カカの天下437「あっちの本音、こっちの本音」
「カカちゃん、寝た?」
「ああ、母さんと一緒にぐっすりな」
「ほんと、すごい懐きようだよね」
「母さんの可愛がりっぷりも結構なもんだけど」
「あのケンカの後に生まれた子だしね。思い入れも深いんでしょ。あと単純に、あたしやトメより可愛いし」
「それもそうか」
「嫉妬かい、弟君?」
「うっせ」
どうも、ちょっと不貞腐れてるトメです。
今の会話でもわかるとおり、時刻は深夜。カカは母さんとおねんねで、僕は姉と一緒に居間で缶ビールなんか飲んでます。
「なんか、こうやってあんたとのんびり飲むのも久々な気がするな」
「あたしも最近忙しかったからね。気に食わないヤツら退治したり、新聞載ったり」
この人が気に食わないのを成敗してるのはいつものことだけど……新聞?
「今度はなにやらかしたんだ」
「人を犯罪の常習犯みたいに言わないの。ちょっとした釣り情報に載っただけだよ」
は? 釣り?
「あれは先週のことだった……」
最近自分のこと語るやつ多いな。
「ポカポカと温かくなってきたこともあって」
「バカになったのか。安心しろ。あんたは元からだ」
「いいから聞けタコ。温かくなってきたこともあって、今年の初泳ぎをしようとあたしは海中を気持ちよく泳いでいた」
泳ぎ出す時期はえーよ。
「そしたら服に釣り針が引っかかった」
「……で、釣られたってか?」
「や、そしたら負けじゃん? あたし負けるの大ッ嫌いだからさ。水中で暴れたのね。そしたら他の釣り針も引っかかってって」
想像してみる。
温かい日差しが照らす平和な堤防。穏やかに釣りを楽しむ彼らの顔に激震が走る。
「なんだ、この魚は!」「でかい! でかいぞ!」「くっ、一体どんだけ餌を食ってやがる」
「こいつぁ俺たちへの挑戦だ!」「おい、みんなで支えあえ! 海に全員引き込まれるぞ!」
闘志を燃え滾らせる釣り人たち。
その敵は――海中でなぜか平泳ぎで頑張る姉(なんとなく飛び込んだのでTシャツに短パン姿)。
「シュールだ……」
「もちろん勝ったよ!」
多分、本当に全員海に引き込んだんだろうなぁ。で、怪魚現るとかなんとかで新聞に載ったと。
「トメもやる?」
「できねーよ人として」
――そんなとりとめのない会話をしばらくダラダラ続けていたのだけど……
「ね、トメ」
不意に姉が真剣な顔になった。
「最近さ、どう?」
「どうって、なにがさ」
「好きな娘とか、できた?」
マジメな顔したかと思えば……そんなことか。
「あのな……前から言ってるだろ? 僕は」
「カカちゃんが成長するまでそういうことは考えない、ってんなら何度も聞いたよ」
「……なんか、文句でもあんのか」
姉は小さく笑った。いつものふざけたヘラヘラ笑いじゃない。
「文句があるわけじゃないさ」
そう。まるで大人みたいに、笑った。
「ただ、ね。別にトメが一人でカカちゃんのことを背負い込むことはないんじゃないかと思って」
「……姉からそんな言葉が出るとはね」
「はは。まーフラフラしてたあたしが悪いのはわかってるよ。結果としてトメに押し付ける形になっちゃって、今更こんなこと言える立場じゃないのもわかってる」
「…………」
「でもね、今更でも、今は今じゃん? あたしはそこそこ落ち着いて仕事してる。収入もある」
たしかに。やりたいことが多すぎると言ってこの街を飛び出して――姉は戻ってきた。
姉はそれからずっと、この街にいる。どこで暮らしているかは知らないけれど。
「あたしがいるんだよ、トメ。あんただけじゃない。だから――」
カカのせいで無理をしなくてもいい。
自分を頼ってくれてもいいのだと。
姉はそう言った。
「母さんに、なんか言われたか?」
「べっつにー。背中は押されたけどね。もともとはあたしの中で考えてたことだよ」
「これは、僕が好きでやってることだよ」
姉は真っ直ぐ僕の目を見据えた。
「本当に? 無理してない?」
「それは」
「やりたいことが他にもあるんじゃないの? あんただって若いんだし、あるでしょ……人は普通の暮らしが一番って方針で今の生活してるけど、両親のおかげで実際うちには結構お金あるんだから。もうちょっと楽することも、やりたいこと目指すこともできるんだ――」
「あいつが好きなんだよ」
自分でも驚くほどすんなり出てきた言葉を聞いて、姉は口つぐんだ。
「カカは、さ。妹だ。僕の娘ってわけじゃない。育てていくと誓ったわけでもないよ。それでも――あいつと一緒に暮らしていくのが好きなんだ」
最初は仕方なくだった。
両親は仕事が忙しいし、姉は家を飛び出すし、僕が育てるしかないと思った。
だから仕方なく、頑張ってきた。
でも、いつの間にか気に入っていた。
二人での生活が。
「やりたいこととか、楽することとか、考えたこともある。でも僕は今の生活がいいんだ」
カカは子供だ。働きながら子供と一緒に生活するっていうのは、結構しんどい。
正直、少し無理もしてると思う。
でも、だからこそ――やりがいがあるってもんじゃないか。
「あいつの成長を見るのが僕の楽しみなんだよ」
「じじくさっ!!」
「やかましい」
「それ、本音?」
「弟の本音くらい見分けろよ。姉なら」
「けっ、口ばっか達者になっちゃってまー」
ケラケラ笑う姉は、僕の見間違いじゃないならば――とても嬉しそうに見えた。
そう思ってくれるなら、嬉しい。
家族に誇らしく思ってもらえたのなら、こんなに嬉しいことはない。
「そっかそっか。トメはカカちゃんが好きなんだね」
「何度も言わすな」
「でも好きなんだよね」
「うっさい」
「好きなんだよね? 大好きなんだよね?」
「そうだよ」
「あっちむいてホイ」
「ホイ?」
姉の指差した方を向いて、僕は固まった。
多分顔はピカソになってると思う。
「……聞いてたのか?」
「この無礼モノ!」
「照れてんのか?」
「この痴れモノ!」
スパァン! とご近所迷惑っぽい音を深夜に響かせて、カカはドタバタと騒がしい音をたてて去っていった。
「トイレにでも起きたんじゃないかな」
「姉……あんたな」
「まーまー、たまには本音を言わないと。でしょ? ほい、もう一杯」
「はいはい、付き合うよ」
まぁ、昼はカカの本音を盗み聞きしちゃったし。おあいこ、か。
ぐいっ、と冷えたビールをあおる。
目の前にはニヤニヤした姉。
ムカつく。
けど、うん。
悪く、なかった。
昨日はカカの本音でした。今回はトメの本音です。
いちおートメも大人。若造でも子供の世話してるので、それなりに考えているのですね。
自分の生活を気に入ることは、意外と難しいもんだと思います。でももし気に入ることができたなら、その日々をどうか大切に。
笠原家が家族週間なせいか、ちょっとしっとり風味の話が多い最近ですが、それだけユイナさんの存在が大きい、ということで納得していただけたら嬉しいです^^