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カカの天下  作者: ルシカ
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カカの天下718「過去、別れの時間」

 ぼくのすきなこが、ねてる。


 あかいえきたいをながして、ねてる。


 あたまから、せなかから、ながれて、ながれて。


 まもろうとおもったのに。


 まもられたのは、ぼく。


 


 気がついたら、病室に立っていた。


 そう、立っていたんだ。僕には怪我一つないのだから当然のこと。


 目の前にはベッドと、その上で半身を起こした少女。額には包帯、布団の中はどうなっているかはワカラナイ。


 少女と目が合う。そしてようやく、脳が目覚めてきた。


「あ……」


 通学途中、一台の車が信号無視して歩道に突っ込んできた。聞けば夜勤帰りの居眠り運転だったという。


 僕を庇ったユカはその車に衝突。頭と背中を強く打ち、即座に入院――した、はず。その辺はあまり覚えていない。救急車についていった気もするし、立ち尽くしていただけのような気もする。学校に行った気もするし、休んだような気もするし、事情を聞かれたような気もするけど、自分がどんな言動を取ったのかなんて記憶に残っていない。


「トメく――」


「ごめん!!」


 僕の頭の中は、今このとき、面会が許されるこのときまで、ユカのことでいっぱいだったからだ。


「ごめん……ごめん……!」


「そんな、いいんだよトメ君。私が勝手にしたことなんだから」


「いいわけない!」


 そうだ、いいわけない。僕は彼氏だったんだ。守るって決めたんだ。誓ったんだ。なのに、なのに、逆に守られて、怪我までさせて、こんな不甲斐ないことなんてない。


「私がいいから、いいんだよ」


 優しい言葉が僕の胸に突き刺さる。痛い、その言葉が優しいほど、感じる痛みが増していく。


「……だって、ユカさ、身体、どうなった?」


 ユカは細い肩をびくりと震わせる。そして恐る恐る、しかし事実を教えてくれた。


「額と、頭に傷……それから背中に傷で、その」


「それから?」


「下半身が、動かなくなっちゃった」


 歩けなくなった――薄らと残っているそのセリフ。多分、医者とユカの家族が話しているのをどこかで聞いたんだと思う。


 それを聞いた瞬間、ただでさえ絶望のどん底だった心がさらに叩き落された。歩けなくなった、下半身が動かない。聞いたことがあった。背中を強く打ち、脊髄が傷ついたときに起こる半身不随という症状。未だに治る見込みはないとされる障害。つまり、ユカはこの先、ずっと歩けないままなのだ。


「ごめん……本当に、ごめん……!」


 僕は……僕は……僕の、せいで、彼女の人生を、滅茶苦茶にしてしまったんだ……!!


「なんでも、言うこと聞くから……これから何でも言うことを聞くから」


「トメ君!? そんな、やめてよ!」


「許してくれなんて言わない。僕はずっと君と一緒にいて、罪を償っていく」


「そうじゃない、そんなの望んでない! 私はただ、一緒にいてほしいだけで」


「うん、一緒にいるよ。これからずっと」


「違う……そんなの違う……私はただ、好きな人と」


「うん、僕は君が好きだ。だからずっと傍にいる」


 それが、今の僕の精一杯の言葉だった。


「そんな……それじゃ……」


 伝わったはずだ。


「そっか……そうなんだ……」


 伝わったはず。


「やっぱり……そうなんだ」


 伝わっ――


「出てって」


 え。


「なん……て?」


「出てって」


 伝わって、ない?


 なんで? なんで? なんで―― 


「なんで、そんなこと、言うんだよ」


 僕たちは、両想いではなかったのか。


 僕たちは、ずっと一緒にいたいと願っていたのではなかったのか。


 僕のせいでユカが怪我をした。だからより一層、一緒にいようと誓ったんじゃないか。なのに、なんで?


「私は……今まで通りに一緒にいてほしいの」


「それじゃ僕の気がすまな――」


「そんなの嫌!」


「どういうことだよ!?」


「そんな目で見ないで!!」


「……!?」


「そんな、可哀想な人を見るみたいに、私を、見ないで」


 え、や、違う、そんなつもりは、ない! そうだ、違う!!


「違う! 僕はただ、ユカのことが好きだから!!」


「そう、だよね……トメ君は、ただ、私がフラれるのが可哀想だから、受け入れてくれただけなんだよね……」


「ち、違う、違う! 僕は本当に好きだから!」


「それでも私は好きなのに……好きだから一緒にいてほしいのに……」


「なら、なんで僕を拒否するのさ。好きだって言ってるのに!」


 なんで? なんで届かない?


「でも、いいの。私はずっと好きだから。だから、あなたのためになんでもできる」


 ユカは今、泣いてるんじゃないのか? 僕では慰めてやれないのか? 


「そして今、あなたの心にとって一番優しいのは――私がいなくなること」


 後半の声は小さすぎて聞こえなかった。


 でも、次の言葉はハッキリと聞こえた。


「恋をなめるな」


 それは僕に言ったのか、それとも自分に言い聞かせたのか。


「……わかったわよ」


「なにが――」


「トメ君。いいえ、トメ。あなたが憎い」


 僕は息を飲んだ。


 ユカが初めて見せる形相で自分を睨みつけていたからだ。それは言葉の通り、穏やかで優しいユカには似合わない、憤怒の表情。


「よくも私を歩けなくしてくれたわね、よくも私の顔に傷をつけてくれたわね。おかげで私の、女のとしての人生が台無しよ!!」


 言葉が、出ない。


「どうしてくれるの? どうしてくれるの? 罪を償う? できるわけないでしょ。二度と歩けないのよ? 私に足をくれるの? 顔を治してくれるの? できるもんならやってみてよ」


 その罵声を受けながら、僕は驚いていた。


 でも、心の片隅で安堵もしていたんだ。ああ、これがユカの本音なんだと。


「できないでしょ。できないよね」


 犯した罪を叱られて、罪を償っているつもりになっていた。『これからずっと一緒にいる』という不確かな罰よりも、はっきりと見えるお手ごろな罰をもらって安心したんだ。


「じゃあ、消えてよ」


 僕は、謝りたかった。


「謝って、私の前から消えてよ」


 犯した罪を償うために、相応の罰を受けて、そして謝りたかった。


「……本当に、すまなかった!」


 だから、謝った。


「よかったわね、謝れて」


 そしてようやく気づく。


「これで満足?」


 自分が何もわかっていないことに。


 


 打ちのめされた僕は、再び記憶が曖昧なまま家に帰ってきていた。


 それから時間がどれだけ経ったのかワカラナイ。日を跨いだのかも知覚外。


 ユカに何を言われたのか、それだけは思い出せる。それしか思い出せない。ずっと頭の中を回っている。何が間違っていたんだろう。何が食い違っていたんだろう。何もわかってないことはわかった。自分は何かを勘違いしている。もしくは、していた? わからない、わからないわからない……


 全て幻聴だと思いたい。こんなに頭がふわふわしているんだ、きっと夢だ。そうそう、幻聴だ。ユカの悲壮な声も震えながらの罵声も、去り際に聞こえた泣き声も、きっと幻聴。


「とめにーちゃん?」


「……ん」


 カカ、か。あれ、ここ、どこだ? 台所、ああ、水を飲みにきたのか。


「とめにーちゃん、大丈夫?」


「あぁ……こんなぼくを、しんぱい、してくれるのか?」


「うん。カカ、とめにーちゃん好きだもん」


「好き……か。はは」


 好き。


 好きか。


 言われると一番、嬉しい言葉だよな――待て。


 ぇ。


 待て、待てよ。待て待て待て待て待て。


 まさか。


『言えたらと思うけど言えない――』


 僕は。


『可愛い、なんてことも言えない――』


 その言葉を。


『お互い口にしてはいないし、なんて言い表したらいいのかわからないけど――』


 一度たりとも口にしていなかったのでは、なかったか?


 そう――そう、だ。僕は、恥ずかしいから、わからないから言えないと、そんなくだらない理由で、ユカをどう想っているのかなんて一言も伝えていなかった。彼女の想いに応えようとペンダントを買ったときでさえ口にしなかった。一緒にいるだけで通じ合っていると身勝手な勘違いしていた。真っ直ぐに好意を向けてくれるユカに甘えていた。


 だからユカは思ったんだ。


『トメ君は、ただ、私がフラれるのが可哀想だから、受け入れてくれただけなんだよね』


 そして僕が今さら好きと言ったところで届かなかった。ユカの目には『可哀想な自分を励まそうとしてくれる僕』にしか映らなかったから。


 だから、謝らせてくれた。そして縁を切ってくれたんだ。


 これ以上、僕が罪の意識に囚われないように。


 自分という枷から開放するために。


「……よし」


 また間違っているかもしれない。


 また勝手な思い込みかもしれない。


 でもそれなら、またやり直せばいい。


 僕はユカが好きだ。この気持ちがあればきっと大丈夫。ユカ、恋をなめるなって言ったよな?


 そっちこそなめるな。今度は僕が、どれだけ君を好きか伝えてやる――!


「待った」


 あれ、目の前に壁が?


「……あね?」


「どこ行くの」


「……びょういん」


「ダメ」


 なんだよ、こんなときまで邪魔するなよ姉。恋が終わるかどうかの一大事なんだ。


「あんた、何日寝てないのさ。ご飯もろくに食べてないでしょ。ようやく部屋から出てきたと思ったら、そんな死にそうな顔して、部屋着のままで、病院まで行くって? 親切心で放って置いてやったけど、もう我慢ならないわ。確かに診察が必要な面だけど、まずは飯食って寝な」


 え、何日って? そんなの知らないしどうでもいい。


「……じかんがない」


「呂律も危うい人間がナマ言ってんじゃないよ。道中で絶対倒れるっつーの。どっちにしろ今は夜、病院は面会も診察もできないよ。救急なら話は別だけど、幸いウチには医学かじってる忍者がいるから」


「やだ……いく」


「ダメ。それ以上無理したらあんた死ぬよ。ほら、まずはもっと水を飲みな」


 僕の意気込みとは裏腹に、姉へ抵抗する力は身体に残っていなかった。無理やり気味にお粥やら忍者特性栄養ドリンクやらを飲まされ、無理やり布団に組み伏せられた。


 僕の中で一つの答えが出た安心からか、疲労を受け入れた身体はすんなりと睡眠に入ってくれた。その答えが正解なのか、まだわからないというのに。




 結果として、その答えが正しいのかどうかはわからなかった。


 ユカはとうの昔に別の病院へ移っていたからだ。この街の病院よりも、もっと設備のいい都会へ。


 僕はまだ諦めなかった。恋をなめるな、恋をなめるな、そう胸中で呟きながら、タケダ医院の院長先生にユカの連絡先を聞いた。しかし答えはそっけないものだった。


 ――笠原トメという人にだけは伝えないでほしい、そう言われているんだよ。


 病院には守秘義務がある。そういう言い方でもよかったはずだ。しかしそれをわざわざそんな言い方をされた。そこの院長はユカの家とも個人的にも親しかったらしく、知り合いの娘を傷つけられたということで怒りをかっていたのかもしれない。


 ともあれ、その一言だけで僕の心は完全に砕け散ってしまった。諦めない? やり直す? どうしろというのだ。ガキでは手の届かない県外にまで行ってしまった彼女に、行き先すら知れない僕に何ができると?


 はっきりとした拒絶の言葉すら、見ず知らずの大人を経由して伝えられた、このちっぽけな僕に何ができると?


 数日間も何もせずに、部屋に閉じこもっていただけの僕に何ができると?


 結局、僕は恋をなめていた。


 そして、高校生にできることなんて、本当にたかが知れていたんだ。




「とめにーちゃん、大丈夫?」


 そして、何度かけてもらったかわからない声。


「カカ……」


「心配」


 壊れる寸前だった僕を支えてくれたのは、この声かもしれない。


 やりきれない僕の想い。心を伝えることができなかった僕の未熟さ。それをこの、素直な妹を育てることによって学ぼう。そう思った。


 この先、妹が本当に愛しくて育てることになるのだけど、それを自覚するのは数年後の話。それまでは、そんな自分勝手な馬鹿な理由で妹を可愛がっていた。


 僕が、子供だったから。


 そして、それは、今も……?


 それは、もう一度、面と向かって話してみないとわからない。


 再び現れた、彼女と。




 過去編の過去話、終了です。

 しかし過去編はもう少し続きます。

 過去を踏まえて現在へ。

 

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