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怪物

「まさか、君自身が武器となり、ここまで飛んでくるとはね。正直、計算外だったよ」

 工事用の常夜灯と月明かり以外には光源のない屋上だが、そう言って薄く笑う原田の笑顔にはくっきりと陰影が浮かび上がっている。

 一方、喉元に剣を突きつけられているというのに、リカは呆けたような無表情だ。結城老人が刺されたという現実を、受け入れたくないのかも知れない。

「ハルダイン攻性魔法陣を利用することを計画した段階から覚悟してはいたが、ハルダインの戦士を敵に回すのは心臓に悪い。今ここでリカくんをこの手にかけても良いが、そうすれば君たちは実力以上の能力を発揮して僕を追いつめることだろう。実のところ僕はまだ迷っている。それほどに、ユーリの存在は貴重なのだ。だが、君たちのことだ。いずれにせよ、午前零時を迎える直前までに何らかの――僕に敵対するためのアクションを起こすに違いない」

「…………っ」

 原田の話が終わる前に、俺の背後から女子高生エージェントが組み付いてきた。全く動けない。俺より細い体格にもかかわらず、恐るべき膂力の持ち主だ。

 原田は俺を見下ろし、命令してきた。

「僕としてはリカくんという切り札を必要以上にあてにするつもりはないが、最大限の利用はさせてもらわなければ。……幻妖を右手からはずしたまえ、ユーリ」

 俺が動くよりも先に、自らの意志で俺の右手から離れたリューフィンは、いつもの姿となって屋上に降り立った。

 そのリューフィンに、幻妖の枝が巻き付いた。

 ガラの方を見ると、彼女も別の幻妖に組み付かれている。

「ふむ、十一時を回ったところか。こうして眺めると優位に立てたような気がするが、全然安心できないなあ。いっそ、いますぐ魔法陣を起動してしまうか。ウィルスナジアたちの力が思いのほか安定しているからな、最短で五分もあれば起動できそうだ」

「なにを……っ」

 もがいてみたが、さらに強い力で気道ごと締め上げられ、俺は呼吸さえ覚束なくなった。

 まずい。こめかみのあたりで血管が脈打ち、視界が狭まってきた。

 冗談じゃない、このまま締め落とされてたまるか。今の俺は、ハルダインの戦士なんだ。

「おおおぉっ」

 白銀の光が俺を包む。

 拘束が緩む。そう実感するのと同時に、女子高生エージェントが弾け飛んだ。

 次の瞬間、俺は原田の目の前に立っていた。高さ三メートル近い出入り口の屋根まで、無自覚のままごく一瞬で飛び上がったのだ。

「止まれ」

 リカを盾にしてこちらに剣先を向ける原田に対し、俺は半歩退いて身構え、両腕を真上に持ち上げた。俺の全身を包んでいたコーラスレイブの光が消える。

「降参かい、ハルダインの戦士。さっきも言ったが、僕は迷っている。だから、最後のチャンスをあげるよ。どれだけ自覚しているか知らないが、君の力は稀有なものだ。僕と協力すれば世界の全てが手に入るほどの。是非協力し、愚民どもが間違いを犯さぬよう、僕たちの手でコントロールしようじゃないか」

 原田の笑顔を不気味な赤い光が彩る。出入り口の上に飛び乗ったことでようやく気づいたのだが、赤色の光源は屋上に点在している。屋上を見渡すと、五メートル前後の間隔を置いて六箇所にガラス製の円筒と思しきオブジェが配置されている。六つとも同じ大きさで、直径三メートル、高さ二メートルの円筒だ。それらの天井部分が淡い赤色に発光しており、それぞれに五人ずつの生徒が男女様々な組み合わせで閉じこめられているのが視認できた。閉じこめられた生徒の中に田嶋真由美が混じっているかどうかまでは見分けがつかないが、彼らがウィルスナジアであろうことは最早疑う余地がない。

「君が間違いなく僕に協力を約束するまでの間、ウィルスナジアどもを起動キーとして準備を進めさせてもらうよ」

 円筒天井の赤い光がいよいよ強まり、各々の円筒を繋ぐ線状の光が出現すると、瞬く間に赤い光の五芒星を形成した。

 見上げると、さきほど夜空を薄暮の如くに染め上げた複雑な紋様も再び上空に出現していた。目を懲らすと、複雑な紋様を仕切るかのように他より濃く光る赤色の筋が幾筋か伸びており、それらが巨大な五芒星を形成していることが見て取れる。

「ワームホールで繋がれたそれぞれの学校の位置まで、必要なエネルギーを飛ばしているのさ。屋上の魔法陣はそのための起動キーなのだよ」

 大地が鳴動し、校舎が揺れる。

 揺れる校舎が立てる軋み音に、合唱を思わせる男女の声が混じる。

 ウィルスナジアたちの呻き声だ。彼らの生命エネルギーが、魔法陣の起動キーとして使われているのだ。

「あと三分。君が協力すると言わない限り、起動準備は止めないよ。三分以内に止めないと、巨大魔法陣の内側は現実世界側の人間が生きていられる環境ではなくなる。もちろん、君の仲間も、君自身もだ。……僕には君たちの身体を幻夢環境に適応させる用意があるが、三分では少し時間が足りないな」

 穏やかな口調だが、内容は明確な脅迫だ。俺は沈黙を答えに代え、原田を睨み付けた。

「この約一か月、僕は君を観察してきた。まあ、九割がた協力が得られるとは思っていないよ。それでも、君の性格もハルダインの戦士としての能力も、失うには惜しいと思っているんだ。残り一割にかける僕の気持ち、是非受け止めてもらいたいものだな。残り二分」

 差し上げたままの俺の拳と拳を、白銀の光が繋ぐ。

「ユーリ? 何を考えている。その槍でウィルスナジアを攻撃するのか。あのガラスケース、防弾仕様だからね。とても頑丈だよ。ハルダインの武器なら、何度も攻撃すればあるいは割れるかも知れないな。しかし、時間が足りるかな? それに、中の生徒たちだって無事では済むまいよ」

 白銀の光は輝きを強め、実物の重みを伴って明確な形を現し始める。やがて、俺の両手の上に長大な光の槍が顕現した。

「…………」

 睨み合いの均衡。

 俺はゆっくりと左手を前に出し、右手を後ろに引いて槍の先端を原田に向ける。

「正気かね、ユーリ。リカくんごと僕を攻撃するのか。あと一分だ」

 原田は相変わらず冷静な口調だが、例の笑みは消えている。

 大地の鳴動は激しさを増し、地震さながらの揺れが校舎を襲う。

「よかろう。やってみたまえ。震度三ほどの揺れの中、君の手元が狂わないことを願うよ。ああそうそう、仮にリカくんごと僕を斃せたとして、はたして魔法陣が止まるかな」

「ユーリ、このバカ! 俺を呼べっ」

 リューフィンの声は俺の耳に届いている。だが、あえて黙殺した。

「聖槍コーラスレイブ。破邪顕正」

 投げつけた槍は、リカの身体ごと原田を貫く。

 白銀の光が赤い光を駆逐する。

「ぐう……わああっ」

 大地の鳴動が止まり、上空の紋様が消えた。

 屋上の魔法陣から赤い光が消失する。

 どさりと音を立て、原田が倒れた。

 リカは立っている。全く外傷がない。

 当然だ。コーラスレイブは破邪の槍なのだから。

「しっかりしろ、リカ。爺さんなら無事だ」

 確かめたわけではない。だが、原田が言っていたことが本当なら。結城老人が元ハルダインの戦士だったのなら。

「多少のことでくたばるわけがないさ」

 リカを抱き寄せ、飛び降りる。一息に結城老人の側へ。

 リューフィンとガラには構うつもりはなかった。案の定、敵対していた幻妖たちは気絶している。

「うぬ。ぬかったわい。トシだな、わしも」

 ほらやっぱり。

 結城老人は笑顔を浮かべ、俺の手を借りるまでもなく自ら身体を起こす。

 左肩から右腰まで袈裟斬りに斬られていて作務衣も裂けているが、驚くほど出血が少ない。原田の刀からはあれほど滴っていたというのに。

「ここのところ使ったことがなかったが、わしの治癒能力もまだ枯れたわけではなかったようじゃ。トシ食って新陳代謝がほとんどないから、その分治りが遅いがの。ほっほ」

 無言のまま、リカは結城老人に飛びついた。

「さて、この頑丈なガラス容器からどうやって子供たちを出すか、じゃが……」

 リカの頭に手を置いて呟く結城老人は、ふと顔を上げると目を細めた。

 結城老人の視線を追うと、赤い光が俺の目を射た。

 中空に、直立した姿勢で原田の身体が浮いている。その身体が真っ赤な光に包まれているのだ。朱色の陰影に縁取られた原田の口元が、例のV字型の笑みを浮かべている。

「K・Tなみにしぶとい野郎だ」

「オペレーション・セカンド」

 原田の言葉と同時に、消えたはずの赤い魔法陣が再び活性化する。

 まずい。このままウィルスナジアたちの生命力を消費されたら、彼らは――

「そうだね。嫌なタイミングで止められてしまった。最初に考えていた魔法の発動はもう難しいだろう。彼らに残された生命力で魔法を発動するなら、やはりこれかな」

 大地が鳴動し、上空からは稲妻さながらに赤い光が降り注ぐ。

 赤い稲妻は校庭の中央に収束し、土塊を巻き上げた。響き渡る轟音に思わず耳を塞ぐと、土煙のカーテンをかき分けて禍々しいシルエットが浮かび上がる。

「おいおい、何の冗談だよこいつは」

 リューフィンが吐き捨てるように言う。

 俺は内心で同意した。冗談でなければガキの見る悪夢だぜ。

 校庭の中央に仁王立ちする禍々しい影。しかしそいつは、校舎の屋上に立つ俺たちを見下ろしているのだ。

 重い一歩を踏み出した怪物は、戦闘機による爆撃もかくやという爆音を轟かせて足と思しきものを校庭に叩きつけた。

 土煙のカーテンが薄れていく。

「くそったれ。悪い冗談にも……ほどがあるぜ」

 そこに立っていたのは大木――暴走した幻妖の姿。その数十倍に及ぶ相似形の怪物だった。


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