内圧
俺は登校することに決め、いつものようにさつきとユウジがいる教室へと入った。
すると程なくあの田嶋真由美が入室してきて驚いたが、前後して登校してきた数人の女子が田嶋を取り囲んで話し掛けたのであまり様子をうかがうことができなかった。ただ、田嶋はどこか呆けた感じながらものろのろと、取り囲む女子たちと二言三言会話を交わしていたようだ。
一方、いつものように背筋を伸ばして教室に入ってきた原田は、田嶋を見て小さくうなずいてから自席へと向かう。前から思っていたが、原田というのは高校生らしからぬおっさんじみた仕草が似合う奴だ。
ほとんどの席が埋まる頃、柿崎がやってきた。彼は田嶋にも俺にも興味ないかのように、例の鷹の視線で原田のことを睨み付けていた。その視線には、殺気が込められている。
思えば俺が柿崎に例の視線で睨まれたのは登校初日が最初だが、その時には殺気が感じられなかった。
その後、田嶋邸を訪ねた際にも柿崎に睨まれているが、その時は殺気を放っていたはずだ……、確認したわけではないが。そして今。
――奴が殺気を放つ時、その視線の先には常に原田がいたのでは。
柿崎がなぜ原田を。劣等生による優等生への単なる逆恨みか。それにしては視線に込められた殺気が強すぎる。
マークすべきは田嶋か柿崎か、あるいはそのどちらでもないのか。いずれにせよ、今夜の“イベント”を控え、屋上が開放されるのかされないのか、されないのであれば鍵を入手する方法など、多少の非合法な手段を顧みず手を打っておく必要がある。
そんなことを考えていると、担任の大沢先生が教室に入ってきた。相変わらずの希薄な存在感だが、生徒たちは一応静まりかえり、朝のHRが始まる。
「えー、本日放課後、屋上の改修工事が行われます。正午ごろから業者さんが入りますが、終業までは大きな音はたてないように作業するとのことです。正午以降、南舎東端の階段が一階以外閉鎖されますが、業者さんの邪魔になるので皆さんは近づかないように」
そうきたか。ひとまず、鍵を盗んでおく必要はなさそうだ。終業時間まで休息することに決めたリューフィンがどこまで回復するか気がかりだが、間に合わなければガラと組むまでのこと。あれだけの特訓を受けたのだ、彼女とだって息が合わないわけがない。
K・Tによる予告の真偽については念頭になかった。
目を開けている時はそうでもないが、閉じた途端に瞼の裏にハルダイン攻性魔法陣が浮かび上がる。登校してからずっとだ。ちりちりと全身を焦がすようなプレッシャーに苛まれ続けている。
昼休みになった。いつものようにさつきとユウジを伴い、食堂へと移動した。先に四人分の席をとっていたリカは、俺の顔を見るなり前置き抜きで話し掛けてくる。
「今日ね、井貝くんが登校してきたの」
井貝――井貝泰造。一年四組、リカのクラスメイトにしてウイルスナジアリストに名を連ねる生徒だ。
「どんな様子だった」
「黙々と自分のことだけやってる。欠席前と変わらない……かな。もともとあんまり他の子と話さないタイプだし」
ユウジが俺の肘をつつき、視線で食堂の隅の方を示す。見ると、そこには二人掛けのテーブルにひとりで座っている男子生徒の姿があった。
「?」
視線で問うと、ユウジは小声で教えてくれた。
「二年一組の森田だ。あいつも今日は出席してる」
森田浩二。彼もリストに名を連ねる生徒のひとりだ。弁当ではなく学食のカレーを黙々と口に運んでいる。
「話しかけないの」
さつきが聞いてきたが、今はウイルスナジア“容疑者”に興味はない。俺は曖昧に答えた。
「また今度にするよ。ほら彼、イギリス人の俺でも感じるほど近寄りがたい空気を纏っているし」
早めに食事を終えた俺は、南舎東端の階段へと様子を見に行った。校舎外側から一階階段へと続く下駄箱は外側からしか出入りできないように虎柵が設置されている。手書きで“一般生徒立ち入り禁止”と殴り書きされた貼り紙と共に。
校舎外側に設置された虎柵は駐車場まで続き、大きく解放された駐車場には建設会社のトラックが駐まっている。思わず感想が口をついて出た。
「おいおい、カムフラージュにしてもお粗末すぎんだろ」
駐車場にはトラックの他にも同じ建設会社の社名がペイントされたワゴン車も駐まってはいたが、トラックの荷台には土砂だの折れ曲がった標識だのが積まれていた。校庭の工事ではあるまいし、一体屋上の何を改修するというのか。仮にどこかの工事と掛け持ちだとしても、わざわざ学校に土砂や標識を持ってくる意味など考えられない。
* * * * * * * * * *
今日最後の授業は、担任である大沢先生の授業。そして今はその時間中である。だが、教室内に大沢先生はおらず、生徒の数もごくわずか。わずかに残る生徒たちも、そのほとんどは読書をしたりメールをしたりといった状態だ。真面目な生徒は図書館で自習しているのだろう。ひょっとしたら、すでに帰ってしまった生徒もいるのかもしれない。
「突然の休講。まるで大学だな」
俺はそう呟き、ユウジを見た。ユウジは自習をしている。意外と真面目なんだな、と感心していると、同じく自習中だったさつきが手を止め、振り返る。
「珍しいけど、他の科目でも先生が突然体調を崩してその日の授業を中止することがあるわよ」
一年生の時は年に二、三回だったけどね、とユウジが補足する。
俺は適当に相槌を打ちつつ、教科書も出さずにあらためて教室内を見回した。俺たちを含めてもひとけたしか残っていない。
「そう言えば大沢先生、朝のHRの時は居たよな」
俺は確認をとる口調でさつきとユウジに聞いた。
「えーと」
「居た……わよね」
居たのかどうかの記憶さえ曖昧になってしまうほど影が薄い担任に少しだけ同情。
「ああ、自習の邪魔してすまん。俺、終業のチャイムまで寝る」
机に突っ伏して目を閉じた。すると、途端に襲ってくる不快感に顔をしかめる。
――ああ、気持ちが悪い。
違和感が俺の身体中を這い回る。まず、瞼の裏に例の五芒星が浮かび上がる。次いで、全身が火に炙られ、ちりちりと焦げ付くかのような嫌な錯覚に苛まれた。朝よりも具体的なイメージを伴う錯覚である。
不吉で巨大な魔法陣が活性化し、爆発直前まで内圧を高めている。K・Tによれば“イベント”は今夜十二時だというが、本当にそれだけの猶予があるのかどうか。
今更焦ってもしかたがない。とにかく、リューフィンかガラと合流するまでは大人しく様子を見るだけだ。
魔法陣を起動させるべく準備している奴は誰なのだろう。学校内に潜んでいるのか、ワームホールでつながったどこかから“イベント”の時間に合わせてやってくるのか。
目を閉じていても眠れない。やはり、肌で感じる魔法陣のプレッシャーのせいか。それもあるが、それだけではないな。昨日、K・Tとの決闘前には充分寝たし、その後は気絶状態とは言え今朝までぐっすり寝ていたのだ。そうそう寝られるものではない。
仕方なく、そのままの姿勢で考え事をした。
今夜の“イベント”の阻止。放課後からずっと学校内に潜んでいれば、魔法陣の起動を邪魔する機会がそれだけ多くなるはずだ。
しかし、事情を知らない職員や警備員に見つかると一旦は帰宅せざるを得なくなる。見つかる時間によっては致命的なタイムロスにつながりかねない。余計な騒ぎを避けるためにも、一度帰宅した上で考えつく限りの準備を整え、改めてここに戻ることにした方が得策かも知れない。
この件は一応そう結論づけ、俺は今朝のことを回想しはじめた。
クソ親父――クソ親父から親父へ昇格させようと思っていたが、はっきりした理由はわからないものの何故だか気が変わった――が、リカに対してK・Tのことを隠しておこうとした理由は何か。結城老人に筆談で尋ねてみたのだ。
――その質問をするということは、K・Tが仇でないことを知ったのだな?
結城老人はベッド脇に胡座をかき、適当に雑談しつつ紙の上にさらさらと文字を走らせた。意外にも英語だったので、俺にとっては読みやすくて助かった。しかし俺のほっとした気分は、続く内容を読んだ瞬間に吹き飛んだ。
――リカの両親、セイタとマナミは生きている。
セイタとマナミ。頭の中で発音してみた。聞いたばかりの名前のような気がしたが、思い出せない。そんなことより。
生きている、だと?
――事情がある。すまんが、秘密にしておきたいのはセイタとマナミ本人たちの希望だ。わしが教えるわけにはいかん。いずれ慎吾か、息子本人たちが明かすはず。それまで待ってくれ。
やはり、結城老人は最初から知っていたということか。
昨年、リカの両親の三回忌だったという。それだけの間、結城老人がリカに対して真実を黙っていたことになる。心中いかばかりか。俺は、結城老人をそれ以上追及するのを止めた。
終業のチャイムが鳴り、俺は目を開けた。
行動開始だ。魔法陣の起動、絶対に阻止してやるぜ。




