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秋晴

 夜空を染め上げる白銀の流星。地上に突き刺さり、赤い光を高々と突き上げる。ほんの一瞬、わずか一度きりの赤い噴水があたりを照らす。

 金のヒトデは、その内側に夜空を漂う俺と原田の身体を吸い込んだ。そのまま地面を目指して降下していき、静かに着陸した。着陸と同時に金のヒトデは消えてしまい、目を射る白銀の光が俺たちの視界を覆い尽くした。そのせいで互いの位置を見失ったが、気配でみんなが近くにいることはわかった。

 光に目が慣れてくると、校庭では新たな現象が起きていることに気づいた。

 ハンドボール大の虹色に輝く光球がひとつ、またひとつと夜空へ舞い上がっていく。それらはシャボン玉のように頼りなくふわふわと揺らめきつつ、しかし風の流れに逆らって校舎の屋上へと漂っていく。

 俺は光球の発生源を改めて見つめた。

 名細亜学園の校庭に突き刺さる白銀の槍。その槍が校庭に縫いつけているのは、冗談のような怪物。

 大木の身体を持ち、根の形をした脚と枝の形をした多数の腕を持つ、暴走状態にある幻妖の相似形――その身長は四十メートルに届くのではなかろうか。最上部には顔面と思しき部分があり、赤く爛々と輝いていた双眸は、今は光を喪っている。

 ハンドボール大の光球は巨大幻妖の身体からはがれるように生じては夜空へと舞い上がっていき、そのたびに巨大幻妖の身体が薄く、小さくなっていく。まるで日射しに晒されるアイスクリームのようだ。

 その様子を眺めていて、俺は唐突に気づいた。おそらく光球は、魔法陣を通じて吸い取られていた、ウィルスナジアたちの生命力なのだろう。魔法が効力を失ったため、本来の居場所へと戻っていくのに違いない。

 一方、巨大幻妖を脳天から真っ直ぐに校庭へと縫いつけている白銀の槍は、遮蔽物たる怪物が溶け崩れていくにつれて姿を現し、ますます輝きを強めていく。

 今や太陽と見紛う強烈な光芒は、真夜中の学園を晴天の正午さながら隅々まで照らす。

 直視するには眩しすぎる。槍に背を向けると、俺のすぐ後ろに結城老人が立っていた。

「さて。屋上へは若いのが二人向かったからな。わしが手を貸すまでもあるまいが、万一に備えて様子を見に行ってくるとしよう」

 俺はうなずいたが、万一の事態が起きるとは微塵も思っていない。目の前で溶けていく巨大幻妖からも屋上からも、恐怖と不安をかきたてる気配が完全に消えているのだ。

「まあ、何もないとは思うけどよ。気をつけてな、爺さん」

 軽く手をあげ歩き去る結城老人。見送り、視線を下げると複数の影が見える。いずれも立ってはいない。ふたつは座っており、みっつは横になっている。

 まず、もっとも近い影へと歩み寄った。横になっている。

「ユーリ。僕は本当に、きみに協力してほしかったんだ。たとえそれが叶わなくても、負けることはないと思っていた。それなのに……。おかしいだろ、負けてほっとしているんだ」

「原田。巨大魔法陣はお前の発案か。それとも誰かの入れ知恵なのか」

 答えようとした原田の胸が光り、ハンドボール大の光球が姿を現す。巨大幻妖からはがれて漂うものと同じ、虹色の光球だ。

「原田? おい、原田」

 いらえはない。光球が原田の身体を離れた瞬間、彼は気絶してしまった。


 ――その時、俺のすぐ頭上に新たな気配。

「っ……! リューフィンっ!」

「あいよ、相棒」

 相棒が緑の光を纏い、俺の右手に巻き付く。校舎の屋上に光の尾を曳き、白銀と虹色の世界に緑色の波を立てる。

「待ちたまえ、味方だ」

 軽く見上げる俺の視線の先に、幻妖が二体浮いている。小動物を入れるケージに似た容器の中に、原田の身体から抜け出た光球が閉じこめられていた。

「なるほど、殺気がないな」

「ああ、こいつら顔見知りだ。穏健派だよ、ユーリ」

 俺はリューフィンを巻き付けた右腕を下げた。リューフィンは俺の肩に移動し、通常の姿に戻る。穏健派の幻妖は挨拶を省略し、口々に話しかけてきた。

「加勢が間に合わず、申し訳なかった。ワクチンの量産に手間取ったのだ」

「佐々木幹部のところにも仲間を派遣し、ベルハ――ああ、こいつの本名だ」

 ケージを持つ幻妖は言いながら捕らえた光球を示す。

「こいつに協力したスパイどもの退路を断った。佐々木幹部はスパイどもに捕まる直前、色々と準備をしてくれていた。大した男だよ、彼は」

 原田――ベルハの光球を眺めながら、俺は幻妖たちに質問をした。

「その光球、どうするんだ」

「うむ。この光球、日本人の言葉を借りるなら“魂”とでも言うべき物でね。本来の容れ物に戻した上で、こちらで尋問する。我々の基準により、ベルハには相応の刑罰を与えることになる」

 まあ、そうなるだろうな。俺が口出しすべきことでもあるまい。ただ、ひとつだけ聞いておかなければ。

「本物の原田はどうするんだ」

「専門の治療スタッフを派遣する。原田くんの家族も、ベルハの仲間に身体を乗っ取られていてね。連中の“魂”はベルハの本体ともども確保済みだ。原田くん本人もご家族も、本物の“魂”は眠らされている状態だが、治療スタッフの技術により問題なく目覚めるだろう。ただ……。いや、これは言うことではないな」

「何だよ気になるなあ。言ってくれ」

「うむ。通常、身体を乗っ取るためには宿主と波長が合わなければならない。本物の原田くんも、心の奥底で“世界のリセットと掌握”という願望を抱いていた可能性が否定できないんだ」

「何だ、そんなことか」

 拍子抜けした俺に、幻妖たちは訝る視線を向けた。

「そんなもん、日本人に限らず、俺たちの年代の一部の連中なら夢想して当然だ。大したことじゃねえさ。問題は、ベルハの野郎がそれを実行に移したってことだろ」

「きみもそうなのか。世界のリセットと掌握に魅力を感じる……?」

「んなわけねえ。俺は今の世界が好きなんだ」

 イギリスの両親。顔も知らないフランスの両親。リューフィンとガラ。ショウキ。そして日本の大切な仲間たち。無くなっていいものなんてひとつもない。

「ふ、即答か。安心した。我々は再発防止に全力を傾注する。きみにもいずれまた助力を頼む時が来るかもしれん」

 納得の表情を見せる幻妖たちにうなずきつつ、俺はあわてて釘を刺した。

「ああ。《監視機構》がマトモならいつだって声かけてくれや。おいしいバイトならいくらでもやるぜ。ただ、俺がハルダインの力を使えたのはこの地域に巨大魔法陣が敷設されてたからなんだろ。んで、ハルダイン神の意志が、巨大魔法の発動を阻止する方向に働いた、と。つまり、俺がハルダインの戦士に選ばれたのは一時的なものに過ぎないんだから、この先もこの力をあてにしてもらっちゃ困るぜ」

「元幹部の結城さんからご報告をいただいている。きみたちはK・Tとの戦闘において、ハルダインの武器を使わずに勝利したそうじゃないか。戦力として、充分すぎるほど期待しているよ」

「わーってるじゃねえか、お前ら」

 鼻高々のリューフィンに、俺は思わず突っ込みを入れた。

「おいおい、威張る前に光弾のひとつも撃てるようにしておいたらどうだ。ガラにも言われてただろ」

「うっせー! K・Tの野郎はいけすかねえが、俺と奴はひとつだけ意見が一致してんだ。飛び道具は無粋だ。剣こそ最強! そこんとこよろしくだぜ、ユーリ」

「……いいコンビだ。これからもよろしくな」

 穏健派の幻妖たちはナジールへと消え去った。

「こら、リュー! ガラスシリンダーからウィルスナジアたちを出す作業は終わってないぞ。そっちの用が済んだならとっとと上がって来い」

 屋上からガラの大声が降ってきた。

「やれやれ。んじゃ、俺行くわ」

「がんばれよ、リューフィン」

 溜息をひとつつき、相棒は屋上へと飛び上がって行った。


 視線を落とし、次の影へと近づいた。荒い息を整えようともせず、ぐったりと横たわっている。

「無事か、カッキー」

「ああ、留学生。疲れたが……気持ちいいぜ」

 言いながら手をつき、カッキーは上体を起こした。

「あんたスッゲエな。あんな化け物相手にして、勝っちまうなんてよ」

「カッキーやみんなが力を貸してくれたからだろ」

「ショウキさんはこの後すぐに中国に帰るそうだけど、あんたは三月までこっちにいるんだろ? 俺を弟子にしてくれないか」

 人の話聞いてんのか、こいつ。いや、それより。

「何の弟子だよ。俺はショウキみたいな体術は苦手だし、ハルダインの戦士としての力なら、原田を止めたことで消えるはずだし。俺がカッキーに教えられるようなことなんて何もないぜ」

「……舎弟でいい。なんでもやる」

 なんかカッキーって、日本の古い少年漫画に脇役として登場しそうな奴だなあ。まさか、誰かの舎弟になるのが生き甲斐とか言わないだろうな。

「舎弟なんかいらねえ。いいじゃねえか、仲間で」

 鷹の視線はどこへやら、カッキーの目が大きく見開き、コーラスレイブの白銀の光を反射した瞳がきらきらと輝く。心なしか朱に染まる頬が……なんだかこれまで見てきたカッキーの印象にそぐわず、ちょっとだけ気味が悪い。

「な……仲間」

 適当にうなずき早々に立ち去る俺の背を、カッキーの「ありがとう、ユーリ!」という大声が追いかけてきた。低くて渋い声しか出せない奴だと思っていただけに意外だった。


 残りの三つの影は固まった場所にいた。

 横たわるリカの頭を膝に乗せているのがさつき。その隣に座り、さつきの肩を抱いているのがユウジだ。リカはぐっすりと眠っている。

「誠太と、愛美……だよな」

 コーラスレイブの光が照らすふたりの頬に涙の跡。

「ど、どうした――」

「さつきさんと、ユウジくんが……」

 続く言葉に驚き、俺はふたりの肩に抱きついた。

 曰く、今日の放課後に誠太と愛美の人格が表出した後もさつきとユウジの自我が眠ることはなく、ここまでの経緯を傍観者として眺めてきたのだそうだ。その上で出した結論を、誠太と愛美に伝えたのだという。

「お前ら最高だ」

 命の恩人たる誠太と愛美に対し、身体を共有することを提案したのだそうだ。

「でも」

 決然と顔を上げ、涙を拭った誠太と愛美は、コーラスレイブを真っ直ぐに見つめる。

「残念だけど、ひとつの身体にふたつの魂が、いつまでも共存することはできない。だから今夜この時点で、ふたりの身体をふたりに返す」

 一際強い光を放つコーラスレイブ。その光を受けた誠太と愛美が――。

 リカを囲み、座っているのはさつきとユウジではなくなっていた。

 太い眉と通った鼻筋。多少ごつごつとして男臭い顔立ちながらも、意志の強い顔立ち。ユウジは、おそらく誠太の姿となっている。

 長く艶やかな黒髪と大きな瞳。共通点の多さから、間違いなくリカの母親と知れる顔立ちは、明らかに愛美のものだろう。

「ん……」

 リカが半身を起こし、目をこする。俺に気づいて微笑んだので、精一杯の笑顔を返してやった。

「振り向いてみな、リカ」

「え……。夢……?」

 嗚咽と歓喜の叫びを背に、俺はコーラスレイブへと歩いていった。


 ひとつの身体をふたつの魂がずっと共有することはできない。それを知る誠太と愛美の決断に対し、ハルダイン神が一夜かぎりの奇蹟を叶えてくれたのだ。

「ありがとう。俺からも礼を言うぜ」

 ハルダイン神の声が聞こえた気がした。

「今後もあんたの力、貸してくれるってのか」

 ただ、巨大魔法陣の影響下にないところでハルダインの力を呼び出すにはガラから教わった手順が必要となる。

「ありがたいが、実戦ではあんまり使えねえな。それに」

 俺にはリューフィンという相棒がいる。ふたり揃えば最強だぜ。

 やがて、コーラスレイブの光が弱まっていった。暗闇に戻ると同時に、幸せな奇蹟も終わりを告げるのだろう。


* * * * * * * * * *


「イギリスに帰っちゃうの、ユーリ」

 俺の胸にしがみついたまま顔を上げようともせずに言うリカを見下ろし、バッグを置いた俺は結城老人に視線を向けた。

「爺さん、ちゃんと伝えておいてくれなかったのか」

「ほっほ。お主の口から直接言いなさい」

 瞳を潤ませてこちらを見上げるリカを見下ろし、俺はゆっくりと告げた。

「よく聞いてくれ。任務と一時的な帰省で、俺はイギリスに二週間滞在する。久しぶりに妹にも会いたいからね。そしてまたここに戻る。実は俺、正式に日本支部所属となったのさ。それで、こっちの大学を受けることになった。母さんはまだ納得してないが、今回もポール――父さんが味方だ、何も問題ない」

 俺の胸の中で笑顔の花が咲く。……かわいい。いや、見とれてる場合じゃない。

「妹さんいるの。会いたいな。どんな名前」

「……フィリス、もうすぐ十二歳だ。髪は俺と同じ栗色で、リカより少し短いくらい。瞳は明るめのブラウン。近いうちにみんなで会える日が来るといいな」

 唇を指差し促す爺さんが視界に入る。

 ――エロ爺いめ。

 追い払うように手を振ることで応じた。

「んっ」

 リカは一瞬驚いて目を見開いたが、すぐに閉じる。

 お互いの手に背を回し、ゆっくりと身体を離す。

「リカ」

「なに」

「爺さんのこと、忘れてるだろ」

 途端に耳まで真っ赤に染めるリカに歯を見せて笑い、俺は鞄を拾い上げた。

 例によって手形がつくほど背中を叩かれたが、この痛みもまた心地良い。……いや、俺は断じてMではないが。

「空港まで送っていくぞ、ユーリ。きちんとした見送りは空港でやりなさい、リカ。さっきの続きも、な」

「あれ以上の続きなんてないわよっ! ……もうっ」

 もうじき九月も終わりだが、この時期の日本はまだまだ暑い。

 玄関を出て見上げた空は雲ひとつなく、抜けるような青空だった。見上げているだけで、俺の心をどこまでも解放する。

 第二の故郷。俺は、日本の空が好きになった。


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