カカの天下711「甘くないチョコ 後編」
どうも、トメです……
ええと、あの、ですね。バレンタインです、ええ。やっぱりというか案の定というか、カカたちに振り回されていたのですが、その途中。
こちらに負けないくらいに賑やかに騒ぐクララちゃんとタマちゃんと出会いました。そして、一緒にいた金髪の女性とも。
初対面だと思いました。
でも、あの瞳の大きい穏やかな顔、なんか見覚えが、ある、よう、な、え、あれ、まさか、あれ?
だって額には傷も何も、ないよな? よく見てみる、見てみる、赤い、うん赤い、視界が赤いもので埋まっていく、どんどん、どんどん――
「ふげら!?」
このすっとぼけた声は僕です。痛い。痛いけど、その痛みは大したことないんだけど、驚きによって僕はよろめいた。
僕の鼻っ柱をぶっ叩いた赤いものを投げつけた金髪女性は、なんと、
「チッ!」
舌打ち!! え、なんで!? なんで手に持ってた物を顔に投げられたあげくにそんな小ばかにしたような目で見られるの!? ていうか今までの穏やかな顔どこいった!? 大きな瞳は切れ長に細まって僕を睨みつけて、
「嫌なやつに会ったわ」
苦々しく吐き捨てる。その声、忘れもしないその声は、やっぱり、
「……ユカ?」
「軽々しく呼ばないでよ、うざったい」
間違いない、あのユカだ。
「な、なんで」
「なによ、ワタシがここにいちゃいけないの? なんで? それを言うならあなたこそ、なんでいるの。いないでよ。消えてよ。シュバッと。永遠に」
その声は忘れていない。顔も忘れていない。でもすぐに気づかなかった。
「や、そうじゃなく」
「や? や? 相変わらずの口癖ね。や、や、や! ワタシがあなたのことをヤだと思ったときも使っていいのかしら。あーあー、でもそうしたらあなたのマネしてるみたいね。まぁうざい」
あーあー言うそっちの口癖だって相変わらず――じゃない。何もかもがあのときと違う、だからすぐに気づけなかった。
「……今、なにして」
「何してるか? それはこっちのセリフよ。あなたこそ小さな女の子たち引き連れて何してるの? 幼女誘拐の真っ最中? ハッ、それはまたお似合いですこと。交番はあっちよ。警察はあっちよ。あの世はあっち。そして地獄はこっち」
大げさに腕を振るユカ。「交番は」で右へ向かって人差し指、「警察は」で背後を指す親指、「あの世は」で立てられる中指、続いて「地獄は」で地面へ向けられる親指。最後の二つ、特に最後の動作に込められているのは、あからさますぎる敵意。
「……ユカさんや」
「さん、とか止めてくれる? あんたなんか酸で溶ければいいのよ。跡形もなく」
「……ユカ君」
「君、とか止めてくれる? あんたなんか燻製になって売られればいいのよ。五円とかで」
「……ユカちゃん」
「ちゃん、とか止めてくれる? あんたなんかちゃんこ鍋で煮込まれればいいのよ。そして誰にも食べられずに捨てられなさい」
「……ユカ」
「呼び捨てとか止めてくれる? あんたなんか誰にも呼ばれず捨てられればいいのよ」
「……おまえ」
「おまえとか止め――」
「いいかげんにしろやぁ!! 喋らせろ!」
「ヤ」
……何度も言うが、気づかないのも仕方ないと思う。
「あーあ、なんだかんだで、こんなやつのマネしちゃった。ヤだヤだ」
「単刀直入に言おう。なんでそんなに性格悪くなってんだ!?」
そうなのだ。僕の知るユカという女は、金髪でもなければ口が悪くもなければ意地も悪くなかったはずなのだ。おとなしくて地味で純情な子だったはずなのだ。それがどうだろう。
「他人のことを性格悪いなんて、直接言うほうが性格悪いと思うわ」
鼻で笑うこの返答。まるでユカの妹か姉か別人格が出てきたのかと疑うほどの変貌っぷり。
「おまえ、本当にあのユカだよな?」
「そうよ、あなたにフラれたあのユカよ。あなたにフラれてグレた、あのユカよ」
――まじ、か。
「グレ、た? その金髪も、その言葉遣いも」
「そうよ。あのときあんたにフラれてから染めたの。荒れたの。そりゃ荒れるわよ。ワタシがどれだけ苦しんだと思ってるの? あーあ! 今となっては馬鹿らしい。わざわざ県外の病院に行ったのは、あんたから離れるためでもあったのよ? それが仕事の都合で戻ってきてみれば、会うし。あーあー気に食わない。なに? あんたも気に食わないの? ワタシの何が悪い? 何か悪いなら、あんたが正しいことを言ってみろ!!」
正しいことなんてわからない。
悪いところなんてわからない。
ただ、僕が悪いということだけはわかったから、
「……ごめん」
何に謝っているのか――きっと全てに謝りたいのだと思う。謝って、そして、
「よかったわね、謝れて」
あのときと同じ言葉を、
「これで満足?」
また、聞いた。
返す言葉が、見つからなかった。
「頭痛いわ。熱っぽいかも……帰るわ」
踵を返し、僕に背を向けて歩くユカの足元はおぼつかない。足……そうだよな。治らないって、言ってたし。そうだよ、だからこんなところで会って心底驚いたんだ。もう立てないって聞いてたから。でも、そうか、あれから年月が随分と経っている。医学も進歩したのだろう。額の傷も見えなくなっていた。よかった……そう、言っていいのか?
「……はっ!? あ、あまりの光景にクララぼーっとしてました!」
「おねーちゃん、へんしんしたのですか?」
「そ、そうです! 変身でもしたかのような人格変化です! クララしょっくです! あ、おねーさん! 待つです!」
固まっていた子供二人が慌ててユカを追う。そして同じく固まっていた僕の周りの女子たちも動き出した。
「なにあれ!?」
「感じわるーい」
「と、トメさんっ! なんなんですかあの女っ!!」
「そうだそうだ、説明しやがれ」
「あの女の人とトメさんがどういう関係なのかは話を聞いてなんとなくわかったんですけど……過去に何があったのか、気になるところですね」
そしていつの間にか二人ほど増えていた。テンとサラさん。僕らがいつまで経ってもこないから様子を見に来たら僕らのやりとりに遭遇した、というところか。
「トメ兄、あんな風に言わせたままでいいの?」
「いいんだよ。僕が悪い」
なぜか不満そうな瞳が僕を見ている。ばつが悪くなって視線をそらしてみれば、誰を見てもその目に捕まり、どれもこれも「話せ」と言葉にするまでもなく語っていた。
僕は彼女に会って凹んでいたのかもしれない。そのせいか、普段なら「思い出したくない」の一言で逃げるはずが、誰かに聞いてほしいなんて思ってしまった。
「……僕の家に行こうか。お茶くらいだすよ」
幸い、お茶菓子はたくさんある。
「必要なら酒もあんぞ」
「ハハ……気が利くなテン。もらおうか」
酒が入ればもっと簡単に語れるだろう。
「トメさんの恋話かぁ。うーん、不謹慎ながら興味がふつふつと……あれ、トメさんトメさん。この包みって」
「あ」
最初にユカが僕に投げつけて、そのまま地面に転がっていた赤い物体。
何の因果か、それはチョコだった。
バレンタイン。女性が好きな男性にチョコをあげる日。なんという皮肉か。
そのチョコは甘くない。
全然、甘くなかった。
先に言っておきます。
「あれ? ここおかしくない? これ変じゃない? あれって確か……」
そう思った箇所があったらとりあえず覚えておくと、後々楽しめるかもしれません。
さぁて。過去編の始まり、かも?