両親
熱い。痛い。
無理矢理目をこじ開けたら、倒れている人が見える。
燃え盛る建物を背に、路上に突っ伏したひと組の男女。
「ズマナ! オギュスティーヌ!」
親父の叫び声だ。
「シンゴ!」
倒れていた男女のうち、男が叫んだ。見ると、男の周囲の路上には炎とは違う鮮明な赤色。それが何かを理解して、俺は慌てて目を閉じた。
「しゃべるなズマナ。なんとしてでもここから助け出す」
「聞いてシンゴ。私たちはもう助からない」
女の人。つい反射的に目を開けて、俺は再び目を閉じた。さっきは気付かなかったが、女の人の背には棒状の何か――焼け落ちた建物の建材か、爆発炎上した乗用車の破片か――が突き立っていたのだ。
「ユーリを、ユーリをお願い! フランスに送り帰してはだめ。あなたが――」
「すまない。私の力が足りないばかりに……」
地面が遠くなる。俺は抱え上げられた。
待て。待ってくれ。お父さんとお母さんが……。
そうだ! 待ってくれ、親父。ここに倒れているのは俺の両親なんだ!
熱い。痛い。
視界が炎の赤に染め上げられ、やがて白濁し――
「聞こえなかったのか、誠太」
声が聞こえる。この声、また親父か。
見ようと思ったが、目が開かない。
「ユーリは、私が育てる」
踏み込む足音。誰かが、親父に詰め寄ったようだ。
しかし“育てる”とは何事だ。今更何を言うやら。
「……んだと慎吾。あんたはもうすぐイギリスに行くって決まってんだろうが」
この声、どこかで聞いたような。
「まあ落ち着けや、誠太。ユーリの存在は幻夢の連中に知られている。比較的強力なナジール反応を示すから、連中ももう何度もちょっかいをかけてきた」
「わかってるぜ、慎吾。ユーリの外見がほぼ拾った日のままなのは、連中の襲撃をかわすために何度も何度も両世界を往復した結果なんだからな」
拾った日のまま? そうか、これは俺の記憶だ。
おそらく十二年前、イギリスに渡る直前だろう。《監視機構》に操作され、鍵の付いた引き出しの中に隠れていた記憶。
「連中も馬鹿じゃないわ。この方法もそろそろ限界よ。それに、慎吾はもう――」
女の人の声。この声にも聞き覚えがある……ような気がする。
「私はもう戦えないってか。そうだな、だからこそ私は幹部になった。今やイギリスのスタッフだって動かせるんだよ、愛美」
しばしの沈黙。
「今さら言うことじゃないけど……。いくら辛い記憶だからと言っても、実のご両親の記憶を消してフランス語まで忘れさせ、かわりに日本語を刷り込むなんて反対だったわ」
「またその話か」
うんざりした調子を声に乗せて言う親父を無視し、愛美は話を続ける。
「この子がユーリ・シルベストルとしての記憶を持ったままでは、フランスの親戚が引き取ることになる。でも親戚の中には《監視機構》の関係者がいないから、この子をフランスに帰したら無防備になる。そこで、ユーリはここでご両親と一緒に亡くなったことにする……。それが一番いい方法だったわよね、わかってる。わかってるの」
再び沈黙が訪れる。愛美の話をそれ以上遮る者はなく、皆黙って聞いている。
「ユーリ自身の意志も希望も全く考慮しない日本支部の独善的な決定に、最終的には私も合意した。そうである以上、私たちにはこの子を育てる義務があるわ」
「だーかーらー。何度言ったらわかるのかね。ユーリの母親が名指しで私に託したのであって、日本支部の独断ではないのだと。彼女との約束を守るためにも私に任せろと言っているのだ。イギリス支部のスタッフは他支部と比べても数が多く、優秀なのが多い。ユーリを守るには理想的な環境なのだよ。そうは思わないかね」
溜息が聞こえた。女の人――愛美が「大事なこと、忘れてない?」と呆れたように問いかける。
「佐々木さん。あなた一人で育てる気? いくら《監視機構》のサポートがあると言っても、シングルファーザーではいろいろと無理があるわ」
「愛美の言う通りだ。俺たちに任せなって。ここには親父だっているんだし」
誠太が愛美を支持する。……そうか、このふたりは夫婦なんだな。
「わからないのかね? だからこそ心配なのだよ。お前たちは、おやっさん含めて三人ともナジア、珍しい家族だ。もっとも、おやっさんの強さは有名だから幻夢の連中も滅多なことでは襲って来なかったのだがね」
「だからこそ、ユーリにとってここは安全――」
誠太の言葉を皆まで言わせず、親父が溜息を吐く。
「ユーリが加わったら安全ではなくなる。格好の標的だ。……確かに、守るべきものがあれば人は強くなれる」
何かを言おうとして口ごもる誠太の様子が伝わってくる。言葉にならない音が彼の口から漏れたのだ。
「お前たちには娘さんがいるじゃないか。その子を守ることにこそ全力を尽くしたまえ。私は元戦士として全力でユーリを守る」
親父、結構いい奴じゃん。思えば、俺がリューフィンと出会えたのも親父のお陰なんだよな。
俺にはフランス人の両親がいた。イギリスに帰ればそこにも両親がいる。そしてこの日本にも、親父のほかに俺の両親になろうとしてくれた人たちがいた。
恵まれている。素直に、そう思う。亡くなったフランスの両親のことは、いつか必ず詳しく聞こう。……親父に。
「しかし、慎吾。それではお前の負担があまりに――」
「イギリス娘に求婚してオーケーもらっちゃったのさー。連れ子でも構わないって。あっちで甘ーい生活が待ってるんだー、ボク」
…………。
「あ、ちなみに私、フランス女と死別した哀れなヤモメって触れ込みなんで、そこんとこよろしくねー」
……一瞬でも感動して損した。俺の感動を返せ、クソ親父。
* * * * * * * * * *
ベッドの上だ。俺は、助かったのか。
両腕は――動く。
両足は――動く。
痛いところはたくさんあるが、耐えられないほど酷いものはひとつもない。
目を開く。眩しいが、ちゃんと見える。
なんだかリアルな夢を見ていたような気がするのだが、思い出せない。
上体を起こす。
「ユーリっ」
リカに抱きつかれ、俺の胸で微かに震える黒髪が視界を埋め尽くす。
その背に手を回し、黒髪に頬を寄せて「ただいま」と呟いた。
しばらくそのままの姿勢で、頬に触れる艶やかな黒髪の感触だけを俺の世界の全てにした。
ロフトだ。外が明るい。翌日になってるのか。
「K・Tはどこだ。いや、その前に今何時だ」
「時間は……六時よ」
リカはゆっくりと身体を離して時間を告げる。その背後で人影が動いた。
「最初の質問にはわしが答えよう。K・Tは抜け目のない奴だ。あれは自爆などではなく脱出手段の一つなのじゃろう。いささか迷惑なタイプの、な。仕事を失敗した場合の保険のようなものだと思う」
「爺さん! 久しぶりだぜ」
青い作務衣が懐かしい。リカの肩を抱く結城老人を見て、俺は思わず頬を緩ませた。
ふと、ぐるりと部屋を見回す。相棒の姿がない。
「リューフィン! リューフィンは無事かっ」
「おうよ、相棒。……無事とは言い難いな、満身創痍だし。俺たちを爺さんが拾ってくれなきゃ、正直危なかったぜ」
リカの部屋から声が聞こえた。リカが歩いていって扉を開ける。
包帯だらけの観葉植物が、リカのベッドに横たわっているのが見えた。ベッド脇にはガラの姿も見える。リューフィンの治療は終わってて、ワクチンも持って来たってことだな。K・Tとの戦闘中には、そんなこと全く頭になかったぜ。
「今夜の“イベント”には間に合うぜえ。幻妖の身体は頑丈にできているんだからな」
強がりを言いやがって。あの爆発の中でお前が俺を包み込んでくれたんだろう、リューフィン。
「ばかやろう」
俺の言葉に対し、リューフィンは葉っぱの指でサムアップの真似をしてみせた。
ばかやろう。…………ありがとう。
「なんて顔をしているんだ、ユーリ。お前の怪我も、普通の人間なら入院ものの酷さだぞ。まずは自分の心配をすることだ」
ガラは俺を見ると窘める口調でそう言い、続いてリューフィンを見下ろすと呆れた口調で吐き捨てた。
「リュー、お前という奴は。弱いくせに無茶しすぎる」
「何だとぉ、ガラ! 俺とユーリのコンビは最強だっての」
「ふむ。唯一私が嫉妬する点があるとすれば、リューが最高の相棒に巡り会った点だな」
「ええっ、そこだけ!?」
「お前たちはふたり揃えば最高だ。だが裏を返せばひとりずつなら半人前ってことさ」
冷たい口調で告げるガラだが、その視線はさりげなくリューフィンに巻かれた包帯の状態をチェックしている。やっぱり、ちゃんと心配しているんだ。
「リューくんとガラさん、仲いいね」
にっこりと笑うリカを見たガラは、こちらに背を向けてしまった。心なしか、頬が赤く染まっていたような気がする。
リカは台所へ歩きながら、俺に声をかけた。
「朝ご飯にしよ、ユーリ。今日も学校、休むんでしょ」
「いや、考え中だ。今日は休む理由がねえからな」
「じゃ、急いで支度するね」
そう言うと、リカは手際よく朝ご飯の支度を始めた。
その様子を見届けると、俺は結城老人に目配せした。
――聞きたいことがあるんだ、爺さん。




