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牢獄

 視界がぶれる。

 ひやりとした。撃たれた――そう思い、目を閉じる。

 だが、痛みを感じない。

 耳朶を打つ耳鳴りは、銃声の余韻か……。いや、それだけではない。

 冷静になって目を開け、ようやく気づいた。周囲がグレーのドーム状の空間だ。

「ナジール……!」

 正面の人影がふたつに増えている。ひとつはショウキ。もうひとつはここの男子生徒の制服を着ていて、こちらに背を向けている。中肉中背といったところか。しかし、どこかで見たような。

「目を覚ませよ、ショウキ。あの野郎が本気で副官を置くわけない。お前だってそのくらいわかってるだろう」

「うるさい! こうしないとアカストが……」

 銃口は天を向いていた。男子生徒がショウキの手首を掴み、真上に持ち上げているのだ。そして抵抗するショウキをあっさりといなし、掴んだ手首を勢いよく振り下ろすと自らの膝に打ち付けた。

 ショウキの手から銃が落ちる。足下に転がるそれを、男子生徒は遠くへ蹴り飛ばした。

「銃声、薬莢、弾丸に弾痕。学校で撃ってたらもみ消すの大変だったぜ」

「このあたり一帯の住民は今夜十二時までの運命だ。今さら気にする必要がどこにある」

 男子生徒に羽交い締めにされ、大人しくなったショウキが毒づく。

「あのさあ、ショウキ。お前それ望んでいないだろ。それにその行為、アカストが喜ぶとでも? 大体ユーリを殺すって発想自体、あの野郎の意向にも背いているわけだろ。自分で自分が何してんのかわかって……ぐふっ」

 男子生徒に――いや、それを眺めていた俺にも――油断が生じていたようだ。羽交い締めを振り払ったショウキの蹴りが男子生徒の腹に炸裂した。

 よろめいて数歩退く男子生徒の横顔を見て、俺は思わず叫んだ。

「バイト君!」

 その横顔はまさしく、エアコンの修理を装い俺にリモコンを与えてくれた《監視機構》の協力者に間違いない。

「沢沼先輩!?」

 ――この声!

 さつきの声か。俺は耳を疑った。

 声のする方を振り向き、居並ぶ面々を見て絶句した。

 そこにはさつきと、半ナジアである柿崎の他、ユウジの姿までがあったのだ。

 呆ける俺に、バイト君――沢沼先輩とやらが鋭く声をかけてくる。

「無自覚な半ナジアってのは結構いるんだよ、ユーリ。それよりショウキの奴、一見冷静に見えるが明らかに変だ。ふたりがかりで取り押さえるぞ。……ったく。俺は肉体労働向きじゃないってのに」

 しかし、原田とショウキに裏切られた気分を引き摺っていた俺の足は棒のように硬直し、そう簡単に踏み出すには至らない。

 この状況で、新たに誰かを信用して良いものかどうか。

 俺の葛藤に気づいたのか、軽く舌打ちした沢沼先輩がショウキに向き直った刹那――

 破裂音が連続で轟く。肝が冷える。

 これは銃声だ。しかもふたつ。

 硝煙の臭いがあたりに漂う。

「よせっ」

 沢沼先輩が叫ぶのと、ショウキが倒れるのが同時だった。

 柿崎が両手で拳銃を構え、仁王立ちしている。どうやら、さっき沢沼先輩が蹴り飛ばした銃をいつの間にか拾っていたようだ。腕をだらりと下げ、肩で息をする。その場に銃を取り落とした。

「ショウキさん、信じてたのに……。俺の師匠が、敵だと思っていた原田の操り人形だったなんて!」

 絞り出すように言うと、柿崎はその場に両膝をついた。

「よく……やった、柿崎。これで……いいんだ」

 右腕と左脚を朱に染め、額に玉の汗を浮かべたショウキはそう呟いた。

 わけがわからない。俺はショウキに詰め寄った。

「何がどういいんだ。おい、説明しろ」

 荒い息を吐きながら、ショウキは説明を始めた。

 ショウキによると、幻妖――アカストに連れ去られた後、ショウキは原田による催眠暗示を受け、対外的には行方不明となった状態で名細亜学園周辺に潜んでいたという。しかし、中国支部における訓練において精神攻撃に対する防衛法も会得したというショウキは、暗示にかかったふりをして原田を追いつめる機会をうかがっていた。

 そして、俺や原田と同じクラスの柿崎を弟子にして、原田への逆襲に備えて訓練をしていたとのことだ。

「残念ながら、君たちと同じクラスの生徒を上手いこと弟子にできたのは、偶然なんかじゃなかった。原田は催眠暗示が不完全なことも折り込み済み。結局僕は、奴の手の上で踊らされていただけなんだ」

 ショウキが口惜しそうに呻く。

「しかも、二、三日に一度原田と接触するたびに、暗示の効果を強められていた」

 気づいてはいたが、原田と接触しないわけにはいかない。ショウキは必死に精神防衛を続けていたが、原田の方が一枚上手だったらしい。

「柿崎が撃ってくれなきゃ、僕は混乱状態から醒めることはなかっただろう。そのまま裏切り者として、当然原田からも切り捨てられて終わりだったはずだ」

「ああああ。ショウキさんすみません」

 声を上げて泣き崩れる柿崎に、ショウキはただ一言「謝るなよ」と呟いた。


* * * * * * * * * *


「卒業検定!?」

 ショウキへの応急手当を手際よく施すバイト君――沢沼先輩の言葉を鸚鵡返しに口にしたが、俺のその声はみっともなく裏返ってしまった。

 すでに、沢沼先輩による応急処置は終わっている。処置といっても道具がないので、ショウキのシャツを引き裂き、右肩に近い場所と左股に近い場所をきつく縛って止血しただけだ。

「ああ。原田モドキの真の目的は《監視機構》への警告なんかじゃない。幻夢側の過激派へのデモンストレーションだ」

 つまり、原田モドキは幻夢側過激派の若きエリート候補であり、今回の作戦を成功させることにより幹部の椅子を狙っている――というのが沢沼先輩による推論だった。

「こう言っては何だが、《監視機構》全体にとって、日本支部など重要拠点ではない。潰れたところで痛くはないんだ。だが、他の拠点を攻撃した場合、《監視機構》上層部は全力で幻夢側へ攻め込む決定を下すだろう。だが、実のところそれはお互いに避けたい事態だ。両世界の穏健派同士による交流がもたらす恩恵の一端を、過激派の連中も享受しているのだからな」

「嫌らしい話だな。つまり原田モドキは、壊滅させても全面戦争にならない場所をターゲットに選んだってわけか。全面戦争に移るのは、お互いに相手のおいしいところを吸い尽くしてから、と」

「原田モドキはここで何らかの行動を起こすという情報を、あらかじめ《監視機構》のいくつかの支部にリークしていた。もしくは――」

 俺と沢沼先輩の会話に、ショウキが割って入った。

「現実世界のどこをターゲットにすべきか、《監視機構》側から原田モドキに対して指示があった」

「なっ」

 気色ばむ俺を手で制し、沢沼先輩はショウキを見下ろすと穏やかに聞いた。

「そいつは初耳だな、ショウキ。説明してくれないか」

「《監視機構》内には派閥がある。ひとつは、幻夢側穏健派と手を組み、これまでの棲み分けを重視した上で部分的な共存を目指す派閥。日本支部の幹部では、佐々木さんがそれにあたる」

 言葉を挟もうとした俺を、沢沼先輩が制した。続きを聞こう、と言うので大人しくショウキの言葉を待った。

「もうひとつが問題だ。表向きは佐々木さんに賛同する立場を表明しておきながら、裏では幻夢側過激派と手を組む派閥。まるで、どこかの新興宗教のような選民思想にとりつかれた連中さ。日本支部には後者が多かったってことだな。佐々木さんは嵌められたんだ」

 さつきとユウジと柿崎は俺たちとは離れたところにいた。大まかな経緯を柿崎が説明していたようだ。

 一通りの説明が終わったようで、ナジール内はいったん静まりかえった。

「?」

 ふと気づくと、全員の視線が俺に集まっている。

「で、この後の行動なんだがね」

 口火を切ったのは沢沼先輩だ。

「ユーリとしてはどうしたいのかね」

 考えるまでもない。

「俺は贅沢なんだ。助けるさ、リカも、この街の人々もな」

 この場に居合わす全員がうなずいた。

「そして原田を、ぶっとばす!」

 沢沼先輩は立ち上がると、俺の肩に手を置いた。

「よく言った。全面的に協力する。いや、したいところだが」

「なんだよ、奥歯に物が挟まったような言い方しやがって」

 沢沼先輩は俺に背を向けるとこめかみに手を当て、天を仰いだ。

「どうやら俺たち、ナジールごと閉じこめられてるみたいだよ」

 ……やられた。くそ、原田の野郎め。


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