任務
大沢先生の授業は淡々と進む。
きちんと勉強している連中もいるが、彼らでさえ大半は授業を聞かずに問題集を解いている。真面目に先生に顔を向け、話を聞いているのはほんの一握り。もっとも、数学の授業なのに教師が喋りっ放しというのもどうかとは思うが。
他ごとをしているヤツの中には、まだ一時間目だというのに早弁している強者もいる。
席が一番後ろだと、全部観察できて面白い。見えるのは後頭部ばかりで顔まではわからないのが難点だ。
男子の髪型はあまりバリエーションがないが、女子はストレートロングやショートボブ、ツインテールなど個性豊かだ。ただ、せっかくの綺麗な黒髪を明るい色に染めている子が何人かいる。日本には“勿体ない”という言葉があるが、それはこういう時に使うべき言葉だと思った。とは言え、俺みたいなハーフだったり、生まれつきもしくは何らかの原因で後天的に色素が薄い日本人だっているだろうから、髪の色については文句を言うまい。
――そんなことより。
俺は自然と表情が引き締まるのを自覚する。
この中にナジアがいる。このクラスにいるとは限らないが、学校のどこかに必ずいる。しかも複数だ。
クラスの連中をぼんやりと観察しながら、俺はふたたび結城老人の言葉を思い出した。彼はこう言ったのだ。
「今回はお主がナジア・ハンターとなるのじゃ、ユーリ」
* * * * * * * * * *
イギリスでは、アンドロイドどもと数回戦った。
異世界の連中は現実世界側にいるナジアの居場所を特定する方法を持っているらしい。しかし敵の数はごく少ないらしく、襲撃はまばらだった。毎回、連中のナジールに引き摺り込まれ、同時に否応なく戦闘開始となる。
襲撃者はいつも同じ出で立ち。ポニーテールと顔の右半分を隠す仮面。見えている方の顔面にはペイントが施されている。ジーンズを穿き、ケープを纏って武器を振り上げる。大鎌だったり、剣だったり、ヌンチャクだったり。武器だけは個性的だった。
そう、最後に戦った奴の得物はヌンチャクだった。
「どわあっ!」
仰け反った俺の鼻先を、重そうな鉄の塊がうなりを上げて通過した。
鎖の音が響いたかと思った瞬間には、アンドロイドは空振りに終わった鉄の塊を脇に挟んでいる。
「が……はっ」
ヌンチャクに気をとられていた俺の腹に、アンドロイドの蹴りが決まった。
そう気付いた瞬間には、俺は身体をくの字に折り曲げて床に倒れていた。
「いてえじゃねえか」
立ち上がった俺を見て、アンドロイドは眼を見開いた。
「貴様、本当に人間か。私の蹴りをまともに受けて立ち上がれるとは。生体反応を見る限り、貴様がアンドロイドである確率は六パーセント未満に過ぎないが……」
こいつ、何を言っていやがる。
「一緒にするな。お前の蹴りが弱かっただけじゃねえか」
俺の頭上に浮遊していたリューフィンが会話に割り込む。
「こらユーリ! 加速はどうした、加速はっ」
叫びつつも、リューフィンは充分な高度を保っていた。アンドロイドがヌンチャクを華麗に振り回しているので、近付けないのだ。
「加速が思い通りにできるなら、俺はいつもこんなに手間取ったりしないぜ」
アンドロイドの剥き出しの顔面が紅潮した。
「なめるな! くらえ」
どうやらリューフィンに答えた俺の言葉に激昂したようだ。ちゃんと感情があるってことは、アンドロイドって奴はロボットとは違うのだろう。
ヌンチャクによる初撃を避けたら蹴りが来る。
「ぐあっ」
予想外の衝撃。俺はきつく目を閉じた。瞼の裏で星が瞬く。
蹴りに対処すべく身構えた俺の顔面に、アンドロイドの裏拳がヒットしたのだ。
調子が悪い。ナジール内での戦闘中に全く加速状態にならないのは、この時が初めての経験だった。
口の中に鉄の味が広がる。くそ。赤色に染まった唾を吐き、俺はアンドロイドを睨み付けた。
当のアンドロイドは、自分の拳を不審そうに見つめている。
「歯の一本も折れんとは。出力九十二パーセント以上をキープしているというのに」
二発、三発と、奴の拳が俺の顔面を捉えた。ヌンチャクによる打撃も一発受けてしまった。
「やはり、貴様ほど戦える現実世界側のナジアは脅威だ。今のうちに潰しておかねば」
頭の中で、何かが切れる音が聞こえたような気がした。俺はサンドバッグじゃないぞ。
「上等だゴラァ」
左右の拳を連続で繰り出す。そこまでは意識して攻撃した。
その後は、何がどうなったのかよく覚えていない。
やがて、ナジールを静寂が支配する。
気付いたときには、アンドロイドは床に倒れていた。例の如く、口からオイルを吐き出して。
「す、すげえぞユーリ。俺抜きで、加速もせずに勝ちやがった……」
まるで実感の湧かないまま、俺はリューフィンが呟くのを聞き流した。
顔中が火照ってひりひりする。さすがに、パンチをもらい過ぎた。
* * * * * * * * * *
「幻夢の過激派どもは、この現実世界への移住を狙っておる」
へえ、そう。
「なんじゃ、反応薄いのう。まあよい。しかし、連中が侵略するには大きな壁がある。わしらは、互いに相手の世界では生きられんのじゃ。ちょうど、えら呼吸の魚が陸上では生きられないように」
その話はイギリスで《監視機構》のスタッフから聞いた。俺は無言で肩をすくめ、結城老人に先を促す。
「過激派の絶対数は、話にならんほど少ない。そのかわり、自律行動可能なアンドロイド製造技術をはじめ、我々現実世界の人類よりも進んだ科学力を誇る。しかしそんなアンドロイドたちでさえ、現実世界では行動不能となってしまう」
「例外として、両世界で行動可能な生物がいる。リューフィンたち“幻妖”だ。しかし幻妖たちは穏健派で、異世界への侵略を良しとせず、俺たちに協力してくれている――だから、そこまでは聞いているってば」
結城老人の膝の上で目を閉じたままのリューフィンを見ながら、俺が先回りして言ってやる。すると結城老人は口をへの字に曲げ、不満を表明した。
「敬老の精神というものがないのか。全く、若い奴はせっかちでいかん」
への字形をした口がすぐに笑みの形に切り替わる。
「ユーリのそういうところ、わしの若い頃そっくりじゃ」
「別に嬉しかねえよ」
俺は両手を横に広げた。どうにも扱いづらい爺さんだ。勘弁して欲しいぜ、全く。
「ここからが本題じゃ」
声のトーンが低く、真剣なものに変わる。いや、だから本題から話してくれればよかったんだけど。
「名細亜学園に、普通の人間をナジア化してしまうウィルスがばら撒かれた。ハンターのアンドロイドが一体、自分の身体を犠牲にして現実世界に飛び込んできたのじゃ」
「ナジア化? どういうことだ、爺さん。今まで連中は、俺のようなナジアを目の敵にしてたぞ」
結城老人はひとつうなずき、俺を正面に見据えて告げた。
「それはお主が現実世界属性のナジアだからだ。連中のウィルスに感染した者は幻夢世界属性のナジアとなる」
うあ。嫌な雲行きだぜ。
俺は今まで、“ナジア・ガード”の肩書きをもらいながらも現実世界側では俺以外のナジアと会ったことがない。ただ降りかかる火の粉を払っていただけだ。
日本に来た時点では、ガードとしての初仕事にテンションが上がっていたことは認める。だが、俺だって分をわきまえている。自分にできる仕事の範囲には限界がある。
「まさか……」
名細亜学園の生徒全員をガードしろってんじゃないだろうな。
「今回のお主の任務はガードではない」
俺の胸中での呟きを見透かしたかのように結城老人が告げる。
「今回はお主がナジア・ハンターとなるのじゃ、ユーリ」




