カカの天下571「あなたは泣いて」
こんにちは、サエです。
いま、踏んでます。
「ああ、もっと! もっと踏んでぇ!!」
私が足蹴にしているのはゆーたです。いきなり驚かせてしまいましたかー?
「ここ? ここがいいのー?」
「うああぁ! いい、いいです!!」
ただいま学校の昼休み中。用務員室を訪れた私はゆーたを踏んであげることにしました。なんか喜ぶから。
「ほら、もっと無様に叫びなさい」
「うおぉおぉおぉおぉ!」
「ゆーた、うるさい」
「失礼。楽しくてつい。あと本当に気持ちいいもんで」
「花壇の仕事って、しゃがんでばっかだしねー」
「ええ、すぐに腰を痛めるのですよ」
そんなわけで。私はうつ伏せに寝そべったゆーたの腰の上に乗っかってぐいぐい踏んであげてるんだけど。マッサージねー。
なんだと思った?
「おらおらおらー」
「あぁあぁあぁ、そんな強くぅぅ!」
結構楽しい。なんかいい気分だし。
「ほら、もっと叫びなさいー」
「はい! 私は犬でございます! 卑しき犬でございます!」
「犬は言葉なんか喋らないよー?」
「わん! わん! きゃいんきゃいん!」
そんな遊びをしばらく続けて。
「ふー。すっきりした」
「いや、私もなんとも清々しい気分になりました。ありがとうございますサエ様」
「こっちこそー」
「ところで」
……あれ。
ゆーた、なんか急に真剣な顔になった?
「何か、ありましたか?」
「いやー、何もないよー。なんとなく来ただけー」
「そう、ですか」
「うんうん。じゃ、お仕事がんばってねー」
そそくさと逃げ出す私。
さすがは大人、なかなか侮れないねー。何かあったかと言われれば……たぶん、あったんだと思う。
自分の気持ちがよくわからない。ただ、なんとなく。カカちゃんたちと一緒にいたくなかった――
「サエちゃん!」
それなのに。
「サエすけっ! もう、探したわよ」
顔を合わせてしまった。すっきりしたはずの胸がちくりと痛む。
「どこいってたの?」
「んー、ちょっと用があって用務員室に」
「いつの間にかいなくなってたと思ってたけど、そんなこと行ってたのねっ」
「サエちゃん」
カカちゃんが私をじっと見つめてきた。
なぜだろう。
怖い。
「サエちゃん、昨日はありがとう」
「……ん」
怖い。
「なんだか恥ずかしくて、なかなか言い出せなかったんだけど……昨日は迷惑かけてごめんね」
怖い。
「でも嬉しかった。やっぱり持つべきものは友達だよね! 私がトメ兄と仲直りできたのもサエちゃんのおかげだよ!」
怖い。
「本当にありがとう!」
怖い、けど、答えないと。
「……あ」
ほら、ちゃんと答えて。
「……うん、気にしないでいいよー。友達だもん」
「ま、わたしたちはあまり何もできなかったけどねっ! ユイナさんに手柄を取られた感じっ!」
ふざけて不貞腐れたように言うサユカちゃんの言葉に、
「いやいや、お母さんだけじゃないよ。本当に皆のおかげだよ」
「またまた。わたしたちの言葉には耳も貸さなかったくせに」
「あ、あれも甘えの一種と思ってよぅ。そりゃ、お母さんは――」
その、
言葉に、
「……よね」
「え? サエちゃん、なに」
「カカちゃんはいいよね。そうやって、すぐにお母さんに会えて」
耐え切れ、なかった。
場が、凍る。
「さ、サエすけ……?」
「仕事が忙しいのに駆けつけてくれた? ただ兄妹喧嘩しただけなのに?」
止まらない。
「なにそれ。私なんて、最近ようやく声が聞けるようになったっていうのに」
止まらない。
「さ、サエちゃ――」
「知ってた? カカちゃん。私ね、お父さんともお母さんともずっと会ってないの。私が今いる家の人たちは、本当の親じゃないの」
そんなことを言っても仕方ないのに。
「本当のお父さんもお母さんもいなくて、寂しくて、いつもいつも我慢してるのに――なんでカカちゃんはいつもそうやって私に見せつけるの? なんでいつもそんなに幸せそうに笑うの?」
そんなことを言いたくないのに。
「お父さんもいて、お母さんもいて、それが当然で――私だって、そんな家に生まれたかった!!」
それは紛れもない、私の本心だった。
「カカちゃんを見てるとイライラするの……」
お父さんもお母さんもいない私が、ひどくみじめに思えてきて。
「お父さんもいて、お母さんもいて、お兄さんもお姉さんもいてよかったね?」
私が、ひどく孤独に思えてきて。
「私は……私は……!!」
もう、言葉が出ない。
でもすでに充分すぎるほどの言葉をぶつけてしまった。カカちゃんに言うのは筋違いなこと。でも言わずにはいられなかった。その気持ちは確かに私の中で生まれたものだったから。
そんな気持ちが嫌で蓋をして、ずっとずっと閉じ込めてきたのに……溢れてしまったのだ。
「カカちゃんなんか大嫌い」
なんて嫌な子なんだろう、私。
「カカちゃんなんか――」
もう、何を言ってるのか自分でもわからない。
悲しくて、悔しくて、情けなくて……涙で視界も心も歪んで、何も見えない。
ただ、映るのは……薄らと見える、カカちゃんの悲しい顔。
でも激情にかられた私は、なお汚い言葉をぶつけようとする。
なんて嫌な子。
なんて悪い子。
だから叱ってよ。誰か叱って。お父さんでもお母さんでもいいからさ、カカちゃんのお母さんみたいに駆けつけて、私を叱ってよ。お願いだから、ねぇ、私、ちゃんと謝るからさ……
そんな声は、届かない。
都合よく誰かが駆けつけて抱きしめてくれるなんて、そんなことはありえない。
そう、思っていたのに。
「まったくもう」
ふわりと、後ろから私を抱きしめてくれた人がいた。
それは、お父さんでもお母さんでもなく。
「いつだったか『私たちを家族と思えー』なんて言ってくれたのは、どこのどいつだったかしら?」
……サユカちゃんだった。
「カカすけ」
「……ん」
カカちゃんの声に身体が強張る。あれだけひどいことを言ったのだ。絶対に嫌われて――え?
「うりゃ」
今度は前から、カカちゃんに抱きしめられた。
「え? え?」
わけが、わからない。私は、私はあんなにひどいことを――
「サエすけさ、昨日いつの間にかいなくなってたでしょ。だからユイナさんのお話聞いてなかったんだね」
「お話……?」
「ええ。人ってね、色んな感情を持ってるの。だからね、いくら仲のいい相手にも、どんなに好きな相手にも、嫌いだって言っちゃうこともあるんだって。でも大事なのは根っこの部分なの」
「根っこ……」
「ほら、カカすけ」
「うん」
涙で滲む目をごしごしと擦り、カカちゃんの瞳を見つめる。
「私ね、今ね、すごく悲しい」
カカちゃんの瞳も潤んでた。
「なんでこんなこと言われなきゃならないんだろうって、腹も立ってる」
その言葉とは裏腹に、声は震えていて。
「こっちこそサエちゃんなんか嫌いだって、叫びたい」
でも、しっかりと私を見据えて、
「でもね、私はサエちゃんが好き。その根っこだけは変わらないの」
はっきりと、そう言った。
「サエちゃんの根っこは、どう?」
でも、泣きそうな声で、
「私を本当に嫌いになっちゃった……?」
震える声で、
「お願い」
震える身体で、
「私を嫌いにならないで」
私を抱きしめてくれた親友の姿に、私の涙腺は耐えられなかった。
恥も外聞もなく、赤ん坊のように全力で泣いた。
泣きながら、カカちゃんとサユカちゃんにすがりつきながら叫んだ。
嫌いになるわけない。
なれるわけない。
こんな優しい親友を、こんなに温かく包んでくれる家族を、どうして嫌いになんかなれるだろう?
そうだ、私には家族がいる。
こんなに温かい家族が。
カカちゃんが羨ましい? お父さんお母さんがいる他の家庭が羨ましい? なんて愚かな考えだったんだろう。それにも勝る大事なものを、私はもう手にしていたというのに。
そうだ、あの夏祭りの晩に自分で言ったじゃないか。
私はもう、幸せ。
そしてさらに幸せになるために、お母さんを待つのだと。
――泣きながら抱き合う三人の少女の姿を、遠くから見守る影があった。
「ふむ。なにやらサエ様が寂しそうに見えたので、ここは母親の出番だろう! と思い連絡したのですが……少々遅かったようですな。いや、電話してからここに来るまでめっさ速かったですが」
「……そうねー。慰め役、とられちゃった」
「いやはや、申し訳ない。このままだと無駄足になるとこですが、会ってゆかれますか?」
「いいえ。でも、呼んでくれてありがとう。おかげで腹は決まったわー」
影の一つは携帯を取り出した。
「――あ、もしもしカツコちゃん? うん」
その影の眼は真っ直ぐに。
母を、自分を呼びながら泣きじゃくる、愛しき娘に向けられて。
「明日やらかすから」
さらにその奥――
「手伝い、お願い」
未来へと向けられていた。
サエ&サカイ編、本編。
まいります。




