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報告

 俺の耳元でリカが呟く。

「あ、もうおじいちゃんのナジールの中だ。本当に五秒かかんなかったね」

 リカが結城老人からの呼び掛けに応じてナジールに入る時は、いつも五分近くかかるとのことだった。今回、リカが一緒に行きたいと言うので連れて行くことにした。

 だが、俺たちが一緒にナジールに入るには条件があることがわかった。

「いらっしゃい。ほっほ。すっかり仲良くなっておるのう、しっかりと抱き合って」

 結城老人が眼を細め、嬉しそうに話しかけてきた。その途端、頬を真っ赤に染めたリカが俺を突き飛ばす。

「どわっ」

 尻餅をついた俺を見向きもせず、リカは結城老人に弁解した。

「ちちちち違うの! なんか、ユーリと一緒ならいつでもおじいちゃんのナジールに入れることがわかったんだけどね、そ、それにはその……」

 それ以上言葉をつぐことができず、リカは俯いてしまう。

「ある程度以上ユーリと身体を密着させることが条件だということじゃな」

「わかっていたのか、爺さん」

「ふむ、わかっておった。とは言え、わしが知っておる他のナジアのケースから類推しただけじゃが。お前さんたちはチーム、仲良くなって欲しいのじゃよ。もし仲良くなかったら、たとえ条件に気付いても抱き合うことをせず、その結果今夜もユーリがひとりで来ることになっておったじゃろう。それを試すためにも今夜は同伴で来るよう、これに言いつけておいたのじゃ」

 結城老人はリカの肩に手を置き、言葉を続けた。

「ちょうどこれも、今朝わしのナジールから出る前にもう一度リューフィンに会いたいと言っておったしの。ほっほ」

 言い終えると同時に、結城老人の肩から葉っぱが生えたかに見えた。それはすぐに細長い全身を現し、結城老人の肩に座った。

「爺さん。同伴って言葉、響きがエロいぞ。それにしても、本当に自分と同程度の質量の人間を連れて来られるとはな。それだけユーリのナジール能力が強いってことだ」

 なんだこのふたり。すっかり意気投合してやがる。

「同程度ってなによ。あたしユーリの半分くらいだもん」

 いや半分は言いすぎだろう、リカ。……まあいいや。

「教えてくれ。アンドロイドどもも爺さんも、ナジールの中から現実世界にいる俺を直接引きずり込んだよな。あれって俺にもできるのか」

「うむ。それはわしやアンドロイドどもの力というより、お前さんの力のなせるわざじゃ、ユーリ。平たくいえば、わしがナジールの存在をアピールすると、お前さんは耳鳴りという形で知覚することができ、正確にこの場所に飛び込むことができる」

 これではっきりとした。あの中国人がさらわれたとき、俺はナジールの存在を知覚していた。その気になれば追うこともできたはずなのに、俺はそうしなかった。完全に怖じ気づいていたのだ。

「なに深刻な顔してやがる、ユーリ。まずは腹拵えさせてくれよ。持ってきてるんだろ、リカの弁当」

 リューフィンの言葉に、リカが答えた。

「うん。いっぱい食べてねー。はいおじいちゃん。はいリューくん」

「リューくん!?」

「そ、リューくん」

 声を裏返して聞き返すリューフィンに、リカは満面の笑みで応じた。


 今日一日の出来事を報告し終えた俺は、図書館の裏で拾ったノートと拳銃を結城老人に手渡した。

「ふーむ。《監視機構》が未確認のワームホールが出現しておる可能性がある」

「ワームホール?」

 聞いたことのない単語だ。

「うむ。過激派の連中、何らかの方法で空間をねじ曲げ、その中国人エージェントが派遣された学校と名細亜学園との間を特殊な通路で繋いだ可能性がある。おそらく、ナジアだけが通ることのできる通路じゃろう」

 そうか。それであいつ、他校の制服を着ていたのか。

 だが今はそんなことよりも、拳銃の方が気になる。俺は結城老人に手渡した拳銃を指差して聞いた。結城老人に責任がある話ではあるまいが、つい詰問口調になってしまう。

「ところで、《監視機構》は未成年エージェントにこんなものまで支給するのかよ」

「場合による。そやつが未成年とも限らんしな。中国人も日本人同様、お主には若く見えるのじゃろう」

 納得がいかない。

「でもあいつは、こんな物騒なもんが要るという認識があったってことだろ。それに比べて、俺はなにも聞いてないぞ」

「いや、その中国人もお主と同様に事前情報などほとんど得ていないはずじゃ。普段から物騒な道具が必要な稼業に就いている可能性が高い」

 もしそうだとしても、あの見た目だ。実年齢とのギャップを考慮に入れても、二十二歳より上だとは思えない。どんな職業だとしても下っ端のはずだ。

「《監視機構》に所属する人間が、一般的な職業の者ばかりとは限らん。傭兵、諜報員、さらにはマフィア。もっとも、滅多なことでは現役マフィアに《監視機構》の仕事を依頼することはないがの。《監視機構》は各エージェントからの要請には最大限応じるが、さすがに日本の中学・高校への潜入調査という仕事で拳銃を支給することはあるまい」

 結城老人の推測が正しいなら、あいつの尋常でない調査能力にも納得がいく。夏休みの間に授業のある学校にいたのかどうかは知らないが、あいつはこの数週間でかなりのことを調べ上げたに違いないのだ。

 ――俺とは違いすぎる。

「“無能な人材なら頭数だけ揃えても足手纏いなだけだ”と言われたよ」

 自虐的に呟く俺の肩に、結城老人が手を置いた。リカの時と違って両肩だ。正面に立つ結城老人を見て初めて気付いたが、日本人にしては大柄で、俺よりもほんの少し背が高い。

「わしらの目的は戦うことじゃない。極力戦いを避けることだ。圧倒的な力量の相手に無謀に立ち向かうことを勇気とは言わぬ。幸い、こちらにはノートもある。過激派どもが何を狙っておるのか突き止め、戦う必要のない状態に持ち込むことができれば我々の勝ちじゃ」

「爺さん……。あんた、まともなことも言うんだな」

 茶化す俺に親しげな笑顔を向け、結城老人は声を立てて笑った。


 ノートのページを捲り始めた結城老人のそばを離れ、リカの隣でいまだに弁当をつついているリューフィンのところへと俺は歩いていった。

「お前、料理上手いな」

「ありがと、リューくん」

 リューフィンの奴、新しい呼ばれ方を受け入れている。すっかり飼い慣らされたペットみたいだ。

「ユーリめ、こんなうまいメシを独り占めしていやがったのか」

 そう呟くのと、俺がリューフィンの正面に到着するのが同時だった。

「ふざけんな。今朝までぐっすり寝ていたくせに」

「まあまあ、ユーリ先輩」

 リカが割り込む。学校じゃないんだから先輩はやめてくれ……。

「ところでユーリ。その化け物――中国人をさらっていった奴のこと、詳しく聞かせてくれ」

 詳しくと言われてもちらっと見ただけだ。あの中国人を掴み上げているのを見た次の瞬間にはナジールへと消えてしまったのだ。正直にそう告げたら、リューフィンは「そうか」とだけ言って黙り込んでしまった。

「リューくん?」

 リカの呼びかけにも反応しない。考え事をしているようだ。

「そっとしておこう、リカ。爺さんのところに行こうぜ」

 結城老人は難しい顔をしてページを捲っていた。集中している様子だ。

「何かわかったのか、爺さん」

「うーん。わしは中国語は読めん」

「なんだと。紛らわしいポーズ見せてんじゃねえ、くそじじい」

 結城老人は年齢の割には綺麗な白い歯を見せて笑う。

「じゃが、面白いぞ。何かのヒントになりそうな図が描かれたページもある。中国語はナジールを出てから調べれば訳せるからな」

「そうだ、リューフィンは。あいつ、もうナジールから出ても大丈夫なのか」

 無言で首を振る結城老人のかわりに、後ろから声がした。リューフィンだ。

「ユーリ、話がある」

 あれ、こいつってこんな真面目な声出せたっけ。

「お前が出くわした木の化け物。多分そいつ、幻妖だ」

「ふーん。随分でっかい奴もいるんだな」

「そうじゃねえ!」

 意外に強く否定してきたので、俺は振り返りリューフィンを正面に見据えた。

「……そうじゃねえ。推測だが、そいつは中国人エージェントの相棒で、多分俺と同じ種族だと思うんだ」

「なぜそう思うんだ」

「だから、推測さ。それを確かめるためにも、俺は一度幻夢世界に戻った方がよさそうだ」

「気に入らねえ。はっきり言いやがれ」

 リューフィンはひとつため息をつき、観念したように告げた。

「治療法を探しに行くのさ。ここにいたら、俺もきっとお前らに迷惑をかける」

「…………」

 何も言わない俺とリューフィンを見比べ、リカが遠慮がちに割り込んできた。

「迷惑って何のこと?」

「ユーリが見たっていう木の化け物な。それ、俺たち幻妖がウイルスで暴走した姿だと思う」


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