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孤立

 剣道を見学した程度で、俺の技術が上がるはずもない。

 夜中の訓練が始まってから一週間が経つが、俺の両腕は相も変わらず隙間もないほどのミミズ腫れだらけとなってしまう。

 これらが全て翌朝には消えてしまうので、毎度のように夢でも見たかのような錯覚に陥るが、鬼教官ガラによる特訓は紛れもない事実である。

「うむ。特訓の効果が思わぬ方向に作用しているようだ。木刀をほとんど落とさなくなったし、傷の治りが明らかに早くなっている」

「……はぁ」

 喜べない。通常の加速能力が発動する確率が余計に低くなったということじゃねえのか、それって。


 何度目かの休憩の時、ガラはこう言った。

「感心したぞ、ユーリ。昼間も鍛えているのか」

 ミミズ腫れの多さも、無様に転ぶ回数も、初日からあまり変わっていない。変わったのは、滅多に木刀を落とさなくなったことだけだ。俺は、ガラが嫌味を言っているのではないかと疑った。

「な、なんだよ。俺があんまり上達が遅いからって、嫌味かよ」

「ふふ。気付いていないのか。お前の上達が早いので、私の方が攻撃レベルを上げているのだよ」

 なんだって。じゃ、剣道を見学したのはあながち無駄じゃなかったってことか。

「ああ、もちろんそれなりに手加減はしている。ただ、初日はあまりに無手勝流でどうしようもなかったお前の動きが、どんどん様になってきているのは確かだ」

 えーと。これって、褒められているんだよな。そう解釈しておこう、うん。

「この分なら、そろそろ必殺技の伝授を始めてもいいかもしれん」

「待ってました!」

「だが、ユーリ。もし今日教えたことができるようになった程度でK・Tに襲われるようなことがあっても、戦おうなどとは考えるな。まだまだ、とてもじゃないが相手にならん。あの“マッチ箱”、ちゃんと持ち歩いているな? あれを使うことを忘れるな」

 くどいくらい念を押すガラに神妙に頷いてみせると、彼女はようやく必殺技についての講義を始めてくれた。


 ガラの説明に従い、掌を上に向けて精神を集中した。

 程なく野球ボール大の淡い白光が生まれ、蝋燭の炎のように儚げに揺らめく。

「まだだ。もっと凝縮させろ」

 鉛筆なみに細くなった白光はさらに頼りなく揺らめき、今にも消えそうになった。

「やり直しだ」

 再び野球ボール大の白光を掌の上に発生させる。小さく、小さく。白光はゴルフボール大となり、その輝きは強く安定した。

 ガラは、俺が部屋から取ってきたジュースの空き缶を三メートル離れた場所に置いた。

「的だ。よく狙って当ててみろ」

 俺は腕をまっすぐに伸ばし、空き缶を狙った。

「行け!」

 ――カァン!

 小気味よい音をたて、空き缶はふたつに割れた。

「思った通りだ。ユーリは微弱ながら空間を操る能力も持っている。そいつを応用すれば、こういう技も使える。もっと凝縮……そうだな、ビー玉サイズにまで凝縮し、複数の光弾が連射できるようになった時点で初めて実戦で使える。今日からは、これを訓練メニューに加える」

 空間を操る能力、か。ということは、K・Tにも使える技なんじゃないのか。

「私たちが対戦した時、K・Tは全力じゃなかった。あの時我々に見せていない能力を、隠し持っている可能性は高い。だがそれでも、ユーリがその技を使えることは知らないはずという一点にのみ、この技を修得しておく意味がある」

 見せていない能力? ――待てよ、あのパチンコ!

「ガラ! 俺、K・Tにリモコンを弾き飛ばされた。そのときあいつパチンコを使ってて、俺の手が痺れていたけど、パチンコの玉みたいなのは全然見当たらなかったぜ」

「ほう。じゃ、奴は空気を圧縮し、それを玉のかわりに使っていたのかもしれん。他に何か、変わった能力を使っていなかったか」

 俺は考えるまでもなく、すぐに思い出した。

「そういえば、K・Tの奴、めっちゃ身体が硬くなってたぞ。加速状態の俺があいつの延髄を蹴っても、ダメージを受けたのは俺の足の方だった」

 俺の言葉を聞いて、ガラは眼を細めた。

「硬質化か。それに対抗できそうな能力を持った奴をひとり知っているが……。あの役立たず、こっちに戦線復帰できるまでに、最低あと一週間くらいかかるだろうな」

「一週間、か」

 俺は、俺とガラの共通の知り合いの顔を思い浮かべた。一緒にイギリスからやってきた相棒。あれだけ罵りあっていた奴でも、これだけ会えないとなると想像以上に心細いものだ……。

 ガラが唸り声を上げたことで俺は我に返り、弱気な自分を戒めるため両手で頬を叩いた。

「他の幻妖の復帰も似たような時期だろう。ということはスパイども、それまでに何らかの行動を起こす可能性が高い。となると――」

 その先は俺にも想像できる。ガラを遮り、自分で言った。

「それよりも先にK・Tとの再戦がある、ということか」

 命の期限を切られたかのような緊張に、俺は思わず生唾を呑み込んだ。


 次の休憩の時、ガラの要求に従って一旦ロフトに戻った俺は、リカが起きないかひやひやしつつ筆記用具を揃え、再びナジールに戻った。

 ガラは定規やコンパスと鉛筆を器用に使い、紙の上に図形を描き始めた。

 まず円を描き、それを五等分して円周上に小さな丸を書き込む。紙面上部にひとつの丸、中央上寄りの左右にふたつの丸、下端寄りの左右にふたつの丸。それぞれの丸を直線で結び、五芒星を描く。そして、中央上寄り左右の丸を結ぶ直線の中央にも小さな丸を追加。

「あ、この五芒星……」

「なんだユーリ、知っているのか」

 訝るようにこちらを覗き込んでくるガラに、俺は中国人ナジアが持っていたノートのことを説明した。

「ノートに五芒星が描かれていたんだ。六箇所の丸と、それぞれを線で結ぶ五芒星――ちょうど、これと一緒だよ」

「もしかして、今回日本に派遣されたナジアのうち、行方不明になったナジアか?」

「ああ。暴走した幻妖に連れて行かれ、ワームホールの中に消えた。以後、何度も同じ場所に行っているが気配さえ感じられない。彼のノートには、“組織の中にスパイがいる”ってキーワードも示されていた」

 ガラは枝状の両腕を腕組みした。

「暴走した幻妖。それにワームホールか。幻妖がスパイどもの操り人形になっているのか、わけもわからず元相棒を攻撃しているのか。いずれにせよ、その中国人ナジアの安否が心配だな」

「あ、あと、俺らが派遣されている六つの学校の位置関係な。まるっきりこの五芒星の位置関係と一致するぜ」

 ガラの顔つきが一層険しくなった。

「ユーリ、それ定時連絡で報告したか」

 責められているのかと思い、俺は冷や汗をかきつつ答えた。

「……いや、今初めて言った」

「よくやった。報告していたら、ユーリが情報を掴んだことがスパイにも筒抜けになるからな」

 意外。褒められた。

「ハルダイン教」

「ハ……? なにそれ、聞いたことないけど、新興宗教か」

「いや、戦神を祀ったと言われている古代宗教だ。ハルダインというのはその神様の名前。最強の力を示すシンボルとして、この五芒星を採用していた。だが現存していないし、資料もほとんどない。少なくとも、現実世界側にはな」

 なんだか怪しい雲行きだな。

「じゃあ、幻夢世界側にもハルダイン教ってのがあって、そっちには資料があるってのか」

「その通りだ。私の意見だけで裏付けはないが、どうやらスパイの奴ら、とんでもないことを考えていそうだぞ」

 ガラが説明してくれた内容に、俺は戦慄した。


 この五芒星は、ハルダイン攻性魔法陣と言うらしい。

 その直径が、大人が手を広げた状態で端から端まで届く程度であれば、個人で扱える程度の武器がひとつ呼び出せる。

 そしてそれこそが、対K・T戦に備えてガラが俺に授けようとしている切り札としての必殺技なのだ。

 しかし、巨大なサイズの魔法陣となると……。

「過去に何度か、例があるらしい。現実世界側でも、幻夢世界側でも数回ずつな。相当な数の生贄を捧げ、巨大魔法生物の召喚や広範囲に及ぶ破壊魔法など、どれもろくな結果を招いた試しがない」

「あんまり聞きたくねえけど、どんな結果を招いたんだ」

「数人から数十人のナジアを生贄に、術者が魔法陣を起動。魔法陣の内側は一種の結界を形成し、術者が魔法陣を解くまで誰も出られない状態になる。結果として、ある時は巨大魔法生物が現れ、術者の制御を振り払って三日三晩暴れ回り、魔法陣の内側に生きて動く者がいなくなった時点で消滅。ある時は大爆発が起き、魔法陣の内側にいた術者を含む全ての生き物が消滅。幻夢側の記録に残ってるものは、どれもそんな感じだ」

 冗談じゃねえぞ、オイ。

「何考えてんだ、くそスパイども」

「奴ら、ワームホールを通じて各校をつなぎ、巨大な魔法陣を形成するつもりだ。生贄はおそらくウイルスナジア。ウイルスナジアは幻夢属性のナジア……。おそらく、巨大な魔法陣の結界内は幻夢世界の環境に作り替えられることになる」

 それはつまり結界内に暮らす現実世界の人間が全滅することを意味する。

「……止めねえと。今すぐ止めねえと!」

「とにかく、K・Tとの再戦に備える一方で、同時進行で魔法陣の起動を阻止しなければならない。しかも定時連絡での報告をせず、ナジール内では私が、現実世界ではユーリが動くことで」

「おいおい、コトがコトだぜ。間に合わなかったら洒落にならねえじゃんか。とっとと報告して、《監視機構》全体でスパイどもの動きを封じた方が得策じゃねえか」

「ところがそういう情勢ではなくなってしまったのだよ」

 クソ親父の声がした。俺はもうのけぞらねえぞ。ガラも落ち着いて、スピーカーを取り出した。

「どういうことだ、クソ親父」

「つーかまっちゃったよーん」

 …………。どこから突っ込めばいいかわからん。

「日本支部は虫の息だ。スパイども、軍隊にたとえればクーデターでも起こすつもりで周到に準備していたらしい。《監視機構》を売って、幻夢の連中の犬として働くつもりのようだね、奴らは。私も結界魔法を施された部屋に軟禁されている。私の息がかかった逆スパイたちとも連絡がとれん。最早、奴らが把握していないのは、ガラのナジールに直接連絡できるこの通信装置のみだ」

 俺は額に手を当てた。

「なんてこった」

「どうやら、幻夢の大ボス――アンドロイドどもが“あの方”と呼ぶ人物が直接動きだしたようだ。魔法陣の内側を幻夢側の環境に作り替え、こっち側の人間が全滅。それをデモンストレーションして、全世界の《監視機構》に本格的にケンカを売るつもりだな。我々の希望は、ユーリ、お前と、名細亜学園に潜り込ませたさ――」

 回線が途切れた。

「なんだよ、最後まで言えよっ」

「心配ない、ユーリ。あの方は不死身だ。だからこそスパイどもも、戦士を引退したにもかかわらずあの方を殺すこともできずに軟禁しているのだ」

「あんな奴の心配なんかするか! それより、俺たちの状況の方がよっぽど心配だぜ」

 孤立無援、時間もない。いまさらウイルスナジアを狩っている場合ではあるまい。今俺がすべきことは――

「現実世界に潜む“術者”をひっ捕まえて、魔法陣の起動ができない状態にする!」

 だが、俺には大きな障害がある。K・T。

「奴はぶっ倒す! あと三日、いや二日で、奴と互角に戦えるよう鍛えてくれ、ガラ」

 何か言いかけたガラは、俺の眼を覗き込むと、一旦開きかけた口を閉じた。

 そして僅かな沈黙の後、「……いいだろう」とつぶやくように言った。

「すまない。リューのかわりに、せめて一緒に戦ってやりたいが」

「何言ってる。こうして一緒に戦ってるじゃねえか」

 ガラが差し出してきた枝の先端――葉っぱの形をした掌を、俺はしっかりと握り締めた。


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