カカの天下480「嵐の前の嵐」
よう、テンカだ。
「乾っ杯っ!!」
「か、乾杯。どうしたんだよテン、なんか荒れてんな」
トメの質問は無視して、ぐいっとビールをあおる……そして一気に空けた。
「ぷはぁ! おかわり!!」
「おいおい。何かイヤなことでもあったのか」
ああ、あったさ! そしてやさぐれてるのさ!
飲み場所はいつもの『病院』で、見知った顔が何人か、オレの様子を何事かと見ている。そんな視線は苛立ちの前ではまったく気にならず、オレはおかわりしたビールをもう一度あおった。
「あの、もしもしテンさん? 少しは答えてくれないと一緒に飲んでる感がなくて寂しいのですが」
呆れながらも皮肉げなトメの声。そう、だな。元々相談するために誘ったんだし。
「あのよ」
「どのよ」
「……あの」
「どの」
「あー、あのさー」
「どのさー」
「いちいちうるせぇよ!! 切り出しにくいだろが!!」
「おー、テンっぽくなってきたテンっぽくなってきた」
ったく、小憎らしい顔しやがって。おかげで緊張がほぐれたじゃねぇか。
「なぁ」
「どぁ」
「無理があるぞ。なぁ、オレって教師以外の職業だと何が似合うかな?」
「別に教師も似合ってるわけじゃないぞ」
「……兄妹だな、やっぱ」
この調子だと姐さんも同じこと言うんだろうか。
「で、どうなんだよ」
「んー? テンが転職ねぇ。つまんない洒落だな」
「オレはんなこと一言も口にしてねぇんだが」
「ハイハイ、そう焦るな。しっかし、他の職業って急に言われても……」
何かヒントはないか、と周囲をキョロキョロと見回すトメ。すると、席が近いおっさん二人の会話が聞こえてきた。
「なぁ弟よ、俺は先日、メイド喫茶とやらに行ってみたのだが」
「ほほう、どうだった兄貴」
「いや、ひどいものでな。あまりに給仕がなっていないからその場で指導してやったわ」
「兄貴はすごいな。俺にはとてもマネできない」
恥ずかしいもんな。
「ふ、そうだろう。そして見事な指導をしきった俺は店員に『給仕の鑑』と称えられたのだ」
「おお、格好いいぞ兄貴」
「そしてメイド服をすすめられたのだ」
なんでだ!?
「着たのか」
「おうよ、あまりに熱心にすすめてくるからよ、仕方なくな。しかし今思えば……よもや恥をかかされた腹いせに俺に着せたのではあるまいか」
多分それ正解じゃね?
と、まぁ。そんな会話を聞いたトメはオレのほうを見ながら目を細めていた。
「テンが……メイド喫茶にいたら……?」
なにやら不届きな妄想をしているらしい。
「うはは」
「どういう意味だ、あぁん?」
「や、だってさ。テンが『お帰りなさいご主人様』とか言ってるの思い浮かばなくて……『おけぇりなすってぇ、三代目!』とか言うのならとんでもなく似合うんだが」
ちっ、反論できねぇ。
しかし、まぁ。その後もトメは茶化すばっかりで。
結局は今の教師が一番合ってんだろうなぁ、なんて思って。
……今日のことを、思い出す。ガキどもと話した後、追いかけてきたサエに言われたことを。
『テンカ先生ー』
『あん? どうしたサエ』
『先生、辞めちゃうんですか』
『へ? ああ、そういう風に聞こえちまったか。わりぃな、別にそういうわけじゃ』
『嘘です』
『……なんで、そう思う?』
『私、知ってます。その顔――私の傍からいなくなる前の顔です』
『…………』
『好きな人がいなくなるのは、もう嫌です。みんな、一緒がいいです』
『……そう、だな』
『さっきはあんなこと言ってましたけど、それはみんな、テンカ先生が私たちの先生じゃなくなるなんて、夢にも思ってないからですからー……私もそんなの、嫌ですから』
言うだけ言って、悲しそうに去っていったその小さい背中。
いつも幸せそうに笑ってるくせに、人一倍臆病なんだよな……誰かが、いなくなることに関しては。そりゃそうだ。あいつの母親のことを知っているなら誰にでも想像がつくこと。
「オレだって、できることならこのままがいいさ」
「ん、何か言ったかテン」
――ふん、オレらしくもない。別に辞めると決まったわけじゃねぇんだ。ここは溜まった鬱憤を晴らすために大暴れするのが正しいだろう!
「はん! 今日はヤケ酒だ! 勢いでメイドもやってやろうじゃねぇか!!」
「おぉ、ほんとか! そりゃ笑える」
「おけぇりなすってぇご主人!! 注文は!?」
「なんかいろいろ混じってるけど似合ってるからいいや。じゃあテンカ・オレで!」
「オレ!?」
「ユー!!」
そんなこんなで、バカ騒ぎ。
気のいい飲み仲間のおかげで、胸がかなり楽になった。
問題が解決したわけじゃ、ないけどな。
と、いうわけで。実は477話から480話までは時間的に続いています。
全て一日を通してあったことで……でもテンカ先生の問題は解決していない模様。一応は吹っ切れたみたいですが。
どうなるかは、また後日。