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初日

 ねえ、という甘い声に耳をくすぐられた。悪い気はしないのだが、回想を中断させられるのはあまり愉快な気分ではない。

「ユーリってひとりで日本に来たの?」

 休み時間が来るたび、俺の机の周りには人だかりができた。どちらかというと女子が多めだ。

 仕方がない。自己紹介でぼかした部分をもう少しだけ話しておくか。

 俺は《監視機構》が用意した設定に基づき、わざとたどたどしい日本語で説明した。要約すれば、俺の遠縁の親戚が日本人であり、その人の家で世話になっているという内容だ。

 俺の答えに満足すると、クラスメイトたちは矢継ぎ早に別の質問を浴びせてくる。質問内容は他愛のないものばかりだったが、あまり嘘を重ねればぼろが出る。俺はわざと日本語に詰まり、ゆっくりと答えることで時間稼ぎをして、質問数を減らす作戦を貫いた。

「ゴメン。まだ、長い日本語は苦手」

 幸い、相手の日本語をうまく聞き取れない演技は楽にできた。質問を聞き流して回想を続けていれば良いのだから。


* * * * * * * * * *


 結城老人のナジールの中で、俺は老人を信用すべきかどうか迷っていた。

 世界の乗っ取りを目論むほどの連中が相手にするには、俺は平凡な少年に過ぎない。ヌンチャクを操るアンドロイドはああ言ったが、連中にとって本当に脅威になり得ると自惚れるには、俺はいささか非力だ。せいぜい、連中の尖兵どもを食い止めるのが俺の役目だと思っている。

 加えて、幻夢世界の連中は数が少ないのだ。俺ごときに搦め手を使っている余裕があるとは考えにくい。

 しかし、リューフィンをここに置いていくということは、俺にとって人質をとられるのと同義だ。結城老人が敵であれば、の話だが。俺は深呼吸し、眼を細めた。

「俺に現実世界の人間を狩れってのか。あんたが敵でないという保証はあるのか、爺さん」

「おおっと。剣呑、剣呑」

 結城老人のおどけた言い方が癇に障る。

 睨み付ける俺の視線を正面から受け止めると、結城老人は表情を引き締めて静かに言った。

「残念ながら証拠はない。お主がここから出た後で確認してくれとしか言いようがない。ナジールを解くわけにいかない以上、わしは直接《監視機構》と連絡を取れないからのう。しかし、わしを疑ってお主がこの幻妖リューフィンを現実世界に連れ出せば、こやつは程なく死に至るじゃろう」

 そう言ってリューフィンに視線を落とす結城老人からは、敵意の欠片も感じられなかった。

「しかも、今回は場所が場所。それなりの年格好のエージェントでなければ潜入できん。《監視機構》としても十代のエージェントはそう多くない。お主同様、世界中からかき集めるしかなかったというわけじゃ」

 たしかに、爺さんの歳では用務員として学園に潜り込むにも無理がある。おや、今「世界中からかき集める」とか言わなかったか。

「ああ、言った。幻夢の過激派ども、どうやらこの日本に限られた戦力を集めておるようでな。どういうわけか、国内いくつかの中学や高校近辺で同時多発的にアンドロイドどもの目撃および交戦の報告が上がってきておる。そこで、《監視機構》日本支部としては世界中の支部に依頼したのじゃ。十代もしくは十代に見える、戦闘能力を備えたエージェントの派遣をな」

「ふーん」

 だが、戦闘能力と言われても俺には殴り合うしか能がない。相手が格闘技をかじっていて、しかもこちらは前回同様加速がきかないという状況に陥れば、俺がKOされる可能性の方が高い。

「聞いておるぞ、ユーリ。お主は拳打でアンドロイドを倒すほどのファイターだと。しかも、アンドロイドのパンチに耐えたと言うではないか」

「たまたまだろ。アンドロイドだって体調が悪い時があるんじゃねえの」

「ほ」

 感心したような、それでいて呆れたような響き。結城老人は、ただ一音にそれだけのニュアンスを含めてみせた。

「アンドロイドに体調などあるものか。……まあいいじゃろ。そんなことより、まずは調査じゃ」

「調査ねえ。……にしても、もう少し情報はないのかよ。ナジア化した生徒の人数とか性別とか、さ」

 結城老人は即座にかぶりを振った。

「勘弁してくれ。全校生徒を調べろってのか。九百人以上いるぞ」

「生徒にしか感染しないとは限らん。職員を入れたらほぼ千人じゃ。ただ、お主が飛行機に乗っておる間に少しは判明したことがある」

 少しは、の部分を強調する結城老人に、俺は「何だよ」と投げ遣りに先を促した。

「ここの他に過激派の目撃および交戦情報があった学校は五校。いずれもアンドロイドが現実世界に飛び込んできて、ウイルスをばらまいて消滅した」

 ……なんだそりゃ。わかっているのはそんなことかよ。突っ込みを入れようとした途端、続きをしゃべり出す。間が長いんだよ、爺さん。

「ウイルスは誰にでも感染するというわけではなさそうなのじゃ。どうやら今のところ、ウイルスナジアと断定されたのはいずれも内向的な性格の学生たち」

「で、感染者はどうなるんだ。そいつらは、俺のようなナジアを見分けることが出来て、突然性格が変わって襲ってくるとか言うんじゃないだろうな」

「うーん。わからん」

 俺はがっくりと肩を落とした。

「何もかも一から調査するしかないのじゃ。じゃが、ウイルスがばらまかれた地域を調査していた幻妖は、みなリューフィンのような症状に苦しんでおるという。過激派どもにはそれなりの目的と用意があると見なければならん」

 向こうが人手不足ならこちらも人手不足、か。俺しかいないのならしょうがねえな。

「……っしゃ!」

 左の掌に右の拳を打ち込んだ時、結城老人が言葉を続けた。

「それで、だ」

「まだ続きがあんのかよ」

 精一杯刺々しく返事したつもりだが、結城老人は全く頓着せずに告げた。

「お主は遠縁にあたる日本人の家で世話になっとるという設定じゃったな」

 結城老人の言葉に含まれる親しげな響きが気になる。

「な、なんだよ。それがどうかしたか」

「わしじゃよ」

「……は?」

「だから、その遠縁というのが、このわしという設定なのじゃ」

 考えてみれば当然か。《監視機構》がどれほどの組織かよく知らないし教えてももらえないが、俺の留学にあたり、受け入れ先を架空の人物にするよりも実在の人物にした方が楽なことは間違いない。

「だから何だよ。感謝でもしてほしいのか」

「逆じゃ。日本支部の仕事を押し付けているのはこちらじゃからな。リューフィンがこの様子ではいろいろ不便じゃろう。せめてお主にはアシスタントを付けようと思うてな」

 それはありがたい。正直、何から手をつけるべきか考えあぐねていたところだ。

「結城リカ。わしの孫娘じゃ。学年はお主と違ってまだ一年生じゃが、放課後などは極力お主のサポートをするよう言いつけてある」

「爺さん、孫娘を事件に巻き込むつもりかよ。で、そいつはナジアなのか。戦闘能力は」

「ふむ。……ない。普通の人間じゃ」

 殴る。

「ははは、待て待て。孫娘には、おもにお主の生活面のサポートを言いつけてある。掃除・洗濯・炊事など。お主は雑事を気にせず、存分に調査してくれればよい」

「雑事って、爺さん。それって孫――リカって娘を毎晩自宅まで送れってことじゃねえか」

「必要ない」

「は? いくら日本の治安がいいと言ってもここ最近は物騒なんだろ」

「問題ない。お主と同居するのじゃから」

「…………」

 じじいの思考回路はわからん。

「爺さんがよくても親御さんはどうなんだ。年頃の娘を――」

「おらぬよ。わしとふたり暮らしじゃからな。わしらは家族ぐるみで《監視機構》のスタッフじゃった。じゃが、息子夫婦は過激派どもに敗れ、いずれも帰らぬ人となってしまったのじゃ」

 淡々と話す結城老人からは、感情の色を読みとることができない。

「そうだったのか。そのことを、リカは」

「承知しておる。……ああ、それより」

 俺は腕組みをし、黙って結城老人の言葉を待った。

「それ相応の覚悟があるなら、孫に手を出しても構わんよ。もっとも、お主にも好みというものがあるじゃろうがな」

 どこまで本気なんだか。……知るか、くそじじい。


* * * * * * * * * *


「恋人とかって、いるの」

「こいびと? ラバー、ね。いたけど、別れた」

 えー、どうしてー、などと語尾を延ばして聞いてくる。放っといてくれ。

「こらこら君たち。初日から人のプライバシーに踏み込むものじゃないよ。ユーリが困っているじゃないか」

 俺を取り囲むクラスメイトのうち数少ない男子の中から変なのが出てきた。七三に分けた髪、黒縁で分厚いレンズの眼鏡。背が低く痩せているが、過剰なまでの自信をアピールするかのように胸を反らせている。さっき俺に質問した眼鏡くんだ。

「やあ、よろしくユーリ。学級委員の原田正康はらだまさやすだ。大した力になれないかも知れないが、困ったときはいつでも相談に来てくれたまえ」

 そう言って眼鏡を光らせた彼は、こちらの返答も待たずに歩き去る。

 あっけにとられて見送っていると、くすくす笑いながら女子のひとりが言った。

「いいのいいの、ユーリは気にしなくても。ああやって言いたいことを言えば満足して立ち去るのよ。彼、いつもあんな調子だから」

「……少し変わっているけれども、頼りになりそうな人デスネ」

「さあ。彼、勉強は出来るけど、それ以外は特に目立たないからよくわかんない」

 俺はその声を聞き流しながら、別の生徒が教室から出て行くのを目の端で追った。

 肩までの長さの髪、膝を隠すスカート丈の女子。これまでの休み時間、誰と言葉を交わすでもなく黙ってじっと座っていた。時折こちらをちらちらと盗み見ていたようなのだが、気のせいだろうか。

 ウイルスナジアは内向的な学生――要チェックだな。次の授業が終われば、少し時間の長い昼休みだ。なおもあれこれと話しかけてくる女の子たちの話を聞き流し、俺は次の授業後に取り巻き連中の包囲網を突破する算段を考え始めた。


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