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「ユーリ・ウィルソンです。ユーリと呼んでください」

 おお、という男子の声とわあ、という女子の声が混じり、教室内に小さなどよめきが起こる。女子のひとりが「日本語うまーい」と呟くのが耳に届いた。

 教室中が真っ白だ。それが俺の、『二の二』という札が掲げられた教室に入室した瞬間の印象。男子は白い開襟シャツ、女子は白いセーラー服。話には聞いていたが、女子の制服は独特だ。上は海軍の軍服、下はミニスカート。ただし、スカート丈は生徒によってまちまちだ。正直に言うと奇妙に感じるが、ここでは俺が外国人なのだから見慣れるしかない。

 イギリスでもユニフォームが制定されている学校は少なくないが、大抵は私服登校も可能だ。制服の強要となると、全寮制のパブリックスクール――一流大学進学を前提とした富裕層の子弟が通う学校だ――を連想してしまう。しかしここの生徒達の様子ときたらまるで規律というものが感じられない。もちろん、俺としてもパブリックスクールのような規律など願い下げなのだが。

「ユーリは三学期の終わりまで我が校に留学する。一時間目は数学、私の授業だ。じゃあユーリ、授業に少し食い込んでも構わないから好きなだけ自己紹介してくれ」

 低くて、どこか眠そうな声が聞こえてきた。中年太りの男性教師――たしか大沢先生だったな――の声だ。あまりにも気配が希薄なので、そこにいることを忘れていた。そういえば、俺は彼に連れられて職員室からこの教室まで移動してきたんだった。

 大沢先生からの指示がそれで終わりだとは思っていなかったので、続く言葉を待って俺は先生に視線を向けた。皺の寄ったジャケットと同色のスラックス。薄くなった頭髪は乱れており眼鏡もどこか曇っている。全身のどこにもまるで覇気というものがない。

「…………」

 彼は教師用デスクの椅子に座ったまま、動こうとしない。もう話が終わったということか。わかりづらいぜ、全く。

 俺は生徒たちの方に向き直り、当たり障りのない自己紹介をした。イギリスで義務教育を終えた後、学校に行かず働いていたこと。ところがアルバイト先の社長の好意により、日本語が上手い俺を日本の高校に留学させてくれたこと。事前に《監視機構》が用意してくれた偽情報は、一応は細部にわたって設定されている。だが俺はわざと細部をぼかし、情報を小出しにした。

 あまり深く突っ込まれたらぼろが出そうだ。俺は所々つっかえて、少しは日本人がガイジンに対して持つイメージに沿うように喋った。あまり鋭い質問には「ニホンゴ、ヨクワカリマセーン」で逃げる魂胆なのだ。

 一通り説明したら言うことが無くなったので、身長と体重を口にした。

「身長、百七十五センチ、体重、ええと、約六十キロです」

 もういいかな。そろそろ席に着こう――と思った矢先、一番前に座っている男子生徒が手を挙げた。いかにもレンズの分厚そうな眼鏡をかけ、髪を七三に分けた背の低い生徒だ。何のつもりか詮索する暇も与えず、彼は俺に質問してきた。

「質問です。イギリスって、今ではセンチやキロの単位を使っているんですか」

 おいおい、名乗らずに質問かよ。日本人って意外と礼儀知らずなんだな。ま、こいつの名前なんて興味ないが。

「以前EU加盟国においてヤード・ポンド法の撤廃が決定されたけど、撤回されたんだ。今も大人たちは古い単位を使っている。牛乳やビールはパイントで売られているし、道路の距離表示はマイルだけで、キロの併記もない」

 眼鏡くん、なんだか大袈裟にうなずいている。決め付けるのはまだ早いが、この見るからに人畜無害そうな眼鏡くんがナジアだなんて想像する気にもなれない。

 眼鏡くんに興味を失った俺は、彼から目を離して言葉を続けた。

「大人たちは“フランス発祥の単位なんて使ってられるか”とでも思ってるんだろうね、きっと」

 お。首を縦に振るヤツと笑い出したヤツが半々くらいいる。こんな話が受けるとは。

「俺は日本にいる間はメートル法に慣れようと思っています」

 今度は拍手。それも全員同時にだ。悪い気はしない。日本人は閉鎖的だとか感情の表現が下手だとか聞いていたが、少なくともこいつらはそんなことなさそうだ。少しほっとしたぜ。

 しかしこの連中、実はちゃんと規律がとれているんじゃないのか。

「先生、もう席についてもいいですか」

 俺の発言を受け、えーっ、と露骨に不満そうな声を上げる女子もいたが、聞こえないふりをした。何人かの生徒の視線がのろのろと大沢先生に向けられる。そう、まるで初めて気付いたかのように。

 こういうの、日本語で何と言うんだっけ。……そうそう、『影が薄い』だ。

「なんだ、もう終わりか。二十分はかたいと思っていたのに。ユーリの席はあそこな。窓側の、一番後ろ」

 大沢先生は露骨にあくびをかみ殺し、面倒臭そうに指さした。なるほど、その場所に空席がある。

 俺が席に着くのを待たず、先生は全員に向けて声をかけた。相変わらず、覇気のない声だ。

「各自、ユーリに質問があれば休み時間にな。では授業を始める」

 大沢先生は大儀そうに立ち上がると教師用デスクから教卓へと移動した。対する生徒たちはと言えば、途端に教科書を立てて壁を作り、机上に突っ伏して寝てしまう男子が数名。堂々と耳にイヤホンを突っ込み、音楽プレーヤーを操作し出す女子もちらほら。なんてこった。携帯メールをしてるヤツらもいる。無法地帯か。

 教科書に隠れているヤツなんてまだマシだ。生徒の大半は堂々と他事をしている。どれもこれも、教壇から丸見えじゃないか。

 ところが大沢先生は全く注意しようとせず、独り言のようにえんえんと喋り続ける。時折黒板に板書したりはするのだが……。これって本当に数学の授業なのか。日本の文化というヤツは不可解だぜ、全く。

 日本にはかつての"教育王国"の名残、名門校が多数あると聞く。もっとも、この名細亜学園はお世辞にも名門校とは言えない。それにしてもこの有様は――

 ――まてよ。ああそうか、なるほど。

 生徒たちの様子に規律が感じられないのは、大沢先生のこういう態度にも原因の一端があるってわけか。事実、大沢先生の授業には生徒たちを参加させようとする意図が微塵も感じられない。だからと言って、積極的に授業に参加しようとする生徒が一人もいないというのも不思議な光景だ。日本の高校は義務教育ではない。試験を受けてまで進学した者が集まっているはずなのに。

 まあいいや、俺には関係のないことだ。俺は勉強するために留学しに来たわけではない。こっちの方が好都合ってものだ。


* * * * * * * * * *


 あの日、リューフィンはとうとう目を覚まさなかった。

「少年。いや、ユーリ。この幻妖を、わしに預けなさい」

 唐突だなオイ。

「どういうコトだ。《監視機構》はリューフィンに感染したウィルスの正体を掴んでいて、治療ができるとでも言うのか」

 結城老人はアルカイックスマイルを浮かべ、顎の下に伸びる白髭の先端を指でつまんだ。

「ほっほっほ。それはわからん」

「…………」

 ええと。聞き間違いかな、今の。

「聞き間違いではないぞ。今はまだ治療法がわからん」

 こめかみあたりの皮膚がぴくりと動くのを自覚した。

 俺が何かを言う前に、結城老人が言葉を続けた。

「もっとも、全く情報を掴んでおらぬという訳ではない。少なくとも、症状の悪化を止めることはできる。しかし――」

 結城老人が沈黙する。なんだか、あまり続きを聞きたくなくなった。だが、俺は嫌々先を促した。

「しかし、何だよ」

「この状態の幻妖を現実世界に連れ出せば、命に関わる」

 やっぱりね。

「そこで、暇を持て余しているこのわしが、お主の大事な相棒の面倒を見て進ぜよう。そのかわり」

 あー、聞きたくねえ。

「ユーリ。お主には幻妖抜きで任務をこなしてもらいたい」


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