっぱなしでおとなしく引き下がるほど素直な男に育ってきたわけじゃありません。
「言い忘れたこと、ね。それは僕のほうも同じだった」
「へぇ? なにかしら。聞いてみたいわぁ」
「ユカ、あのときは助けてくれてありがとな」
深々と頭を下げたのでユカの顔は見えない。しかし小さく息を飲んだ音が聞こえた気がする。
「……へぇ、『いまさら』そんなこと言うんだ」
「ああ、『やっと』言えた」
似たような、しかしはっきりと違う意味を込めた言葉をもって頭を上げる。
ユカの瞳をまっすぐ見据えた。
「さっき、昔のことを思い出してたんだけどさ。あの事故があったときの僕は『自分のせいだ』とか『自分が悪い』とかばかり考えて、一番大事なことを忘れていたと思うんだ」
「大事なこと……そうか。友人Aの名前だね」
「それは全然大事なことじゃない。カカ、ちょっとおとなしくしてな」
「はーい」
おとなしく観客席に戻っていくカカ……は? 観客席? ま、まぁいいや。なんかいつものことだし。
「ともかくだ、まずはお礼を言うべきだったんだよな。ユカ、僕を守ってくれてありがとう」
本当は僕が守りたかった。そんなことを考えていた僕は、素直にこう考えることができなかった。しかし今は違う。あのときのちっぽけなプライドを置いて、大事なことをきちんと見ることができるはず。
「……言いたいことは、それだけ?」
「や、あともう一つ。足、治ったんだよな。おめでとう」
「…………!」
ユカはしっかりと自分の足で歩いて居間へと入ってきた。さっき外で会ったときはおぼつかなかった足元もかなり自然で、今も自身の足で立っている。様子から見て義足ではないだろう。
あれ? 義足、じゃないよな? なんでそんな複雑な顔してるんだユカ。
「どうした? もしかしてやっぱり治ってなかったか? だったら悪いこと言った」
「……治ったわよ。本来なら治らないはずの足が、奇跡的にね」
「そうか、ならよかった」
「……よかった?」
キッと睨んでくる。よぅし、そろそろくると思っていた。
先に言いたいことは粗方言った。さぁこい。
「よかった? 何がよかったってのよ!? ワタシはこの足が治るまでずっと、どん底の人生だったのよ!!」
「そうなのか?」
「随分と他人事のように言うのね? こっちはあんたのせいで不幸になったって言ってるのに。あれだけ僕のせいだ僕のせいだーってうざいくらいに連呼しながら謝ってたのが嘘みたい。ちなみにそのときワタシは心の中であなたを『ごめん鳥』と命名していたわ。ごめんごめんごめんーピーチクパーチクとよく鳴いたこと」
「で、その鳥を料理しにやってきたってか?」
「そうよ。から揚げにするか焼き鳥にするか楽しみにしてたのに、もういないんですもの。あー料理したいわぁ。自分の罪を認めて謝り続ける殊勝な鳥は現れないかしら?」
「リクエストにお応えしたいところではあるけど、お礼を言うべき相手にごめんって言い過ぎると卑屈な光景になることに最近気づいてね? そういうの嫌だろ、ユカは」
「そんなこと言ったかしら? 誰かさんのおかげで人生を狂わされた可哀想なワタシに対して卑屈になるなら大歓迎だけど」
「おかしいな。可哀想な人を見る目はやめろって、誰かさんに言われたことがあるんだけど」
「……よく覚えてるじゃない」
「おかげさまで」
さっきは久々に会って動揺した。
でも落ち着いて、過去を振り返って、改めて会ってみれば……
「なんだか面白くないわ。トメ、なんであんたそんなに普通なの? さっきはあんなに動揺してたくせに!」
「や、ユカが思いのほか元気そうで安心したから」
「んなっ!?」
そうなんだよな。
恋愛絡みで色々あったにせよ、久々に会った知人が元気なのが素直に嬉しかった。歩けなくなって僕の目の前から消えて、どうしているのかずっと気になっていたから。
元気とわかると、過去の一部はどうでもよくなった。
ただ、あのときの感謝を伝えること以外は。
「あ、あんたって人は……ワタシはあのときの別れ話、けっこー悶々考えたりしてたってのに!」
「あぁ、それは僕もだ」
「じゃあそれについて何か言うことないわけ!?」
「そうだな。結局お互いがどう思っていたのか話したいなーとは思う。何が悪かったのか」
「あんたが悪い!」
「うん。そして君も悪い」
「……どっちも、悪いと? よくもぬけぬけと言えるわね」
僕だけが悪い、なんて格好つけたことは言わない。だって大人だもの。客観的に見てそうだとわかっている。両方が悪いからすれ違いが起きる。そして『こちらが悪い』や『向こうが悪い』と片方に決め付けようとするから軋轢は広がっていくんだ。
お互いの悪いところをきちんと認め合わないと、人と人はうまくいかない。
「ああ。僕らはお互い悪かった。僕は気持ちを伝えなかったのが悪かったし、ユカは……そうだな。何が悪かったと思う?」
「ワタシは何も悪くない!」
「そりゃすげー」
「冗談じゃないわよ? 本気よ! ワタシは悪くない! 悪く、ないもん……」
「僕はそうは思わないけど」
「あんたが知ってるのは病室での別れ話まででしょ!? それ以降の話は知らないくせに!」
大人として語りかけていたという自信が揺らぐ。
それ、以降?
「何か、あったのか?」
「……あったのよ。色々」
ユカが俯く。表情が金髪に隠れる。違うのは髪の色だけ、いつか見た少女の姿が重なった。
「ワタシがあんたにフラれた後」
「なぁ、そういえばあれって僕がフッたことになるのか?」
「あんたがごめんなさいって言ったんだから、あんたがフッたのよ」
意味が違うと思うけど、まぁ、いいか。
「ワタシは県外の病院へ行くために引越した。それからずっと病室に閉じ込められっぱなし。だって歩けないんですもの」
……なに?
「閉じ込められっぱなし? この、数年間?」
「そうよ。高校は中退。新しい街に行ったからって病院の中じゃ知り合いなんかできるはずないし、この街にも特別に仲のいい友達は元々いなかったから……転校しても文通、なんて漫画にありそうな展開もなし。病院の人たちは冷たい人ばかりで話すこともない。ワタシにとって会話できるのは両親だけになったわ。そう、仲が悪くて底意地の悪い両親だけ、ね」
はぁ、とため息をついたのはサワサカのじいさん。そういえばこの人、家族と折り合いが悪いからってうちに来てたんだっけ。
「ワタシは孤独になった。会話できるのが嫌な性格の両親だけで、元はおどおど怯えて接していたはずのワタシもソレにいつの間にか感染して、気がついたらグレてた」
……そう、だったのか。
「ワタシの下半身は一生動かない。この数年間、何をやってもダメだった。死にたいと思ったわ。『そうだ、クリスマスに死んじゃおう』って、去年に決めた。そう決めて、もっと死んだように過ごして……いざクリスマスになったとき、枕元に見覚えのあるパンツが置いてあったの。そしてあのときのことを思い出して、なんとなく生きる気になったわ。『正義の忍者より』っていうふざけたカードがついてたけど、なんだったのかしらね?」
オヤジ……ババァ……そういうことか。
「ちょっと元気が出て。どうせ治らないならどこの病院にいても一緒だろうって医者に言って、ワタシはここに帰ってきた。知り合いのタケダ医院で、窓からいい景色が見える一室をもらって。するとね、賑やかな景色と、おもしろいおじいちゃんと、ときどき乱入してくる楽しい子供たちのおかげで、灰色だった日々はようやく鮮やかな色を見せてくれるようになってきた。そして、心が元気になったからかな? 奇跡的に足が治って――トメ、あなたと再会した」
重いため息。しかし話はもっと重い。
僕は卑屈にならない。そう決めた。しかしここまではっきりとした闇を見せられると怖くなる。謝りたくなってしまう。僕のせいで彼女の一生を滅茶苦茶にしてしまった――あのとき感じたその気持ちは、やはり間違いなかったのではないかと。
「じゃあ、ユカ、君は」
「元気そうに見えたからって、元気にやってたわけじゃないのよ。ワタシはずっと生きてなかった……死んでなかっただけ。最近、ちょっと生き返ったけど。あなたに会ってからは特に」
ユカが顔をあげた。
「あなたが憎い。その憎しみが、ワタシの生きる燃料になった」
睨んでくる。
「足が治って、あなたに会って……運命かと思う程のめぐり合わせ」
近づいてくる。
「足あれば、あなたの元へ歩いていける」
近づいてくる。
「あなたが目の前にいれば、触れられる」
手を伸ばしてくる。
「ワタシは不幸だった。あなたのせいで」
両手は僕の首へと。
「だからワタシは、あなたを殺す」
そして締め上げ――
「なんちゃって。ぜーんぶ嘘」
――ることもなく両手を僕の肩へと置いて、ぺろっと舌を出したのだった。
「は? 嘘、嘘って、どっからどこまでっ!?」
「全部と言うとるから全部じゃの」
「だから全部ってどこからどこまでなのー!?」
「いやぁドロドロ楽しい闘いですけど、どうなるんでしょうか!」
「サラさん、あんた泥レスでも見てる気分だろ」
「よーし、トメ兄VS実は嘘つきおねーさん? ラウンド2、れでぃー、ふぁいっ!」
どこからどこまでが嘘か?
や、だから全部ですよ奥さんHAHAHA!