カカの天下65「ついていい嘘、悪い嘘」
「あー、困った」
こんにちわ、トメです。
突然ですが困っています。
皆さんもご存知の通り、僕の妹のカカは端から見ればおもしろく、当事者にしては微妙に迷惑なことを多々するのですが……今回はちょっと、タチが悪いです。
「なにが困ったのさ」
「……あんたに言ってもなぁ」
久々にうちに居座ってお茶を飲んでる姉をジト目で見て、僕はもう何度ついたかわからないため息をつきました。
「ただいまー」
姉に相談しようか迷っているうちに、友達の家に行っていたカカが帰ってきた。
「おかえり、今日は早いな」
「おじゃま、しますー」
おっかなびっくりカカの後ろに隠れて入ってきたのは、カカの親友、サエちゃんだ。
「お、サエちゃん。いらっしゃい」
「私の部屋で遊んでくるねー」
そう言ってたったかと居間に座っている僕らの横を駆けていく二人。
と、カカが思い出したかのように振り返って言った。
「トメ兄。昨日私のお風呂のぞいたみたいに、のぞかないでよ?」
ぴきり、と空気が凍った。
ものすごく冷たくて白い目が僕に集中、冷凍ビームを放射し、心臓の中まで凍えさせ……
「うそだよ」
カカの一言で空気が常温へと戻った。
「……カカ。嘘はやめろとあれほど」
「いいじゃん、すぐに嘘だって言ってるんだから」
「あのな」
「別に誤解されるわけじゃなし。さ、いこ。サエちゃん」
「……うん」
サエちゃんはさっきの僕のようにため息をついたあと、カカの後を追って部屋へと入っていった。
視線を戻すと、そこにはあんぐりと口を開けた姉。
「……なに、いまの」
「これが僕のため息の原因。なんでかわかんないけどさ、最近カカがやたらと嘘をつくのよ」
事の発端は二日前と最近だが、なにやら嘘をついて人をからかう楽しさを覚えたらしく、やたらと多用してくるのだ。
カカは基本的に人をからかうのが好きだし、生意気な面も多い。だが今までのそれは苦笑しながら許せるレベルの微笑ましいものだ。
今回のは違う。ところかまわず嘘をつくのはやり過ぎだ。
「嘘、か。そんなのつく子じゃなかったのに……」
よほどショックだったらしく、姉はいまだに呆然としている。常日頃、破天荒で能天気な姉にしては珍しいことだ。
「最初はなんでもない嘘だったんだ。冗談だよーで済ませられるくらいの。でも、さすがにエスカレートしてきて今みたいな嘘つくようになると……」
「……うん」
姉はすくっと立ち上がった。
「どうした?」
「…………」
姉は思いつめた表情のまま、無言でカカの部屋へと歩いていった。
おお、なにやら姉っぽいことをしてくれるのだろうか……と僕はのぞくのも無粋と思い、居間でじっと待っていた。
だが一分もしないうちに。
姉は沈痛な面持ちでカカの部屋を出てきた。
どうやら、うまくいかなかったらしい。
そして夕方。サエちゃんも帰る時間だ。
僕もカカと一緒に、玄関まで見送りに出た。
「……あれ、そのサエちゃんは?」
「トイレ。でもなんか遅いね。大きいほうかも」
「下品」
「嘘だよー」
その嘘で親友の印象が悪くなるって、わかってないんだろうな。
「おまたせー」
「遅かったね」
「うん。ちょっとあってねー」
サエちゃんが来たから言わなかったが、やっぱり後できつく言っておかなきゃならないだろうな……少し憂鬱になる。でもとりあえず、ここはしっかり笑顔でサエちゃんを見送らないと。
「またねー、サエちゃん」
「これからも仲良くしてやってくれぃ」
「うん、おじゃましましたー」
にっこり笑ってお辞儀を一つ。そして道路へと歩みだしたとき――
「え」
その小さな身体が、跳ねた。
何も聞こえなかった。いや実際は車の急ブレーキの音とかドサッと地面になにかが落ちる音とかしてたんだろうけどそれが聞こえたらその否定したい事実を認めてしまいそうだったから何も耳に入らなかった入らなかったんだよだから嘘だよなおい。
「さ、え、ちゃん?」
僕と同じく固まっていたカカが、弾かれたように駆け寄った。
車に撥ねられた、サエちゃんに。
「サエちゃん……サエちゃん!」
カカはサエちゃんの身体を抱き起こした。でも力がまるで入っていないのか、サエちゃんの身体はぐったりとして、ぴくりとも動かない。
「サエちゃん、さ、えちゃ、さ、う、ああぁ……」
目を閉じたまま動かないサエちゃん。
泣き叫ぶカカ。
これは、現実か?
救急車、よば、ないと。
震える手で、ポケットの携帯をのろのろと取り出す。
早く、しないと、いけないのに。
この光景を否定したくて。
信じたくなくて。
どうしても、手が、思うように動かない。
そして……
それは、正解だった。
サエちゃんの手が動いた。
自分に抱きついて泣いているカカを慰めるように、その頭をゆっくりと撫でた。
カカはハッとしてサエちゃんの顔を見る。
閉じていた瞼は開いていた。
泣きはらしたカカの顔を見て、優しげに微笑んだ。
「嘘、だよ」
「……え?」
「そう、嘘」
後ろから聞こえてきた声に振り返る。
サエちゃんを撥ねた――いや、撥ねるフリをした張本人の姉が、そこにいた。
「おい……姉、なんで」
「なんでこんなことしたのっ!!」
タチが悪すぎる悪戯に激昂したのは僕だけじゃなかった。
「なんで! なんで、こんなことを……サエちゃ、サエちゃん、ほんとに、死んじゃったのかと――」
掴みかかるカカを、姉は冷たく見下ろして――不意に、逆にカカの胸ぐらを掴んだ。
「おや? すぐ嘘って言えばいいんじゃなかったっけ?」
泣きながら怒りを顕にしていたカカの表情が怯んだ。
「いいか、よく聞きな。嘘をついて、すぐそれが嘘だよーって言えば確かに誤解はされないさ。でもね――それで相手が嫌な思いをするかどうかは別問題だろ?」
「…………」
身をもって実感した直後のカカは返す言葉がない。
「わかったら、もう嘘はやめな。笑えるくらいのならいい。でも、笑えない嘘は何なのか、きちんと把握した上で使うんだ。いいね」
「……はい」
気落ちするカカを慰めるため、サエちゃんはもう一度家の中に戻った。ちょっと帰るのが遅くなるけど、たまにはいいだろう。これも教育の一環。学校にいるのと似たようなもんだ。
さて……
「言い聞かせるのはよくやった。でもやりすぎだろ」
「あたしもそうは思ったんだけどさ。これ、あのサエちゃんって子の案なんだよ」
「……うそ」
「嘘つくなって言った直後に嘘ついてどうするよ。さっき部屋いったときあの子にさ、帰るときにトイレ寄ってって言ったんだよ。んで、外から窓越しに相談したんだけど」
「なんちゅう相談の仕方するんだ」
「そしたらさ、あの子もカカのこと心配してたみたい。学校でも兆候あったみたいだし。それでさ」
「こんな小芝居やろうってことになったわけか。にしても一歩間違えば本当に事故だぞ」
「そこはまぁ、結果オーライで」
「あのなぁ」
「いいじゃん。あたしだってたまにはさ、姉らしく、いい格好したかったんだよ」
「……そ、か」
色々問題はあるような気はするけど、確かに結果オーライ、か。
「そういや、姉。あんた車の免許もってたっけ」
「さーて帰るか」
「おい、それサカイさんちの車じゃ」
「ばいびー」
その翌日から。
カカはまったく嘘をつかなくなった。