過去
眼を丸くするガラを無視し、俺は平坦な声で自分の推論を告げる。
「俺、あいつの実の子どもってことになってるけど、もしかしたら違うかも」
あの大火災で両親を亡くした孤児――それが俺。ユーリという名前はフランス人男性名として一般的なものだ。シルベストルという苗字も。
あのとき、現場近くをたまたま通りかかったフランス人旅行者。その気で調べたら、俺は多分当時の資料の中にフランス国籍の死者名を見つけることになるだろう。“ユーリ・シルベストル”という自分の本名を含めて。多分、そんなところだ。
俺にはフランス人の両親がいた。そして、強制的に忘れさせられた。
この時点で、ほぼ確信しつつある俺の過去。誰かを恨んで叫ぶべきか。でも、誰を。実の親を殺した奴か。俺の記憶をいじった奴か。……あるいは、その両方か。
整理のつかない思いを抱えたまま黙っていると、ガラが反論した。
「しかし、ユーリ。それでは年齢が合わない。どう見ても、お前が二十歳過ぎだとはとても思えない」
俺も、自分でもそう思うが、それを異世界の幻妖に言われても、ね。
「何らかの理由で現実・幻夢両世界の“壁”を、幼い俺が何度も何度も超えているとしたら?」
実の親は佐々木慎吾とジリアン・ウィルソン。五歳頃までこの日本で暮らしていたとして、その後はずっとイギリス暮らし。その俺が、なぜこうも日本語を自然に操れるのか。
イギリスに移り住んだばかりの頃、両親は口論が絶えなかったが、常に英語で言い合っていた。その後すぐに両親が離婚し、日本人の父親が出て行って以来、ほとんど日本語に触れていなかったというのに。
「なんだ、もう気付かれちゃったのか」
ナジール内に唐突に機械音声が響き、俺とガラは揃ってのけぞった。
「これを持たされているのを忘れていた」
先に立ち直ったガラが枝の隙間から小型の箱形をした装置を取り出した。機械音声はそこから聞こえてくる。
「やあ、我が優秀な息子よ。久しぶりだね」
「黙れクソ親父」
こいつ。ずっとモニターしていやがったな。
「おお!」
機械音声のエフェクトを切ったのか、俺にとっては聞き覚えのある懐かしい声がスピーカーから聞こえてきた。クソ親父の声をまだ覚えていたとは、我ながら驚きだ。
「私のことを親父と呼んでくれるか。感動だよ」
「勘違いするな。俺の父親はポール。あんたはクソ親父だ!」
俺は思わずぞんざいな口調で返したものの、さほど腹を立てているわけではない。
「……でも、これだけは言っておくぜ。助けてくれてありがとう。ガラもだ。ありがとう」
ガラは声に出さず、眼だけで頷いた。
「正直に言うが、助けた当時からユーリにナジール能力があることはわかっていた。フランス人のご両親はいずれも《監視機構》スタッフであり、ご母堂はナジアであらせられた。お二人を救えなかったのは残念だ」
火災現場は住宅地であって観光地ではないのだ。俺としても単なる偶然による被災とは思えなかったので、クソ親父の言葉を疑うつもりはない。
「私としては、幼いユーリを巻き込むのは本意ではなかったんだ。ナジール能力を消す方法はないかと思い、何度も幻夢世界と現実世界を往復した」
「今なら大体、想像はつくぜ。結局俺のナジール能力が消えることはなく、俺がナジアであることを幻夢の連中に気付かれた……」
「うむ。私はお前を守るため、幻夢のアンドロイドが接近したらすぐに対応できるよう、職権を濫用して監視を続けていた。あの日、アンドロイドの動きを掴んだので大急ぎでガラとリューフィンのふたりをお前のもとに送り込んだ。ふたりとも信頼できるからな。大いに頼るがいい」
何が“職権を濫用”だ。“頼るがいい”だ。本当に幹部か。患部の間違いじゃないのか。守るべきは俺じゃなくて、この現実世界全体だろうが。やることがずれまくっていやがるぜ。
「おい! リカの記憶を操作したのは何故だ」
「その件については事情があってね。できれば、彼女にはK・Tのことを知られたくない。今はそれしか言えないが、いずれお前には私から何らかの形で伝えるよ」
「絶対だな?」
我ながら、恩義ある親であり、所属する組織の上長でもある人物への言葉遣いとは思えないが、今さら改める気になれない。
「ああ、約束しよう」
「それなら、リカには黙っていよう」
「そうしてくれ。だがもちろん、状況によっては定時連絡で報告してくれていい。では!」
スピーカーが沈黙した。
「用件オンリー。信じられないくらい一方的だぜ。あんな風だから母さんと離婚したんだな、よくわかったぜ」
半目でスピーカーを睨む俺に、なぜだかガラがフォローを入れる。
「お、お忙しい方だからな。それに、一般人の奥方と生活しながらでは、《監視機構》の任務に障りがあったのだろう」
困っているガラを見て、申し訳なく思えてきた。
「いや、ガラのせいじゃないし。別に怒ってねえよ、今さら」
俺がクソ親父と同じ立場だったとしたら、多分同じことをしただろう。そう思うと、かなり気分が治まってきた。
「クソ親父め。やることが滅茶苦茶なんだよ……」
でも、だからこそ俺は今こうして生きている。
ガラはひとつ頷くと、気分を入れ替えるようにまた厳しい眼をして言った。
「今日はここまでにしよう。訓練の再開は明日の夜からだ」
「ああ。頼むぜ、師匠」
「その師匠っていうの、やめてくれないか。ガラでいい。ところで、この装置を肌身離さず持っていろ。もしK・Tに襲われるようなことがあれば、この装置のスイッチを押せ。一回くらいは逃げるなり時間稼ぎするなりできるはずだ」
そう言ってガラは俺にマッチ箱大の装置を差し出した。スイッチがひとつだけ付いている。今時、防犯ブザーでももう少しそれっぽい外見をしているものだが、こいつはどうみても“スイッチの付いたマッチ箱”でしかない。なんとも心許ないが、こんな物でも《監視機構》の装備には違いない。何も持っていないより安心だ。
「睡眠時間は、そうだな、授業中にでも確保しておくがいい」
何てこと言いやがる、ガラ。……もっとも、俺としてもそのつもりなのだが。
* * * * * * * * * *
今日の授業では、あまりに寝過ぎてさすがに先生に咎められた。さつきとユウジがうまく誤魔化してくれて、“事故の後遺症”ということで保健室に連れて行ってもらい、そこで惰眠を貪ることに成功した。
気付くと放課後だ。保健室の窓から外を見ると、もう帰宅する生徒の姿がちらほら見える。
「ユーリ、大丈夫?」
さつきとユウジが、リカを伴って保健室まで来てくれた。
「悪い。怠け癖が出ちまって。明日からはさぼらないよ」
後頭部を掻いた。リカが疑わしげに見つめてくる。
「それよりさ、ちょっと剣道に興味があって。誰に頼んだら部活、見学させてくれるかな」
「お。ユーリ、剣道部に入るのか。大丈夫、武道場に行けばいつでも見学できるよ」
そう言ってくるユウジに、俺は首を横に振って否定した。
「違う違う。日本の文化に興味があるだけだよ」
「日本の文化と言えば、茶道とか華道とか……」
そう言ってお茶や生け花のジェスチャーをしてみせるさつきに、リカが笑顔で突っ込んだ。
「それユーリの趣味じゃないです。って、わかってて言ってますよね、さつき先輩」
「もっちろーん」
なんというか。俺はここのところリカに不安を与えっぱなしだ。さつきとユウジがいなければ、一体俺に何ができただろう……と、今さらのように思う。
「めぇえぇぇえん!」
「こてめんどうぅぅぅ!」
K・Tの気合いほどではないが、そこらの高校生とは明らかに一線を画す気合いが武道場に轟いていた。
重そうな防具を着け、隙間の浮いた頼りない竹刀を手に相対する生徒同士、驚くほどの素早さで交差し、押し合い、打ち込んでいく。
「驚いたねこりゃ……。想像以上だ」
正直に感想を呟いた俺は、やがて生徒たちの足元が気になった。なんだろう、あの足の運び方。
「摺り足というのよ」
さつきは中学の時に剣道部にいたらしく、解説をしてくれた。
「足の裏全体を床につけていると移動が遅くなる。かといって爪先立ちしていると打ち込むタイミングを逃す。そこで、かかとに和紙一枚挟んでいるくらいのつもりで浮かしておき、重心を落として前後左右への動きに素早く対応できるようにするのよ」
聞きながら、俺はK・Tの動きを思い出していた。あいつのは、ここまで絵に描いたような摺り足ではなかったが、動きの基本は似ているように感じた。
「やああああ!」
竹刀を振っていない生徒も、気合いの声を上げているのが聞こえてくる。
「人間って、ああやって声出したり、息を吐いている時って割と動けるのよね。息を吸う時って、気合いを溜める目的とかもあるからどこかのタイミングでは必要なんだけど、その時はどうしても動きが止まっちゃうの」
ガラの攻撃を捌いたK・Tの動きは――なるほど。さつきの解説、ためになるぜ。
サンキュー、さつき。リカとユウジがいなかったら、俺は彼女に抱きついていたかも知れない。今の俺にとって、リカはもちろんのこと、さつきもユウジも家族だ。
しかし、日本人の奥ゆかしさは熟知している。このタイミングで俺がさつきに抱きつくべきでないことくらいは理解している。
「ユーリ、楽しそう。もしかして、剣道部入りたい?」
リカが言ってきたので、俺は慌てて否定した。
「そんなわけないって! サッカーや野球と同じ。見るのが楽しいのさ」
――パアァン!
ある生徒の珍しい動きに、俺の目は釘付けになった。
「ん? 今の技は」
「退き胴よ。鍔迫り合いから身体を後ろに退きつつ、相手の死角をつくようにして胴に打ち込む技なの」
「ほう」
これが剣道か。なかなか奥が深いぜ。




