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別働

 ナジアではないリューフィンが、どうやって幻夢世界に戻るというのだろう。……待てよ、その前に。

「なあ、リューフィン。どうやって現実世界に来たんだ」

「来る時はナジール能力を持つ幻妖と一緒だった。ガラって言うんだ。だが、俺たちのナジールは過激派に見つかり、捕捉された。アンドロイドの奴、俺たちのナジールに侵入してきやがったんだ」

「それで、ガラさんはどうなったの」

 リカが質問した。

「わからない。あいつはナジールの一部を分離して、その中に俺を閉じ込め、外に弾き飛ばしたんだ。無茶しやがって、あの女――」

「ガラってのは女なのか。ひとりでアンドロイドの相手をしたんだな。だがその様子、あまり心配しているようには見えないぜ」

 感じたとおりのことを言ってやると、リューフィンは俺を見てにやりと笑った。

「ああ、実は打ち合わせておいた行動のひとつなのさ。あいつは俺より強いからな。アンドロイドに負けるなんて万に一つもありえない。だが、その一万分の一の事態が起きて、俺たちふたりともナジア――つまりお前だ、ユーリ――に接触できなくなるのはまずい」

「薄々感じていたが、俺に接触するために現実世界に来たんだな、リューフィンは」

 俺の言葉に対し、リューフィンは実にあっさり「その通り」と返事をした。

 リューフィンによると、ナジール能力を持つ人間のうち何割かは《監視機構》内の調査機関により特定できているという。彼とガラの目的は、最初からこの俺だったのだ。

「《監視機構》は、俺たち幻妖が接触するにあたり取り乱したりせずに協力してくれそうな人物をリストアップしているのさ。ところが俺たちはアンドロイドに邪魔された。そこで、ガラは安全策を採った。分離したナジール、つまり俺の位置をお前に知らせた上で弾き飛ばしたんだ」

 その時まで、俺は耳鳴りなんて経験したことがなかった。突然大きな耳鳴りを感じた瞬間、俺は何かの病気にかかったのかと心配したものだ。

「感じたのが耳鳴りだけだったら、俺は病院に駆け込んでただろうな」

 何かがいる。行かなきゃ――理屈ではなく、そう感じた。その瞬間、俺は無自覚にナジールを展開し、弾き飛ばされたリューフィンを俺のナジールの中に取り込んだのだ。意識してやったことではない。後から考えれば、そういうことだったのだ。

「幻妖二体でチームを組み、いずれか一体がナジアと接触すればよし。それが《監視機構》の任務なのさ」

「ひでえな、それ」

「なに。俺たちの意志でもあるのさ。そして今頃、ガラはきっと新たな任務についていることだろうぜ」

 リューフィンの言い方は、心なしか自分に言い聞かせている風だった。

「きっと大丈夫よ、リューくん」

 突然、リカが明るい声を出した。

「おっ、おう」

 戸惑うリューフィンの様子に、俺は思わず苦笑した。判りやすいやつめ。こいつ、ガラって女に惚れていやがる。

「おし。じゃ、幻夢世界までは俺が連れて行けばいいんだな」

「いや、ユーリ。そいつはわしの仕事じゃ」

 俺の提案を、結城老人が遮った。驚いて振り返ると、結城老人がゆっくりと話し出した。

「現実世界と幻夢世界との間には“壁”がある。おそらくほとんどのナジアは、これを越えることができる。しかしその際、ある影響が出る」

「影響だと」

「さよう。壁を越える瞬間、ナジールの中の時間はほとんど経過しておらぬのに、現実世界では長いこと時間が経ってしまうのじゃ。……そうじゃな、一度“壁”を越える間に約一週間。リューフィンの治療に最低一週間かかるとして、また戻ってくるまでに一か月近くかかることじゃろう」

 俺の横にリカが並んだ。彼女は腕組みをして、結城老人を軽く睨み付けていた。

「そういえばおじいちゃん、あたしが小さい頃から長いこと家を留守にすることが多かったもんね。きっと“壁”を越えていたんでしょ。もう、なんで今までそれを教えてくれなかったのよ」

「すまんのう。できれば巻き込みたくないというのが息子――お前の両親の願いじゃったからな」

 軽く唇を噛むリカが気になったものの、まず俺は結城老人に質問をぶつけた。

「……おい爺さん、あんた何度も両世界を行き来してんのか」

「うむ。昔から幻妖たちとの協力体制の礎を築くために奔走しておった」

 道理で若く見えるはずだ。六十歳と言われてもまず疑わないような見た目だからな。

「何を考えておる、ユーリ。実年齢との差など、せいぜい数年程度じゃぞ」

 結城老人はノートと拳銃を俺に押し付けながら言った。

「では、行ってくる。今度戻ってくる時は、リューフィンの治療が完璧に終わっていることを期待しておるがよい」

「何を自信満々に言ってやがる。あてはあるのかよ。ってか、拳銃なんか渡されても使わねえぜ」

「あてなら少しはある。幻夢の住人にも知り合いがおるからな」

 結城老人はさらに押し付けてきた。

「持っておれ。わしらが戻るまでの間、お主の武器が拳だけでは心許ないじゃろうが」

 冗談じゃないぜ。

「爺さん。あの中国人、なぜあっさりと捕まったんだと思う。拳銃を撃つこともなく」

「…………」

 結城老人は沈黙した。どうやら、判った上で黙っているようだ。

「相棒を撃ち殺したくなかったのに決まっている。俺だって、拳銃持ってても撃てねえ。使わない武器なら持ってても邪魔だ。重いし。……大丈夫だ、爺さんがいなくても《監視機構》への定時連絡はきっちりと入れる。それに、あの幻妖の目的は中国人ただひとりで、俺たちのことなんてまるで眼中になかった。すぐにまた襲ってくるとは限らない」

 俺の目を見たまま、結城老人の沈黙が続く。いい加減焦れてきたところで、爺さんが目元を綻ばせた。

「ふ。お主ならそう言うと思ったよ。……いいじゃろう、拳銃はわしが持っておる。じゃがユーリ、これだけは言っておくぞ」

「おう」

 わがままを通す以上、こちらも言うことを聞かないとな。

「危険に際して、くれぐれも無理はするな。ナジアの数は決して多くないのじゃからな。それと、リカを守ろうとして身を挺するのも禁止じゃ」

「なにっ、孫を見捨てるのかよ。冗談言ってる場合か、じじい」

「いいえ、ユーリ。おじいちゃんは本気よ」

 リカが硬い声で言い、俺の腕を掴んだ。なるほど、冗談を言っている雰囲気じゃなさそうだ。

「あたし、足手纏いになりたくない」

「……そうか、親の仇。過激派どもに対抗できる可能性のある俺が生き残る方が優先だと言いたいんだな」

 リカがこっくりと頷く。

「だが、そんなの俺の知ったことか」

 わざと冷たく言い放つ。リカは表情をこわばらせ、掴んでいた腕を離した。

「過激派のターゲットになり得るのはナジアである俺の方だ。俺をさしおいてリカが狙われることはあるまい。何よりも、お前の両親はお前に仇討ちをしてほしいなんて望んでいないだろうぜ」

 俺はリカの返事を待たず、結城老人を睨み付けた。

「爺さん、あんたリカと仲良くしろって言ったよな。それってリカのこと守ってほしいからなんじゃないのか」

 そう言ってリカの肩を抱いてやると、リカは俺の服をきゅっと掴んできた。

「俺もリカを守りたいから守る。もっとも、武器も度胸もない俺じゃ、頼りにならないとは思うがな」

 結城老人は俺の目を覗き込むように見て、満面に笑みを湛えた。

「感謝するぞ、ユーリ。リカをよろしく頼む。ただ、くれぐれも無理はするな」

「ああ。せいぜい、危険を回避するための方策を考えられるだけ考えておくぜ」

 俺は結城老人からノートだけを受け取り、上目遣いにこちらを見上げてくるリカの頭の上に手を置いた。


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